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第三次ソロモン海戦

だいさんじそろもんかいせん

1942年11月12~15日に日米海軍により、アイアンボトム・サウンドで行われた海戦。
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概要

1942年(昭和17年)11月12~15日にかけてソロモン諸島ガダルカナル島近海で大日本帝国海軍連合国側海軍(アメリカ海軍・オーストラリア海軍)により行われた海戦

海戦の結果は連合軍の勝利となり、ガダルカナル島戦域での連合国側優位がほぼ確定した。


…ただし、そこに至るまでに連合軍側はいろんな意味で悪夢を味わうことになった。

本記事ではその過程を概説する。詳細についてはWikipediaの当該記事も参照されたい。


金剛と榛名がヘンダーソン飛行場を砲撃

太平洋戦争のガダルカナル島の戦いにおいて、アメリカ軍はガダルカナル島のヘンダーソン飛行場を保持することで制空権を確保していた。

日本軍は飛行場破壊のためラバウルから爆撃隊を出撃させていたが、ラバウルからガダルカナル島までは遠く、航続距離の長い零戦でも往復がやっとであった。このため満足に護衛を受けられず、米軍の迎撃で大損害を受けていた。

ガダルカナル島奪回にむけて陸軍第二師団が投入されるのに先立ち、10月13日に「金剛」「榛名」によるヘンダーソン飛行場への夜間砲撃が行われた。三式弾を使用したこの攻撃は成功し、ヘンダーソン飛行場は一時使用不可能になった。米軍はこの一夜を「地獄の一夜」と呼んでいる。


しかし、ヘンダーソン飛行場は直前に第2滑走路が完成していた。

砲撃後に偵察を行った海軍の偵察機が仰天して報告するも、受け取った司令部はこれを信じず(当時の日本軍の常識ではまともな滑走路を造るのに2~3ヶ月かかった)、直後に輸送船団によって揚陸された物資はすぐに第2滑走路から発進した航空機により焼き払われてしまった。

第二師団による総攻撃は失敗に終わり、破壊された第1滑走路もすぐ修復された。

海軍:「せっかく護衛して運んでやった物資を焼き払われるとはなにごとか」

陸軍:「海軍から頼まれた戦闘なのに、護衛してやるとかしてやらないとはどういうことだ」

などというやりとりがあったが南太平洋海戦でアメリカの空母機動部隊が壊滅したこともあり、新たに第38師団の増派が決定。この部隊は田中頼三少将の指揮する輸送船団に分乗した。

さらにそれと同時に比叡霧島以下の艦隊によるヘンダーソン飛行場への夜間砲撃が計画された。

この阿部弘毅中将率いる砲撃部隊の行動は米軍偵察機に発見され、アメリカ側はガダルカナルへの増援部隊を乗せた輸送船団を護衛していたダニエル・キャラハン少将率いる艦隊を迎撃に差し向ける事となり、後に「酒場の乱痴気騒ぎ」と称された海戦のお膳立ては整った。

 

この日はサボ島沖海戦のほぼ一カ月後であり、キャラハン艦隊の旗艦サンフランシスコはサボ島沖海戦でノーマン・スコット少将の旗艦として日本側の重巡洋艦古鷹、駆逐艦吹雪を撃沈、重巡洋艦青葉を撃破した武勲艦であった。もっともレーダーは旧式のままであった。

サボ島沖海戦とは違い艦隊には軽巡洋艦ヘレナの他にも最新のSGレーダーが搭載された軽巡洋艦アトランタジュノー、駆逐艦フレッチャーオバノンも加わっていたにもかかわらず、巡洋艦を前後にそれぞれ駆逐艦4隻で挟んだ単縦陣を取った艦隊の四番目にオバノンは配置され、フレッチャーに至っては最後尾に配置され、またキャラハン提督はかって艦長を務めた事からサンフランシスコに愛着があったのか、ヘレナを旗艦とする事も無かった。

