ピクシブ百科事典は2024年5月28日付でプライバシーポリシーを改定しました。改訂履歴

パリ講和会議

ぱりこうわかいぎ

第一次世界大戦における連合国が中央同盟国の講和条件について討議した会議。
目次 [非表示]

概要編集

1919年1月18日に開会され、第一次世界大戦における連合国中央同盟国の講和条件について討議した会議である。

なお、ヴェルサイユ宮殿で講和条約の調印式が行われたことから、ヴェルサイユ会議とも呼ばれているが、実際の討議のほとんどはパリのフランス外務省内で行われており、正しい呼称とは言えない


第一次世界大戦は、1918年11月にウィルソンアメリカ合衆国大統領の14か条をドイツが受け入れたことで、休戦が成立した。

本会議はそれを受けて上記の通り開かれたものである。


この会議では、戦勝国である日本イギリスアメリカフランスイタリアのいわゆる「5大国」による「十人会議」が会議のほとんどを支配した。

中でも主要な参戦国であったイギリスアメリカフランスが主導権を握り、敗戦国は会議から除外された。

アメリカのウッドロウ・ウィルソン大統領は、十四か条の平和原則を主張したが、これはイギリスとフランスによってほぼ無視された。


主な参加者編集

日本編集

西園寺公望元首相:首席全権、牧野伸顕元外相:次席全権、近衛文麿貴族院議員、吉田茂外交官、芦田均外交官:随員

アメリカ編集

ウッドロウ・ウィルソン大統領

イギリス編集

デビッド・ロイド・ジョージ首相:全権、ウィンストン・チャーチル戦争相兼航空相:随員

フランス編集

ジョルジュ・クレマンソー首相:全権、フェルディナン・フォッシュ連合軍最高司令官:随員

ドイツ編集

ヘルマン・ミュラー外相

その他編集

グエン・アイ・クオック安南愛国者協会代表として参加


関連タグ編集

ヴェルサイユ条約

サン=ジェルマン条約

トリアノン条約

ヌイイ条約

セーヴル条約

関連記事

親記事

第一次世界大戦 だいいちじせかいたいせん

子記事

兄弟記事

コメント

問題を報告

0/3000

編集可能な部分に問題がある場合について 記事本文などに問題がある場合、ご自身での調整をお願いいたします。
問題のある行動が繰り返される場合、対象ユーザーのプロフィールページ内の「問題を報告」からご連絡ください。

報告を送信しました

見出し単位で編集できるようになりました