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概要編集

アカデミー賞(Academy Awards)は、世界で最も知名度の高いアメリカの映画賞である。

受賞者には「オスカー像」と呼ばれる金メッキの人型の彫像が贈られることから、単に「オスカー」とも呼ばれ、受賞歴を持つ役者は「オスカー俳優」などと呼ばれる。


TVにおける「エミー賞」、舞台における「トニー賞」、音楽における「グラミー賞」と同列の存在。

基本的には「授賞式前年の1年間に、アメリカ国内で公開された作品」が選考対象となる。

毎年2月に授賞式が行われる。


功罪編集

世界的にも非常に注目度の高いイベントであるため、受賞結果が興行成績やキャリアに多大な影響を及ぼすことになる。


だがあくまでアメリカの国内賞であるため、歴代受賞者が白人に偏っていたり、2017年以降はドナルド・トランプへの対抗で黒人のノミネートを急増させたりと、アメリカの国内情勢に左右されやすい。なお東洋人は裏方関係の賞がほとんど。

これは音楽グラミー賞にも言えることである。


またアカデミー賞を選ぶ会員は、ハリウッド監督俳優などいわゆる「同業者」にあたるため、業界で嫌われていたり嫉妬されていたりすると、実力があってもなかなか受賞できなかったりする。

某女優が受賞した時の第一声は「みんな、私のこと嫌いじゃなかったのね!」だった。


作品賞一覧編集

作品名備考
1927/28年(第1回)つばさ史上初の作品賞
1928/29年(第2回) ブロードウェイ・メロディー
1929/30年(第3回)西部戦線異状なし
1930/31年(第4回)シマロン
1931/32年 (第5回)グランド・ホテル
1932/33年(第6回)カルヴァケード
1934年(第7回)或る夜の出来事史上初の主要5部門受賞
1935年(第8回)戦艦バウンティ号の叛乱
1936年(第9回)巨星ジーグフェルド
1937年(第10回)ゾラの生涯
1938年(第11回)我が家の楽園
1939年(第12回)風と共に去りぬ
1940年(第13回)レベッカ
1941年(第14回)わが谷は緑なりき
1942年(第15回)ミニヴァー夫人
1943年(第16回)カサブランカ
1944年(第17回)我が道を往く
1945年(第18回)失われた週末
1946年(第19回)我等の生涯の最良の年
1947年(第20回)紳士協定
1948年(第21回)ハムレット史上初の外国映画の受賞
1949年(第22回)オール・ザ・キングスメン
1950年(第23回)イヴの総て歴代最多14部門ノミネート
1951年(第24回)巴里のアメリカ人
1952年(第25回)地上最大のショウ
1953年(第26回)地上より永遠に
1954年(第27回)波止場
1955年(第28回)マーティ
1956年(第29回)八十日間世界一周
1957年(第30回)戦場にかける橋
1958年(第31回)恋の手ほどき
1959年(第32回)ベン・ハー歴代最多11部門受賞
1960年(第33回)アパートの鍵貸します
1961年(第34回)ウエスト・サイド物語
1962年(第35回)アラビアのロレンス
1963年(第36回)トム・ジョーズの華麗な冒険
1964年(第37回)マイ・フェア・レディ
1965年(第38回)サウンド・オブ・ミュージック
1966年(第39回)わが命つきるとも
1967年(第40回)夜の大捜査線
1968年(第41回)オリバー!
1969年(第42回)真夜中のカーボーイ
1970年(第43回)パットン大戦車軍団
1971年(第44回)フレンチ・コネクション
1972年(第45回)ゴッドファーザー
1973年(第46回)スティング
1974年(第47回)ゴッドファーザー PERT Ⅱ史上初の続編の受賞
1975年(第48回)カッコーの巣の上で史上2回目の主要5部門受賞
1976年(第49回)ロッキー
1977年(第50回)アニー・ホール
1978年(第51回)ディア・ハンター
1979年(第52回)クレイマー、クレイマー
1980年(第53回)普通の人々
1981年(第54回)炎のランナー
1982年(第55回)ガンジー
1983年(第56回)愛と追憶の日々
1984年(第57回)アマデウス
1985年(第58回)愛と哀しみの果て
1986年(第59回)プラトーン
1987年(第60回)ラストエンペラー
1988年(第61回)レインマン
1989年(第62回)ドライビング Miss デイジー
1990年(第63回)ダンス・ウィズ・ウルブズ
1991年(第64回)羊たちの沈黙史上3回目の主要5部門受賞
1992年(第65回)許されざる者
1993年(第66回)シンドラーのリスト
1994年(第67回)フォレスト・ガンプ/一期一会
1995年(第68回)ブレイブハート
1996年(第69回)イングリッシュ・ペイシェント
1997年(第70回)タイタニック史上最多14部門ノミネート、11部門受賞
1998年(第71回)恋におちたシェイクスピア
1999年(第72回)アメリカン・ビューティー
2000年(第73回)グラディエーター
2001年(第74回)ビューティフル・マインド
2002年(第75回)シカゴ
2003年(第76回)ロード・オブ・ザ・リング/王の帰還史上最多11部門受賞
2004年(第77回)ミリオンダラー・ベイビー
2005年(第78回)クラッシュ
2006年(第79回)ディパーテッド史上初の外国語映画のリメイク作品の受賞
2007年(第80回)ノーカントリー
2008年(第81回)スラムドッグ$ミリオネア
2009年(第82回)ハート・ロッカー
2010年(第83回)英国王のスピーチ
2011年(第84回)アーティスト史上初の非英語圏映画の受賞
2012年(第85回)アルゴ
2013年(第86回)それでも夜は明ける
2014年(第87回)バードマンあるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)
2015年(第88回)スポットライト 世紀のスクープ
2016年(第89回)ムーンライト対抗馬の『ラ・ラ・ランド』が最多14部門ノミネート
2017年(第90回)シェイプ・オブ・ウォーター
2018年(第91回)グリーンブック
2019年(第92回)パラサイト半地下の家族史上初の外国語映画の受賞
2020/21年(第93回)ノマドランド
2021年(第94回)コーダあいのうた史上初のストリーミング配信映画
2022年(第95回)エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス
2023年(第96回)オッペンハイマー


