概要
1928年7月26日生まれ。ニューヨーク州ニューヨーク市ブロンクス出身。
16歳のときに撮った写真が『ルック』誌に掲載され、見習いカメラマンとして入社。その間にドキュメンタリーを制作するようになり、映画の道を進み始める。
1953年、初の長編劇映画となる『恐怖と欲望』を監督するも、興行的は振るわなかった。
3作目の『現金に体を張れ』で注目を浴び、4作目の『突撃』がヒット。5作目となる『スパルタカス』で初めて大作を任される。
『博士の異常な愛情』『2001年宇宙の旅』『時計じかけのオレンジ』のSF3部作で世界的映像作家として認知されるに至る。
1999年3月7日没。生前に企画していた『A.I.』は、キューブリックと親交の深かったスティーブン・スピルバーグに引き継がれた。
作風
極めて作家性の強い監督の一人である。
独特の癖のある演出やカメラ構図、あまり起伏はないが映像で見るものを引き付ける作品づくりなどが大きな特徴である。そのため、人によっては好き嫌いが極端に分かれる作風の持ち主だが、ハマる人はとことんハマる。
生涯監督した作品のほとんどで自ら脚本を執筆しており、作品の制作に入る前には膨大な資料をかき集めて読みふけり、2001年宇宙の旅の共同執筆者であるアーサー・C・クラークによれば『専門家並みの知識をつけていた』とのこと。
また、映画の撮影中にも場面場面でもっとも適した映像を取るために、常に何かしらの本を読んでいたという。
またジャズ奏者という経歴から、音楽には並々ならぬこだわりがあったようで、古いクラシック曲などを劇中でも効果的に使用している。
社会風刺や芸術性の高い作品を多く制作しており、基本的に大衆向けの娯楽作品はあまり撮らない監督だが、一部例外もある(『シャイニング』など)。
もともとカメラマン志望だったこともあり、画作りには並々ならぬこだわりがあった。
俳優やオブジェを真下から見上げるアングルや、カメラに対して俳優を上目遣いに睨ませるといった演出を好んで多用している。特に移動撮影技術に関しては評価が高く、まだステディカム(手持ち撮影した際にカメラがブレないようにする機材)が発明される以前から好んで多用しており、『突撃』など初期の作品の頃から、今よりもはるかに大きく重いカメラを担いでほとんどブレのない映像を撮っていたのは特筆に値する(当時は固定カメラでの撮影が一般的であった)。
また、自身も移動撮影はプロのカメラマン顔負けの技術を持っており、自らカメラを持って移動撮影を行うなど、カメラマンとしての手腕も確かであった。「シャイニング」以降は移動撮影の技術が飛躍的に向上し、若いスタッフでもステディカムなどを使って比較的簡単に撮れるようになった。
俳優については大スターを起用することを嫌ったが、既に名の売れた役者が出演するケースも少なくない。演技に関しては「少し大袈裟な方が面白い」と述べている。また、ロナルド・リー・アーメイなど、作品への出演を通してキューブリックと友人になった者も多い。好きな俳優はジェームズ・キャグニー、フィリップ・ストーン、ジャック・ニコルソン他多数。
人物
生涯、異常なまでの完璧主義者として知られ、その逸話には暇がない。
リテイク50回以上は当たり前。132回もリテイクして撮影したシーンを本編からカットしたことも。そのため撮影期間がかさみ、遺作となった『アイズ・ワイド・シャット』は「撮影期間最長の映画」としてギネス登録されている(およそ400日)。
映画の製作から公開までの全工程にかかわり、外国語への翻訳も再翻訳させて監修した。
知人の不幸から大の飛行機嫌いになり、イギリスに移住してからは国外に出ることは滅多になかった。異国の風景は国内ロケやセットを使って撮影した。
あまり私生活を語らない性格だったためかミステリアスな面だけが誇張され、現在では気難しい天才監督と言う誇張された人物像で語られることが多いが、一緒に仕事をしていた当時のスタッフや知人の談によれば、少し引っ込み思案だが人懐っこい人物だったことが分かる。
同じ映画監督では特にスティーブン・スピルバーグと親交が深く、映画の感想を聞き合ったり、電話でやり取りをするなど、長きに渡り交流を続けていた。
作品
作品のほとんどは小説を原作としているが、独自性の強い作風故に大胆な脚色が行われているものが多い。
その最たる例がシャイニングであり、原作と全く異なる内容だったためにスティーブン・キングから批判された。
『拳闘試合の日』1951年
『空飛ぶ牧師』1951年
『海の旅人たち』1952年
『恐怖と欲望』1953年
『非情の罠』1955年
『現金に体を張れ』1956年
『突撃』1957年
『スパルタカス』1960年
『ロリータ』1962年
『博士の異常な愛情 または私は如何にして心配するのを止めて水爆を愛するようになったか』1964年
『2001年宇宙の旅』1968年
『時計じかけのオレンジ』1971年
『バリー・リンドン』1975年
『シャイニング』1980年
『フルメタルジャケット』1987年
『アイズ・ワイド・シャット』1999年
関連タグ
手塚治虫…日本の漫画家。同い年であり、共にチャップリンから強い影響を受けた点で共通している。
元々、鉄腕アトム放送開始の翌年にキューブリックから「2001年宇宙の旅(当初は脚本はおろかタイトルすら決まっていなかった)」への参加を求められた手塚だったが、英語が話せない上、2年間もロンドンに滞在することを拒否したため、惜しみながらも断った。
手塚はキューブリックに「200人もの人達(従業員)を食べさせなければならない故、家を空けるわけにはいかない」との手紙を送ると、手塚に200人も家族がいると勘違いしたキューブリックから返事が届き、大笑いしたとエッセイで語っている。
山崎貴…日本の映画監督・VFXディレクター。キューブリックと並び、アカデミー賞の視覚効果賞を監督として受賞した数少ない人物の1人である。
外部リンク
スタンリー・キューブリックとは (スタンリーキューブリックとは) - ニコニコ大百科