司令官であるキャラハン少将は海軍補佐官、南太平洋部隊参謀長を務めるなどどちらかといえば陸上勤務が多いエリートコースを辿っていた人物であり艦隊指揮の経験は浅かった。日本艦隊に戦艦が含まれる事は偵察機からの報告にあり、それを相手に巡洋艦を主力とする艦隊で戦う事は決死的な任務であったが、昼間戦と違い相手との接近戦になりやすい夜戦に持ち込めれば勝機はあると判断していたのかも知れない。


前哨戦

11月12日昼、日本側の基地航空隊によりキャラハン艦隊と輸送船団への攻撃が行われた。

が、ここで威力を発揮したのが2隻のアトランタ級軽巡洋艦(「アトランタ」、「ジュノー」)で、優れた対空射撃能力を持っていた。

日本側は一式陸上攻撃機29機と零戦18機を投入したが、陸攻20機近くが未帰還となり、唯一与えた被害はサンフランシスコに体当たりした1機の損傷した一式陸上攻撃機によるもので、第二戦闘所が全焼し、機銃三基が破壊され、後方の対空誘導装置とレーダーが機能しなくなったのみであった。

 

13日夜戦

11月12日深夜~13日未明。

ガダルカナル島に激しいスコールがあり、阿部提督は作戦を中止して反転したが、天候が回復したために再度反転して作戦を決行することとなった。

しかし二度の反転で艦列は乱れ、飛行場砲撃に取り掛かろうとした時点では前方哨戒を行うはずの第四水雷戦隊が第十一戦隊に併走して追い越そうとしている状態であり、旗艦「比叡」が艦隊の先頭となっているのに阿部提督が気付いたのは、僚艦を見失い突出した形となった第四水雷戦隊の「夕立」、「春雨」が「比叡」の前を通り過ぎるのを見てからであり、間も無く入った敵艦隊発見の報告はまさに青天の霹靂であった。

一方のアメリカ艦隊もレーダーで日本艦隊を発見し、丁字態勢に持っていこうとしている折に駆逐艦が信号を読み間違えたり、鼻先まで迫った春雨と夕立に仰天した先頭の駆逐艦カッシングが急な左舷回頭を行い陣形が混乱、と早くも乱痴気騒ぎの様相を呈していた。



日本艦隊

第十一戦隊:戦艦比叡(旗艦)、霧島

第十戦隊:軽巡洋艦長良

 第六駆逐隊:駆逐艦(

 第十六駆逐隊:駆逐艦(雪風天津風

 第六十一駆逐隊:照月

第四水雷戦隊:駆逐艦朝雲

 第二駆逐隊:駆逐艦村雨夕立春雨五月雨

 第二十七駆逐隊:駆逐艦夕暮、白露時雨

※二十七駆は後方に居たため乱戦には参加せず。


アメリカ艦隊

第67.4任務部隊

重巡洋艦:サンフランシスコ(旗艦)、ポートランド

軽巡洋艦:アトランタジュノーヘレナ

駆逐艦:フレッチャーモンセンバートンアーロン・ウォードオバノンステレットラフィーカッシング

 

このように合計戦艦2隻、重巡洋艦2隻、軽巡洋艦4隻、駆逐艦23隻の艦隊がサボ島とガダルカナル島の間の、ちょうど浦賀水道ほどの海域にひしめく事になった。

大乱戦

この時、両艦隊の先頭に立っていたがアトランタを探照灯で照射し(日本側は「比叡」が照射したという説もあり)、その結果、暁とアトランタ共々集中放火を浴びた。暁は蜂の巣にされ僅か15分で轟沈した。一方、アトランタは比叡の初弾が艦橋に命中。アメリカ側の副将格であるノーマン・スコット少将が戦死し、その後も比叡や長良からの砲撃や、味方重巡サンフランシスコからの誤射、そして暁から発射された魚雷等で大きな被害を被り、翌日自沈処分された。一方で「比叡」もキャラハン艦隊の砲火を浴び、少なからぬ損害を受け、艦橋への被弾で砲塔への電線回路が切断されて一斉斉射が不可能になった。


