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フォークランド沖海戦

ふぉーくらんどおきかいせん

フォークランド沖海戦とは、第一次世界大戦で発生したイギリス海軍とドイツ海軍の海戦である。この戦いで装甲巡洋艦の終わりと巡洋戦艦の時代が到来を位置づけることになった。
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ドイツ東洋艦隊の逡巡編集

1914年11月に発生したコロネル沖海戦で、東太平洋から大西洋へ抜けようとしたドイツ東洋艦隊を迎え撃ったイギリス西インド艦隊は完敗した。

マクシミリアン・フォン・シュペー中将率いるドイツ東洋艦隊は、燃料となる石炭の不足と悪天候の影響で航行距離を稼げず、大西洋進出は11月末となった。そこでドイツ艦隊はフォークランド島を襲撃し、石炭強奪を目論んだ。

この時の東洋艦隊は

装甲巡洋艦シャルンホルスト」「グナイゼナウ

防護巡洋艦「ライプチヒ」「ニュルンベルク」「ドレスデン」

からなっていたが、彼らには敵情を察知することができずにいた。


そして彼らが作戦目標としたフォークランド諸島、そこにあまりにも強力な敵がいることを知らずにいた…


復讐のイギリス海軍編集

一方敗報を受けた英海軍は、復仇のためダブトン・スタディ中将率いる巡洋戦艦インヴィンシブル」「インフレキシブル」を基幹とする南大西洋艦隊を派遣した。12月7日フォークランド諸島に到着した南大西洋艦隊は

・巡洋戦艦「インヴィンシブル」「インフレキシブル」

装甲巡洋艦「カーナヴォン」「ケント」「コーンウォール」

防護巡洋艦「ブリストル」「グラスゴー」

仮装巡洋艦「マセドニア」

からなっていた。


戦闘編集

12月8日8時30分、独艦隊の「グナイゼナウ」「ニュルンベルク」がフォークランドへ接近したが、これを発見した英南大西洋艦隊は直ちに迎撃を開始した。独艦隊は直ちに逃走を開始したが英艦隊も追撃を開始、12時55分に海戦が始まった。

シュペー中将は防護巡だけでも逃がそうと艦隊を2分したが、スタディ中将は巡戦2隻で装甲巡2隻を相手取り、残った巡洋艦は防護巡3隻を相手取らせた。

海戦は一方的なものとなり、火力・速力で優る英巡戦が独装甲巡を、数に勝る英巡洋艦隊が独防護巡を叩き潰す結果となり、生き残ったのは「ドレスデン」だけとなった(1915年3月にチリ沖で沈められる)。


結果編集

この戦いでドイツ東洋艦隊は壊滅し、ドイツ海軍は大西洋への強行突破を図る仮装巡洋艦と潜水艦を除いて北海に押し込まれることとなった。一方イギリス海軍は戦艦・巡戦の大部分を本国に集中できるようになり、この後の大規模海戦は北海近辺で発生するようになる。


関連タグ編集

第一次世界大戦 イギリス海軍 ドイツ海軍

巡洋戦艦 装甲巡洋艦

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