人物
(1916年~2000年)
太平洋戦争中には大日本帝国海軍の戦闘機パイロットだった人物。最終階級は中尉。
ガダルカナル島上空での負傷により内地に帰還。教官として後進の育成に当たるが、戦局の逼迫に伴い再び戦線に復帰した。
戦後の『大空のサムライ』のヒットにより、撃墜王の代表格としてその名を知られ、撃墜数は64機を自称する(公認撃墜数は28機)。
本人は撃墜数より「飛行機を壊さなかったこと、僚機を撃墜されなかったこと」を誇りにしていたと語るが、実際には不時着で機体を壊したこともあれば、数度の出撃で未帰還機を出しているとされており、彼の発言には数々の矛盾と虚偽が露見している(Wikipediaの「坂井三郎」の記事なども参照)。
パイロットとしての経歴
注意 下記の経歴は坂井の自称によっている部分が多く、同僚らの証言や研究家の検証により、坂井やマーチン・ケイディンらによる創作と考えられている、もしくは創作の可能性が極めて高いと考えられているエピソードを含む。 |
戦闘機乗りになるまで
少年時代、低空で旋回する飛行艇を眺めていたことにより「早いものとしての飛行機」に憧れ、「海軍少年航空兵」募集のポスターを見て二回受験したが不合格。
「飛行機のある海軍に入れば触ることぐらいできるだろう。」と海軍に志願兵として受験し合格。1933年5月1日、四等水兵として佐世保海兵団へ入団し、5ヶ月後、戦艦霧島に副砲砲手として乗艦。
1935年、横須賀の海軍砲術学校に入校し200人中2位の成績で卒業。戦艦榛名の二番主砲砲手に任ぜられるが、演習で榛名から射出される水偵を見てパイロットへの夢がぶり返し、操縦練習生試験を受験して合格した。
この当時、戦艦の主砲砲手という花型からパイロットへの転身は異例であり、上官に受験を打ち明けてからは砲手から外され弾庫員に回されるなど苦労もあった。
輸送機
1942年初頭のインドネシア方面の上空で、オランダ軍の大型輸送機を撃墜、または基地に誘導するべく接近したが、コクピット後方に民間人の母娘の乗客を確認し、わざと見逃した。司令部には『敵が雲の中に逃げたので追跡は断念した』と報告。本人は軍命に背いた事を恥じ、終生秘密にしておくつもりだったが、90年代半ばにようやく明かした。このため、著書の中には司令部に報告したとおりのことのみが語られ、民間人の母子については一切触れられていないものもある。また、執筆したのはGHQによる戦犯追及が厳しかった時期であった。
ガダルカナル島
ガダルカナル島上空でSBDを戦闘機と間違えて不用意に近づき、後部銃座から撃たれて重傷を負ったが、4時間操縦して帰投を果たした。
この負傷により右目の視力を失い、ラバウル配属以前に左目の視力が低下していた(被弾時に破片が瞳孔に直撃したが、ワセリンを塗って0.8程度までの低下に抑えていた)のと重なり、失明寸前となる。
しかし新しい司令官の理解もあって最前線復帰し、それと前後して左目の視力が奇跡的に復活した。
それでも最前線に立ち続けるのは難しく、大村や横須賀の教育部隊に異動し後進の指導に当たる。
しかし周囲に迎合しない性質のため、度々トラブルを起こした。
硫黄島防空戦
1944年6月22日、本土に温存されていた戦力として硫黄島防衛にかり出された。
6月24日、アメリカ海軍が硫黄島を空襲。坂井は迎撃に出撃したが、不意に右後方から銃撃されている事に気付く。この時は肩バンドを外して後ろを振り返り、片目である不利を補いながら切り抜けている。
空戦が一段落し引き上げようとしたところ、間違って敵の編隊に合流してしまう。
15対1という状況だったが、射撃をすべてかわした。経験が浅いと思われる敵4機は円陣を組んで相互防御していたが、坂井に防御陣形を崩された。著書には「逃げるので精一杯だった」と書かれている。
この後、無事基地へ帰還しているが、体調を崩して地上待機となった。
戦後
戦後は印刷会社に務めながら戦記ものや人生論などの本を旺盛に執筆。マーチン・ケイディンとの共著として1957年に刊行された"SAMURAI!"により米国でもその名を知られた。"SAMURAI!"の日本版として1972年に刊行された『大空のサムライ』(光人社)はベストセラーとなった(執筆はゴーストライター)。
1976年には大観宮(天下一家の会が作った宗教法人)により映画化されたが当時すでに天下一家の会は社会問題となっており、零戦にネズミ講のイメージが付くことを嫌った「零戦搭乗員の会」が一度解散して、新たに「零戦搭乗員の会」を設立し直すという事態となった。
戦記漫画を描いていた頃の水木しげるに、「勝った内容じゃなければダメだ」とアドバイスを送ったが、日本軍が敗北を重ねる戦場にいた水木はアドバイス通りに描けず苦労した。後年、妖怪漫画で成功した水木は自らの戦争体験を題材にした漫画『総員玉砕せよ!』を描いた。
坂井はネズミ講の広告塔になっていた上、数々の虚言などの言動から、かつての仲間たちからはよく思われておらず、葬儀にも出席者は僅か4名だったが、最晩年にいたるまで講演活動を続けていた。
「もう、眠ってもいいか?」(死の直前、主治医に発した言葉)
関連タグ
戦闘機パイロット 大日本帝国海軍 零戦 撃墜王 エースパイロット ラバウル航空隊
坂本美緒:ストライクウィッチーズのキャラクター。「坂井三郎」がイメージモデル。
エーリヒ・ハルトマン:ドイツ空軍のエースパイロット。僚機のパイロットを一度も失っていない。
藤岡弘、:映画『大空のサムライ』で坂井三郎を演じた。
永遠の0:主人公・宮部久蔵のラバウル航空隊時代に登場。小説自体も『大空のサムライ』を参考にした部分が多いため、よくコピペ呼ばわりされる。
コジロー・サカイ:『宇宙一の無責任男シリーズ』:「無責任艦長タイラー」に登場するキャラクター。「坂井三郎」をモデルとしている。