キャラハン司令官はサンフランシスコにアトランタへの誤射を止めようと「射撃中止」を命じたが、艦内電話でなく隊内電話で命じた為に誤って味方全艦艇にその命令が伝わる、陣形がバラバラになっているのに「奇数艦は右舷、偶数艦は左舷を攻撃せよ」と命令を出すなど、アメリカ側の混乱を助長させた。

ソロモンの悪夢

僚艦である春雨を見失い、単艦で敵中に突入する形となった夕立は手当たり次第に攻撃し、敵巡洋艦や駆逐艦に損害を与えた。しかし、状況に不明な点が多く、米軍側で確認された戦果は重巡ポートランドへの魚雷命中のみである。

ちなみに夕立には長良からの誤射があったと言われる。艦長が「味方だけど撃ってくるなら撃ち返していいよね」と言い出したがさすがに止められたとか。


32分間の敵味方入り乱れた過激なダンスパーティーの末に夕立が大破航行不能になった頃、三式弾を徹甲弾に換えた戦艦霧島はサンフランシスコ艦橋に命中弾を与え、キャラハン提督の司令部を吹き飛ばしていた。

戦艦と駆逐艦の一騎打ち

戦艦比叡は駆逐艦ラフィーと並走しつつの距離10mで撃ち合い、ラフィーは比叡艦橋にいた将官多数を負傷させた。またラフィーは魚雷も打ち込んだが「比叡」との距離が近すぎて安全装置が作動し全て不発となった。比叡は五月雨からも機銃の誤射を受けた。

比叡の艦内電話・通信装置は使用不能となり、操舵機能も喪失した。

ラフィーは日本の駆逐艦隊を突破し霧島を攻撃に向かったが、魚雷を受けて沈没した。

泣きっ面に蜂のアメリカ艦隊

この夜の戦闘は余りにも近距離で行われたため、戦艦や重巡洋艦の主砲と駆逐艦の魚雷が当たらず、主に副砲や機銃で撃ち合う戦闘になった。

アメリカ側は最後尾にいた駆逐艦フレッチャー以外は悉く沈没・損傷する事となり、アトランタは戦闘による損傷が激しいことから自沈処分され、姉妹艦のジュノーも大破し後退するも「伊26」潜水艦の雷撃を受け轟沈。友軍艦隊が潜水艦の攻撃を恐れて去ったため、沈没時の100名の生存者は救助を待つ8日間の間に10名まで減った。

ジュノー乗組員だったサリヴァン5兄弟は全員が死亡し、以後アメリカ軍では、親族を分散配置する方針が徹底された。(映画『プライベート・ライアン』(スティーブン・スピルバーグ監督)のプロットに影響を与えた)


艦隊司令長官を含む提督が二人戦死を遂げ多大な損失を出しながらも、アメリカ艦隊は飛行場砲撃を阻止する事に成功した。


日本艦隊喪失艦:夕立、暁

アメリカ艦隊喪失艦:アトランタ(自沈処分)、ジュノー(午前中に潜水艦の雷撃により沈没)、カッシング、モンセン、ラフィー、バートン

 

13日昼戦

漂流する比叡は救援の駆逐艦部隊が到着するまでに同じく操舵不能のポートランドと遭遇、砲撃を行うが命中弾は無かった。

乗員退艦後漂流していた夕立は、ポートランドからの砲撃で沈没した。

 

夜が明けると行動不能となった比叡に、ヘンダーソン飛行場からの米軍機が次々と襲いかかった。

日本側は航空母艦隼鷹によりなんとか上空援護を行っていた。

隼鷹は延べ23機の艦戦、3機の艦爆、5機の艦攻を直掩に送り、艦戦5機を失っている。

そこに現れたのが南太平洋海戦で戦没したはず(と日本側が勝手に思い込んでいた)の空母エンタープライズだった。ニューカレドニア島で修理中だったが、ヘンダーソン飛行場へ航空機を輸送するべく艦内で作業員が修理を行いながら駆けつけたのであった。

