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概要編集

艦名は、宮崎県鹿児島県の県境に広がる霧島山にちなんで命名された。

同型艦として金剛比叡榛名がある。


1912年3月17日、三菱合資会社三菱造船所(現・三菱重工長崎造船所)で巡洋戦艦として起工。1913年12月1日進水、1915年4月19日就役。

1930年に第一次近代化改装を受け、魚雷に対する防御の一環でバルジが装着されて全幅が拡大し、機関出力は向上したが速力は低下した。

1936年に第二次近代化改装を受け、機関出力が136,000馬力に向上し、速力は29.8ノットとなった。


太平洋戦争開戦時、比叡と共に第3戦隊第2小隊を編成、真珠湾攻撃・インド洋作戦・ミッドウェー海戦に参加。


1942年11月14~15日の第三次ソロモン海戦第2夜戦に米艦隊と交戦した。

14日23時55分、霧島は探照灯を照射し、約1,000m先の米戦艦サウスダコタを発見する。サウスダコタは電源が落ち、レーダー、射撃管制装置、砲塔発動機、無線が使用不能の状態だった。

霧島の主砲にはヘンダーソン飛行場攻撃用の三式弾が装填されていたが、そのまま砲撃を開始。途中から徹甲弾に切替わった。日本艦艇から42発の命中弾を受けたサウスダコタは戦場から離脱した。

8,200m後方にいた米戦艦ワシントンは、日本側の探照灯照射で敵味方の区別がついたためレーダー照準による斉射を浴びせ、霧島には7分間に40cm砲弾9発が命中した。後部の2砲塔は破壊され、艦橋にも大被害を与え舵取機室を破壊した。艦上は大火災となり、霧島は左に旋回を続けて戦列から脱落した。

その後鎮火に成功し、人力操舵に切り替えて戦列復帰に努めたが、蒸気パイプが破損し高圧蒸気が噴出し機関部員の殆どが戦死するなど被害は甚大で、ほどなくして艦は停止した。総員退艦と艦の処分が命じられ、15日1時30分、サボ島西方11マイルの地点に左後部から沈没した。退避した乗員は照月などに救助された。


太平洋戦争に参加した日本戦艦12隻中、唯一戦艦同士の砲撃戦を行い、撃沈された艦であった。

スリガオ海峡海戦で撃沈された山城も「戦艦同士の砲撃戦を行った」内に数えられる場合もあるが、一方的に撃たれただけで、撃沈の主因も駆逐艦や魚雷艇の魚雷によるものである為、数に入れない場合が多い。


霧島の沈没から50年の月日が経過した1992年、アメリカの海洋考古学者ロバート・G・バラード率いる調査チームは、サボ島沖水深900mの海底に転覆した状態で沈んだ霧島の残骸を発見した。


その翌年進水したこんごう型2番艦(DDG-174)は、「きりしま」の名を継承した。何の偶然か、「きりしま」は「霧島」同様、三菱重工業長崎造船所製である。


諸元編集

新造時

全長214.6m
全幅28m
基準排水量26330t
満載排水量32306t
武装
  • 45口径35.6cm連装砲塔4基
  • 50口径15.2cm単装砲16門
  • 53cm魚雷水中発射管8本
装甲
  • 水線部203mm
  • 甲板19mm
  • 弾火薬庫甲板64mm
速力27.5ノット
乗員1221名

第二次改装後

全長222.7m
全幅31m
基準排水量31980t
満載排水量36668t
武装
  • 45口径35.6cm連装砲塔4基
  • 50口径15.2cm単装砲14門
  • 40口径12.7cm連装高角砲塔4基
  • 25mm連装機銃10基
航空兵装
  • 水上偵察機3機(カタパルト1基)
装甲
  • 水線部203mm
  • 甲板80mm
  • 弾火薬庫甲板125mm
速力29.8ノット
乗員1303名

関連タグ編集

大日本帝国海軍 戦艦 三菱重工

金剛型戦艦 戦艦金剛 戦艦比叡 戦艦榛名

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