概要
特に70年代から90年代にかけて『ジョーズ』『E.T.』『ジュラシック・パーク』といったメガヒット作を送り出し、「世界でもっとも成功した映画監督」と言われる大御所監督。
ジョージ・ルーカスとともに、それまでB級映画扱いだったSF映画・パニック映画を、大予算で作られるファミリー向けメジャージャンルに引き上げ、映画史に大きな影響を及ぼした。
日本でも山崎貴等、多くのクリエイターに影響を与えている。
来歴
1946年12月18日、オハイオ州シンシナティのユダヤ人の家庭に生まれる。
子供のころから映像に夢中で、後に「ウォルト・ディズニーこそ僕の生みの親で、テレビは育ての親だ」と語ったほど。ほか、スタンリー・キューブリック、デヴィッド・リーン、黒澤明、アルフレッド・ヒッチコック、『ゴジラ』などの諸作品を好んだ。
幼少期、学校ではいじめに遭い、両親は不仲で離婚してしまうという、孤独な少年時代を送った。このときの経験が後の作風に大きな影響を及ぼしている。
12歳のころには8mmカメラで短編映画を、14歳のころには40分ほどの戦争映画を撮っていた。
17歳のころにユニバーサル・ピクチャーズへ勝手に潜り込んで人脈をつくり、大学時代にはハリウッドを行き来して現場を学んだ。そこで撮った『Amblin』がユニバーサルの副社長に気に入られ、テレビ映画の監督として契約。
1972年、テレビ映画として撮った『激突!』が海外では劇場上映されるほどの好評を得ると、1974年に『続・激突! カージャック』(『激突!』の続編ではない)で劇場映画監督デビューした。
1975年、『ジョーズ』が当時の世界最高興行記録を打ち立てる。
1994年にはドリームワークスを設立している。
人物
- ジョージ・ルーカスとは長年の親友。ルーカスが学生時代に撮った『電子的迷宮/THX 1138 4EB』の出来に嫉妬し、ライバル視していた。『ジョーズ』の興行記録世界一を上書きしたのもルーカスの『STARWARS』だった。『インディ・ジョーンズシリーズ』は二人のタッグで作られている。
- 親日家。先述したように、黒澤明や『ゴジラ』が幼少期から好きであった。
- 黒澤に対しては、1988年の『夢』の製作に関与している。1990年にはルーカスとともに黒澤へアカデミー名誉賞を贈った。また、黒澤映画の常連である三船敏郎を『1941』に出演させている。
- ゴジラに関しては1998年のハリウッド版リメイクの監督候補でもあったが実現せず、実際に監督することになったローランド・エメリッヒにやめるよう警告したと言われている。それから20年後の2018年、メカゴジラが客演した『レディ・プレイヤー1』を監督し、とうとう「ゴジラの登場する映画」を撮ることになった。
- 2023年に公開された『ゴジラ-1.0』に関しては、アカデミー賞のノミニート・ランチョン(ノミネートされた映画の関係者を招いた昼食会)で山崎貴氏に「3回観た」と伝え、その出来栄えを称賛、さらに同作でFXコンポーザーを務めた野島達司氏にも「水の表現が素晴らしかった」と惜しみない賛辞を贈った(リンク)。なお、この時山崎氏からはお礼に同作で登場したゴジラのフィギュアをプレゼントされている(リンク)。
- コンピューターゲームも好きで、家庭用ゲーム機はことごとく所持している
- 撮影が早い。『プライベート・ライアン』は2ヶ月で撮り終わった。
- リメイクや続編で興行を確保するのは安易だと考えており、やりたがらない。『ジョーズ』の続編はノータッチ、『E.T.』の続編要請は断固拒否し、『ジュラシック・パーク』は3以降監督から製作に回った。例外は『インディ・ジョーンズ』。
- 大衆向けの娯楽映画と、賞レース向けの社会派・歴史映画を平行して制作し、同時期に発表する傾向がある。
- 反戦主義者である一方、ミリタリーオタクでもあり、戦争映画の歴史考証には定評がある。特に『プライベート・ライアン』の冒頭20分のリアルさは戦争映画の歴史を変えたと言われる。