エンタープライズから飛行場へ向かう途中の第10雷撃隊が比叡を発見して雷撃し、ヘンダーソン飛行場で補給を済ますと、海兵隊機と共に再び攻撃しに戻ってきた。総員退艦と注水弁開けが命じられ、やがて比叡は沈没した。雷撃処分が実行されたかどうかは不明である。

日本海軍にとって太平洋戦争における初の戦艦の喪失となった。

 

翌日、エンタープライズ航空隊はヘンダーソン飛行場の航空隊と共に田中少将の指揮する輸送船団を攻撃し11隻中6隻を撃沈。更にはヘンダーソン飛行場砲撃を行った帰りの外南洋部隊を攻撃し、衣笠を撃沈、鳥海を大破させた。

一方、後退した霧島を主力とする挺身隊はオントンジャワ島沖で待機していた近藤信竹中将率いる第二艦隊(金剛、榛名、隼鷹主力)と合流して艦隊の再編を行い、挺身隊には第二艦隊旗艦愛宕、高雄らも同行する形で再びヘンダーソン飛行場砲撃を行うことになった。

 

日本艦隊喪失艦:比叡、衣笠、輸送船6隻、

15日夜戦

再びヘンダーソン飛行場砲撃に向かう霧島を主力とする日本艦隊に対して南太平洋部隊司令長官ウィリアム・ハルゼー中将は参謀の反対にも構わず、第16任務部隊からウィリス・リー少将を司令官に新鋭戦艦ワシントンサウスダコタと駆逐艦4隻の部隊を抽出して迎撃に向かわせた。駆逐艦は燃料の残りが充分にあるものが選ばれ、駆逐艦ウォーク艦長のトーマス・E・フレーザー中佐が臨時の駆逐隊司令となる状態の寄せ集め艦隊であった。

この艦隊は日本軍偵察機に発見されたが、偵察員はこの小部隊を「巡洋艦2隻、駆逐艦4隻」と過少報告し、これを受けた日本側は掃射隊である第三水雷戦隊で相手をすれば充分と判断した。


日本艦隊

第二艦隊

第十一戦隊:戦艦霧島

第四戦隊:重巡洋艦高雄愛宕(旗艦)

第六十一駆逐隊:照月

第四水雷戦隊:朝雲

第十戦隊:軽巡洋艦長良、駆逐艦五月雨

第三水雷戦隊川内

 第十一駆逐隊:駆逐艦初雪白雪

 第十九駆逐隊:駆逐艦綾波敷波浦波


アメリカ艦隊

第64任務部隊

戦艦:サウスダコタ、ワシントン(旗艦)

駆逐艦:ウォークグウィンベンハムプレストン

 

サウスダコ」、ワシントンは新鋭戦艦で、主砲はSHS(スーパーヘビーシェル)弾を使用可能、SG索敵レーダーやMK3射撃管制レーダー(初期射撃管制レーダーでMK8、MK13より低い性能だった)を装備していた。

サウスダコタには「艦隊の疫病神」のあだ名があったとされるが、「戦艦ワシントン/米主力戦艦から見た太平洋戦争」(イヴァン・ミュージカント)にそう書かれているだけなので、実際のところは不明。

綾波、「ソロモンの鬼神」のあだ名を頂戴する

ガダルカナル島海域に突入するにあたり、日本艦隊は4つに分けられた。近藤提督率いる霧島、愛宕、高雄、朝雲、照月の本隊はショートランド諸島の西岸沖合からサボ島西岸沖合を通過、第十戦隊司令官木村進少将率いる長良、電、白雪、初雪、五月雨はサボ島西岸沿いを通過、第三水雷戦隊司令官橋本新太郎少将率いる川内、浦波、敷波は東岸を南下、綾波はサボ島の西岸を南進した。

