明日を生きていく人のために そしてあの日 銃身にさらされた愛する人のために
ポーランド語原題:Katyń
背景
第二次世界大戦において、ポーランドは開戦直後のドイツとソビエト連邦の電撃的な侵攻によって降伏。ポーランド全土がこの二カ国によって分割統治されてしまう。その後ソ連側の捕虜となったポーランド軍の兵士たちは暫く強制収容所に収容されていたが、翌年の1940年、彼らは帰国させてやるからと「西に向かう」列車に乗せられ、その後消息不明となる。
その三年後の1943年2月27日、スモレンスク近郊にあるグニェズドヴォ村で、ドイツ軍が大量のポーランド人将校と思われる遺体を発見する。この時既に独ソは開戦しており、ソ連へのプロパガンダに使えると判断したドイツは、宣伝相ヨーゼフ・ゲッベルスの指示の下、大規模な調査と発表を行った。そして、事件名にはグニェズドヴォよりも通りが良く、覚えやすい近くの森の名前が与えられた。これが「カティンの森事件」である。ドイツによる調査はソ連軍が迫る状況の中で行われたが、それでも発見された遺体は4243体にも及んだ。実際には一万数千人の犠牲者が埋まっていたと見られる。
しかし、大戦後にソ連の衛星国となったポーランドは、事件に関して長い沈黙を強いられ続け、その全容が明るみに出たのはソ連崩壊後の1992年であった。スターリンの命令書により、21857人のポーランド人の殺害が実行されたことが明るみとなった。
ストーリー
1939年、ドイツのポーランド侵攻で第二次大戦が勃発した。その数週間後、ソ連はポーランドの東部に侵攻した。秘密裏に独ソ不可侵条約が結ばれ、ポーランドは、ドイツとソ連に分割占領されることとなる。
ドイツ軍に追われた人々と、ソ連軍に追われた人々は、ポーランド東部のブク川で鉢合わせになった。その中に、クラクフから、夫のアンジェイ大尉を探しに来たアンナとその娘ニカがいた。そこで、逆にクラクフへ向かう大将夫人ルジャに出会う。アンナは、ルジャ夫人にクラクフに戻るように勧められるが聞き入れなかった。
その後、アンナとニカは、駅でソ連へ連行される直前のアンジェイ、彼の友人イェジらポーランド軍将校たちに出会うことができた。アンナはアンジェイに逃亡を勧めるが、アンジェイは軍への忠誠のため拒否し、家族と別れた。そして捕虜として教会に収容されたアンジェイはこれから起こることを日記に記そうと心に決める。
1943年4月、不可侵条約を破ってソ連領に侵攻したドイツ軍が、元ソ連領のカティンの森の近くで、一万数千人のポーランド将校の死体を発見した。ドイツは、これを1940年のソ連軍の犯行であると大々的に報じた。
やがてドイツは敗北し、大戦が終結した1945年以後、ポーランドはソ連の衛星国として復興の道を歩み始めた。そしてソ連はカティンの森事件をドイツ軍の仕業であると反論し、事件の真相に触れることはタブーとなった。苦難を乗り越え、大戦から生き残った人々、カティンで親族を失った遺族らには厳しい現実が待ち受けていたのである。
やがてアンナのもとに、アンジェイ大尉の手帳が手渡された。手帳には、死の数日前までの出来事が克明に記されていた。アンナは、夫の身に起こったことを改めて知るのであった・・・。