日本人受賞者編集

  • 黒澤明(1952年 外国語映画賞「羅生門」、1976年 外国語映画賞「デルス・ウザーラ」、1990年 名誉賞)
  • 衣笠貞之助(1954年 外国語映画賞「地獄門」)
  • 和田三造(1954年 衣装デザイン賞「地獄門」)
  • 稲垣浩(1955年 外国語映画賞「宮本武蔵」)
  • ミヨシ・ウメキ〈ナンシー梅木〉(1958年 助演女優賞「サヨナラ」)
  • ワダ・エミ(1986年 衣装デザイン賞「乱」)
  • 坂本龍一(1988年 作曲賞「ラストエンペラー」)
  • 石岡瑛子(1993年 衣装デザイン賞「ドラキュラ」)
  • 伊比恵子(1996年 短編ドキュメンタリー映画賞「パーソナルズ~黄昏のロマンス~」)
  • 宮崎駿(2003年 長編アニメーション賞「千と千尋の神隠し」、2014年 名誉賞、2024年 長編アニメーション賞「君たちはどう生きるか」)
  • 加藤久仁生(2009年 短編アニメーション賞「つみきのいえ」)
  • 滝田洋二郎(2009年 外国語映画賞「おくりびと」)
  • 辻一弘/カズ・ヒロ(2017年 メイクアップ&ヘアスタイリング賞「ウィンストン・チャーチル/ヒトラーから世界を救った男」、2019年 メイクアップ&ヘアスタイリング賞「スキャンダル」)
  • 濱口竜介(2021年 国際長編映画賞「ドライブ・マイ・カー」)
  • 山崎貴、渋谷紀世子、高橋正紀、野島達司(2024年 視覚効果賞「ゴジラ-1.0」)



演技に対する評価でこの賞を獲得した日本人はミヨシ・ウメキただ一人である。

(なお受賞候補には、1957年の早川雪洲と2003年の渡辺謙が助演男優賞、2006年の菊地凛子が助演女優賞にノミネートされている。)




関連タグ編集

映画 映画賞 俳優 男優 女優 映画監督

グラミー賞 トニー賞 エミー賞


ウィル・スミスビンタ - 第94回授賞式におけるハプニング


外部リンク編集

アカデミー賞 - Wikipedia

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