アラビアのロレンス
本名はトーマス・エドワード・ロレンス。
オックスフォード大学で歴史を学び、学生時代から古城や遺跡を調査するのが好きで、考古学者として活動し、中東にも赴いた。
第一次世界大戦が始まるとロレンスはイギリス陸軍に入隊し、中東方面に配属された。
この時イギリスは敵国であったオスマン帝国(トルコ)を弱体化させるため、アラブ人に独立を煽る謀略を計画。アラブ語に堪能だったロレンスを諜報員として派遣。
後に初代シリア王となるファイサル一世と手を結び、アラブ人の遊牧民族(ベドウィン)にゲリラ戦法を指導し、彼らを率いた数々の奇襲攻撃をオスマン帝国各地で展開。
オスマン帝国の輸送路であるヒジャーズ鉄道を破壊し、帝国軍を鉄道に釘付けにするという戦略構想を立ち上げ、自らの手でそれを成し遂げたのである。神出鬼没のロレンス部隊による鉄道攻撃はオスマン帝国を疲弊させ、彼の怒濤の攻撃によって重要拠点であるアカバとダマスカスは攻略。アラブの反乱でオスマン帝国の弱体化に成功した。
当時からすでにイギリスでロレンスの活動は宣伝され、一種の英雄になっていた。
ところが、イギリスはアラブ独立の約束の一方でフランスと中東を分割統治を構想し、さらにユダヤ資本から資金調達のためにパレスティナにユダヤ人独立国家を約束するという二重外交をしていた。
大戦後にパリ講和会議にも出席したが、欧米の身勝手な中東対策に落胆。その後、ロレンスの身分を何度も隠し続け、1935年にオートバイの運転中に事故を起こし死去した。享年46歳。
既に戦争の英雄として認識されていたため、そのあまりにもあっ気ない死に民衆は納得が出来ず、陰謀死・暗殺説を主張する者もいた。
このロレンスの事故死から、バイク走行時におけるヘルメット着用の習慣が広まったとされている。
人物像
生涯独身で、46歳で死去するまで終生独り身を貫いた。
因みに彼の母親も、彼の父親とは結婚しておらず、名字の『ロレンス』は母方の姓である。
女性との交際遍歴は不明で、生涯貞操を守り通したいためとも、ホモだったとも言われているが、真相は定かでは無い。(証言ではちゃんと女性が好みだったという。ただ当時のイギリスでは同性愛は違法のため、本当だとしても言うわけがないのだが)。なお映画の中ではオスマン帝国の軍人に目をつけられ男色の相手をさせられたシーンが出てくるが、これは本人の手紙に出てくる話が元である。もちろん事実かどうかは証明のしようがないため、ロレンスの作り話を疑う研究者もいる。
上記の戦後の失望によって世間から自分の身を隠し続けたため、私生活がどのようだったかはわかっていない。
影響
彼のゲリラ戦術は各国に影響を与え、ベトナム戦争においても彼のゲリラ戦術は参考の一つとされた。これが、「ゲリラ戦術の父」たる呼ばれる所以である。現在の対テロ戦争での過激派やテロリストに少なからぬ影響を与えている。
映画『インディ・ジョーンズ』の主人公インディは、ロレンスとは良き考古学仲間で、友人関係にあると言う設定である。これは監督のスティーブン・スピルバーグが映画『アラビアのロレンス』に多大な影響を受けたためである。
そして、ロレンスの戦いの結果は後に第二次世界大戦を挟んで、パレスチナ問題、中東戦争、イスラム革命、湾岸戦争、イラク戦争、アラブの春、ISILへと繋がっていく。
映画「アラビアのロレンス」
1962年に公開されたイギリス制作の映画。アラブの反乱において活躍したロレンスの生き様をフィクションも交えながら描ききった映画史に残る傑作である。
ロレンスのバイク事故死から語られる彼のアラビアにおける戦いの半生が語られており、美しい砂漠を舞台にした戦争映画となっている。
その後の歴史に連なる伏線や、アラブや周辺諸国の関係性をカリカチュア化された場面も多く、映画ファンたちから様々な考察を受けている。
当時としては珍しくないのだが、上映時間227分(初期はカットされ207分)と長いものであり、上映の途中で休憩を挟む形となっている。
ジョジョの奇妙な冒険の登場人物ジョセフ・ジョースターもこの映画のファンだが、上映時間の長さにはツッコミをいれている。
主演:ピーター・オトゥール
監督:デヴィット・リーン