米艦隊と接触した橋本隊は戦艦の砲撃を受け予想外の強敵と知り、煙幕を張って退避しながらも攻撃のチャンスを窺ったが、単艦で南進していた綾波は成り行き上、敵駆逐艦部隊に突入する形となり、旗艦ウォークを撃沈、プレストン、ベンハムを大破、グウィンを損傷させ同部隊を壊滅させた。

大破した2隻の米駆逐艦は木村隊の攻撃も受け、プレストンは撃沈され、ベンハムも翌日の日中に自沈に追い込まれた。

綾波の砲弾は戦艦サウスダコタの艦橋にも命中し、人的ミスも重なって電源が落ち、レーダー、射撃管制装置、砲塔発動機、無線が使用不能となった。

「綾波」は米駆逐艦との戦闘による損傷やサウスダコタ、ワシントンの副砲射撃で沈没した。

(アメリカ側では駆逐艦隊壊滅は、綾波が壊滅状態にした後に木村隊が止めを刺したというものではなく、あくまでも綾波と木村隊双方のほぼ同時の攻撃によるものとされ、サウスダコタの電源が落ちたののも人的ミスのみの結果とされている)


ワシントンは前方に撃沈された味方駆逐艦からの脱出者が多数漂流しているを発見し、救命具を放出するため左に舵を取った。サウスダコタはこれに気付かず、2隻の間は分離することになった。

サウスダコタ、ボコされ逃げ出す

対決の第1ラウンドは、霧島、愛宕、高雄対サウスダコタであった。霧島、愛宕の探照灯に照射され、至近距離から霧島、愛宕、高雄の砲撃を受けたサウスダコタは多数の命中弾を受け中破し、更に愛宕、高雄、朝雲は10本以上の魚雷を発射発射したが、全てサウスダコタの手前で自爆してしまった。しかし日本側はこれらの砲雷撃でこれを撃沈確実としていた。

実際はサウスダコタは上部構造物や第3砲塔に損害を受けたもの機関は全く無傷であったが、レーダー・射撃管制システムに損傷を受けて戦闘継続は困難であり、更にワシントンとも逸れ、レーダー・通信状態が麻痺した現状で、状況を掴みきれぬまま交戦を続ける事は不利と判断し、艦長のトーマス・ガッチ大佐は戦線離脱を命じた。

 

ワシントンはレーダーに日本戦艦らしき艦を捉えていたが、同士討ちを恐れ砲撃を控えていた(サウスダコタが停電で通信不能だったため、どちらが日本戦艦か分からなかった)。

しかし霧島が探照灯を使用してサウスダコタを砲撃したことで、敵味方が明確になると、第2ラウンドが幕を上げた。

霧島「敵艦1隻に対し我が方13隻!勝ったッ!大東亜戦争ガダルカナルの戦い完!」

第2ラウンドは、日本艦隊13隻対ワシントンただ1隻となった。

しかし闇の中、サウスダコタを砲撃中だった霧島はワシントンから突如一方的にレーダー射撃による斉射を受けて大破した。

これは太平洋戦争初のレーダー射撃による戦果であり、ワシントンに座乗するウィリス・リー提督もレーダー射撃のエキスパートだった。

ワシントンは日本戦艦を撃沈したと判断して砲撃を中止したが、すぐ霧島からの反撃があった。しかしワシントンには一発の命中弾も与えられなかった。

霧島は攻撃を再開したワシントンのレーダー射撃により次々と命中弾を与えられて航行不能となり、後に自沈処分となった。


ワシントンは輸送部隊を攻撃するため北西に転進したが、同方向へ撤退しつつあった愛宕、高雄と並走する形となった。

愛宕、高雄が砲撃を行いながら30本以上の魚雷を発射したが、全てワシントンの数十メートル手前で爆発してしまった。

今後も魚雷攻撃を受ける可能性に配慮したリー司令官は、追撃を打ち切り撤退する事にした。

反転したワシントンを追跡していた長良、電、初雪、五月雨が20本近くの魚雷を発射したが、全てワシントンの数十メートル手前で爆発してしまった。爆発音を聞き、ワシントンを撃沈したと判断した日本軍は北方に離脱した。