- NHKの番組『クローズアップ現代』でインタビューを受け、子供の頃から映画に夢中だったが、女の子となかなか付き合えなかった内気な少年時代だったと回想し、あの頃の自分は今で言う「オタク」だったと述べた。
- 2012年に自身が幼少期に学習障害(発達障害)であったことを公表。同級生に比べて読み書きが遅く、そのためいじめも受けたという。
作品
監督
『激突!』1971年
『続・激突! カージャック』1974年
『ジョーズ』1975年
『未知との遭遇』1977年
『1941』1979年
『インディ・ジョーンズシリーズ』1981年/1984年/1989年/2008年
『E.T.』1982年
『トワイライトゾーン/超次元の体験』(第2話)1983年
『カラー・パープル』1985年
『太陽の帝国』1987年
『オールウェイズ』1989年
『フック』1991年
『ジュラシック・パーク』1993年/1997年(1,2作目)
『シンドラーのリスト』1993年
『アミスタッド』1997年
『プライベート・ライアン』1998年
『A.I.』2001年
『マイノリティ・リポート』2002年
『キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン』2002年
『ターミナル』2004年
『宇宙戦争』2005年
『ミュンヘン』2005年
『タンタンの冒険/ユニコーン号の秘密』2011年
『戦火の馬』2011年
『リンカーン』2012年
『ブリッジ・オブ・スパイ』2015年
『BFG:ビッグ・フレンドリー・ジャイアント』2016年
『ペンタゴン・ペーパーズ/最高機密文書』2017年
『レディ・プレイヤー1』2018年
『ウエスト・サイド・ストーリー』2021年
『フェイブルマンズ』2022年
製作
(監督作を除く)
『ポルターガイスト』1982年 - 脚本兼任
『アメリカ物語2/ファイベル西へ行く』1991年
『SAYURI』2005年
『父親たちの星条旗』2006年
『硫黄島からの手紙』2007年
『SUPER8/スーパーエイト』2011年
『マダム・マロリーと魔法のスパイス』2014年
『シカゴ7裁判』2020年
『インディ・ジョーンズと運命のダイヤル』2023年
製作総指揮
1980年代からは製作総指揮(プロデューサー)としてのクレジットも多い。総指揮としての役割は決まっておらず、単に映画にハクをつけるため・スピルバーグが自作の資金を確保するための名義貸しから、実際に内容に関与しているものまで、まちまちである。
『グレムリン』1984年/1990年
『ヤング・シャーロック ピラミッドの謎』1985年
『バック・トゥ・ザ・フューチャーシリーズ』1985年/1989年/1990年
『グーニーズ』1985年
『ニューヨーク東8番街の奇跡』1987年
『ロジャー・ラビット』1988年
『タイニー・トゥーンズ』(アニメ)1990-1995年
『アニマニアックス』(アニメ)1993-1999年
『恐竜大行進』(アニメ)1994年
『キャスパー』1995年
『ピンキー&ブレイン』(アニメ)1995-1999年
『メン・イン・ブラックシリーズ』1997年/2002年/2012年/2019年
『ディープ・インパクト』1998年
『マスク・オブ・ゾロ』1998年/2005年
『キャスト・アウェイ』2000年
『バガー・ヴァンスの伝説』2000年
『シュレック』2001年
『ジュラシック・パークⅢ』2001年
『トランスフォーマーシリーズ』2007年/2009年/2011年/2014年/2017年/2018年
『ラブリーボーン』2009年
『トゥルー・グリット』2010年
『カウボーイ&エイリアン』2011年
『リアル・スティール』2011年
『ファースト・マン』2018年
『CATS』2019年
『ザ・ターニング』2020年