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赤松貞明

あかまつさだあき

大日本帝国海軍航空隊に所属した実在の戦闘機操縦士。 豪放磊落で酒豪・好色・喧嘩好きと、無頼漢のごとき人物。「悪名高きエース」の愛称を持ち、図抜けた操縦技術と計算し尽くされた航空理論を持つ頭脳派の大ベテランであり、数多くのエースたちが賛辞を送り慕った。 特に局地戦闘機「雷電」の操縦者として有名。 戦後を生き抜き、地元四国で酒屋を営む一方で海軍時代の友人と金を出し合って購入した小型機で、漁協組合の仕事にも関わっていたという。
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赤松貞明とは、大日本帝国海軍航空隊に所属した実在の軍人である。

概説

1910年(明治34年)7月30日生まれ、高知県出身。
通称は「撃墜王」(当人曰く「撃墜王の中の撃墜王」)、愛称は「松っちゃん」。

1928年(昭和3年)に佐世保海兵団に四等兵として入隊し、その四年後の1932年(昭和7年)に第17期操練を卒業した戦闘機操縦者の古豪
岩本徹三が34期生、坂井三郎が35期生だったといえば、その古株ぶりが分かるだろう。ちなみにこの二人の大エースも、太平洋戦争期でいえば十分に古豪の部類に入る。

最終階級は中尉
日中戦争、太平洋戦争の両戦争に参加し、350機を撃墜した!! ……というのは本人の自己申告で、実際の撃墜スコアは30機前後とされている。それでも太平洋という戦場を戦い抜いた中では充分過ぎるレベルである。また、酔っている時はこの自己申告の撃墜数が100機ほど減ったが、それを差し引いても200機以上落としたことになり、少なくとも当人は「自分の撃墜数は200機以上」だと本気で信じていたことが伺える(この人の場合、妙に真実味を帯びているのがまた…)。

特に局地戦闘機雷電(三菱J2M)の乗り手として知られ、「赤松中尉といえば雷電」と航空隊軍史記ファンからも雷電乗りの印象が強い。

人物

誰が呼んだか、「海軍航空隊の名物男」
酒好き、喧嘩好き、女好きで、それを明け透けにやって見せた豪放磊落な人物であり、無頼漢のような生き方を地でやってのけた破天荒な御仁。
特に女遊びは後輩の「ゼロファイターゴッド」岩井勉も、「あまりに堂々とやるので笑うしかなかった(要訳)」と述懐している。
酒好き喧嘩好きも相当なもので、酔って暴れては上官が身元引き受けに来たほど。
それどころか、ある上官が体質的に空戦が苦手なことから、その人物を少し見くびっていた節もあった。
赴任先で現地住民の鶏やら豚やら盗んで問題になったことがある坂井三郎も彼の無頼漢振りには驚かされていたらしく、「下士官時代は勇気が有り余って若干の粗暴な振る舞いあり、と批判されたことがありました」とオブラートに包みながらも問題児であったことをハッキリと認めている。

とにかく「何をやらせても強かった」というのが赤松という人物らしく、運動は柔道相撲水泳剣道弓道をこなし、何より古豪も古豪という老練ながら第一線での活躍を続けた戦闘機操縦士としての技量と精神力はだれしもが認めるところだったそうな。
あとなかなかの男前という。

そして破天荒なエピソードの多さから「直感型ファイター」と思われがちだが、実際は確固たる独自の航空戦術理論を持っていかなる戦闘機をも乗りこなしたバリバリの頭脳派
雷電による「一撃離脱戦法」も、雷電という機体の特性を計算し尽くした末にたどり着いたものらしく、坂井三郎も「大先輩赤松中尉は頭脳明晰」とその切れ者ぶりを称賛している。
後輩への指導も、剛胆な性格とは反対に「チームプレイを基軸とした堅実で理論的な攻め」を重視しており、当時海軍航空隊に蔓延していた「一騎当千のエース頼み」という死亡率の高いやり方に苦言を呈している。
そして自身の腕前も一級品で、米軍の75機の大群に単機で突っ込み、無傷で1機撃墜して帰ってくるという頭のオカシイ(賛辞)戦果を挙げたこともある(のちに調査で事実と判明)。加うるに、この時の敵機は大戦中最優秀と謳われた新鋭機P-51、対して赤松が搭乗していたのはすでに旧式化著しかったゼロ戦であった。これについては「大群に単機で突っ込めば相手は味方の射線を気にして容易に攻撃できない」という、集団戦法の穴を突いた頭脳プレイだったりする。
ほかにも「F6F(ヘルキャット)をドッグファイトが苦手な雷電で迎撃して撃墜する」という、もう訳のわからない神業までやってのけており、自信家のサムライ坂井すらこの芸当に脱帽の意を表している。

豪快過ぎて上層部からは「粗暴な問題児」と看做されることも多かった(まあ、事実ではあったし)が、部下思いで人懐っこい人柄から多くの後輩操縦士たちに慕われ、卓越した頭脳も相まって航空隊の教官として数多くのエースたちを育て上げた。
粗暴な面も昇進により特務士官となってからはだいぶ改善されたらしく、坂井三郎も後年になって「赤松先輩は准士官・特務士官へと進級するにつれて人格にも磨きをかけていきました」と言及している。
自分の分隊にかつての弟子が配属され、その過酷な勤務を聞いて「コイツに一週間ぐらい休暇をやってくれ」と上司に掛け合い、「赤松の申し出なら仕方ない」と通してもらったことがあるあたり、上からもなんだかんだと信頼されていた模様。
まさに理想の上司である。


こんな感じで、掘れば掘るほどエピソードは枚挙に暇がないぐらいある。
それほど誰もに愛され尊敬された、“海軍航空隊の生き字引”というべき人物だった。

戦後は地元に帰って酒屋を経営する傍ら、その数年後には西日本軽飛行機協会に所属し、海軍時代の友人たちと金を出し合って購入した小型飛行機を余裕で乗り回している。
また、酒屋との兼業で漁協組合の業務もこなしていたという。
ただ酒好きが祟って晩年はアルコール依存症に陥り、1980年に69歳で肺炎を患ってこの世を去った。

生涯飛行時間6000時間、被撃墜回数0、被弾4発
間違いなくリアルチートであり、後先見てもこれほど愛された好漢もそういないだろう。

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