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ゲーベン追跡戦

げーべんついせきせん

第一次世界大戦勃発時に地中海にいてドイツへ帰れなくなった巡洋戦艦「ゲーベン」と小型巡洋艦「ブレスラウ」がトルコを目指して逃げ、イギリス海軍が追跡した。
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概要

第一次世界大戦勃発時に発生した軍事行動。
地中海にいてドイツへ帰れなくなったドイツ海軍の「ゲーベン」と「ブレスラウ」がトルコを目指して逃げ、イギリス海軍が追跡した。

経過

1914年7月28日、第一次世界大戦が勃発。ポーラ港(クロアチア)にいたモルトケ級巡洋戦艦「ゲーベン」は、アドリア海に閉じ込められるおそれが出たため、ボイラー修理を中断し出港。タラントマクデブルク級小型巡洋艦「ブレスラウ」と合流した。「ゲーベン」艦長のヴィルヘルム・スション少将はフランス植民地のアルジェリアを攻撃することを念頭に西へ向かった。

8月1日、イギリス海相ウィンストン・チャーチルはイギリス地中海艦隊司令官アーチボルド・バークレー・ミルン中将に「ゲーベン」を捜索させるよう指示した。

8月4日、ドイツ海軍大臣アルフレート・ペーター・フリードリヒ・フォン・ティルピッツから「コンスタンティノープルイスタンブール)へ向かえ」と命令があり、ドイツ艦隊は東へ引き返す。イギリス艦隊が「ゲーベン」と接触し追跡したがシチリア島沖で見失う。
ドイツ艦隊はメッシーナ港に入港したが、イタリアからは24時間以内の出港を要求され、ティルピッツからは「トルコはまだ中立なので、やはりコンスタンティノープルに行くのはやめろ」という指示が来た。進退窮まったスション少将は、コンスタンティノープルへ向かう事に決めた。

8月6日、メッシーナ海峡南側出口でイギリス海軍防護巡洋艦グロスター」がドイツ艦隊を発見し、追跡を開始する。アーネスト・トラウブリッジ少将の戦隊が阻止に向かったが、チャーチルの「優勢な敵との交戦を避けろ」という指示により退却した。
「グロスター」にも交戦しないよう命令が下ったが、「ブレスラウ」が攻撃してきたので戦火が開かれ、ドイツ艦隊は東へ向けて逃走した。

8月8日、イギリス海軍省から「イギリスはオーストリアと開戦した」という間違った情報がきたため、ミルン中将は「ゲーベン」捜索をやめ、オーストリア海軍との戦闘に備えてアドリア海の警備を強化した。

8月9日、イギリス海軍省から「ゲーベン」を追跡せよという明白な命令が下され、ミルン中将はエーゲ海出口を警備することにしたが、ドイツ艦隊はダーダネルス海峡へ向かっていた。

8月10日、ドイツ艦隊がダーダネルス海峡に到達し、オスマン・トルコ海軍の水雷艇に先導されて海峡を通過した。目撃したイギリスの副領事が本国に打電したが、もう手遅れだった。

8月16日、ドイツ艦隊がコンスタンティノープルに到着した。「ゲーベン」と「ブレスラウ」はオスマン・トルコに買い上げられることとなった。「ゲーベン」は「ヤウズ・スルタン・セリム」、「ブレスラウ」は「ミディッリ」と改名されたが乗員はドイツ人のままであり、スション少将はオスマン・トルコ海軍の司令長官に任命され、1917年までトルコに留まった。
ミルン中将、トラウブリッジ少将らはこの不手際を非難され、左遷された。

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第一次世界大戦 ドイツ海軍 イギリス海軍 オスマン・トルコ

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