海戦中、ワシントンには駆逐艦の12.7cm砲弾が1発当たったのみであった。

ちなみにワシントンはその後もマリアナレイテと各地を転戦。戦時中を通して戦死者0人を記録し、敵弾が当たったのは第三次ソロモン海戦での砲弾1発だけであった。

「どうしてこうなった」

当時の日本の魚雷は信管の感度の調整ができた。魚雷の不発を恐れ感度を最大限に上げていたため、ワシントンの引き波(船が進む際に船首から出る、上から見るとV字型の波)にぶつかっただけで、片っぱしから自爆してしまったのである。

この問題はスラバヤ沖海戦で判明していたにもかかわらずにである。魚雷の開発者は「感度調整機能を付けたのは間違いだった」と回想した。(もっとも第二水雷戦隊参謀だった人物は、爆発尖は使用時以外取り出せず、水雷科員は爆発尖の調整法など教育されておらず、爆発尖試験器は水雷戦隊旗艦にしかなく、艦内で爆発尖調整など出来る筈が無いと反論している)

ちなみに米軍側は、魚雷の進路に綾波が壊滅させた米駆逐艦の残骸が浮かんでおり、それに当たって爆発したと考えていた。一部の魚雷早発についてはその可能性もある。

田中少将、増援として駆逐艦2隻を送る

すぐ後方にいた田中少将の輸送部隊は近藤艦隊の増援として駆逐艦陽炎、親潮を送った。

アイアンボトム・サウンドから離脱するアメリカ軍戦艦1隻(恐らくワシントン)を発見、親潮は距離1kmまで近づき魚雷を発射するが外れる。陽炎は乗組員の判断ミスで魚雷を発射できなかった。


日本艦隊喪失艦:霧島、綾波

アメリカ艦隊喪失艦:ウォーク、ベンハム、プレストン

最終局面

日本軍の輸送船部隊を指揮していた田中少将は一連の混乱を利用することにした。彼は輸送船団をガダルカナル島の海岸に突っ込ませて座礁させ、第38師団の将兵や物資の揚陸に成功した。

しかし、夜が明けると空爆と陸上からの砲撃により、座礁していた輸送船は炎上。

個人で持ち運べる分しか食糧・装備を確保できなかった第38師団の将兵と、補給を心待ちにしていたガダルカナル島の将兵は途方に暮れることになった。


日本艦隊喪失:輸送船4隻

結果

両軍の戦艦を交えての海戦の結果は、参加した戦艦を2隻ともに喪失し、ガダルカナル島への輸送任務も阻止され、戦略的・戦術的に日本軍の完敗であった。

以降、日本軍はガダルカナル島への輸送船による補給作戦を断念。駆逐艦を用いた鼠輸送や潜水艦によるモグラ輸送に移行したが、駆逐艦の損耗が跳ね上がり、十分な補給を受けられず飢餓地獄と化したガダルカナル島は奪回どころではなくなり、日本が敗戦への坂道を転がり落ちる転機となってしまった。

とはいえ、海戦史に特筆される無双劇を敵駆逐艦に連夜繰り広げられた連合軍側にも衝撃は残った。


そして霧島と殴り合いを演じた両戦艦では…。

サウスダコタ側:「ワシントンが逃げたせいでえらい目に!」

ワシントン側:「なんやオラァ!助けたの誰や思うとるんじゃあ!」

と両艦の乗組員同士が留置所を満杯にする程のストリートファイトに及ぶ余録がつき、更には太平洋戦争終結後も両艦乗組員の間に遺恨として残り続けたという。


戦死したキャラハン提督とスコット提督は名誉勲章を受け、その名前は後に功績を称えて駆逐艦に命名された。

それに対し、太平洋戦争初の日本戦艦の損失となった比叡は昭和天皇の御召艦であったためか、艦長西田正雄大佐は海軍大臣嶋田繁太郎大将によって査問会にすらかけられずに予備役に編入された。

また、第十一戦隊司令官の阿部提督も予備役に編入された。


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