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タンネンベルクの戦い

たんねんべるくのたたかい

タンネンベルクの戦いとは第一次世界大戦で発生した陸上戦闘である
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背景

シュリーフェン・プランと東部戦線

1914年8月、ドイツはシュリーフェン・プランに基づいてフランスに対する攻撃を開始した。
アルフレート・フォン・シュリーフェン将軍の発案によるこの計画では、ドイツ陸軍の9割を対仏戦に、残りの1割を対露戦に投入するというものであった。このような対仏偏重になったのはロシアが広大な面積と貧弱な交通網に妨害されて、戦争準備が整うまでに6週間かかるとみていたためである。
そのため開戦当時東プロイセンの主要都市・ケーニヒスベルク(現カリーニングラード)に展開していたのは、マクシミリアン・フォン・プリットビッツ上級大将指揮の第8軍15万のみであった。第8軍作戦参謀マックス・ホフマン中佐は、ロシア軍は東プロイセン南東部にあるマズリア湖沼地帯を避けるため、部隊を二手に分けて進撃してくるだろうと判断していた。そのためマズリア北部から侵攻してくる軍を先につぶすため、南部には第20軍団のみを置いていた。

ロシア軍侵攻

一方のロシア軍はドイツ軍の希望的観測を簡単にはねのけ、2週間で戦争準備を完了した。侵攻の主力となるのはパーヴェル・レンネンカンプ大将指揮の第1軍21万とアレクサンドル・サムソノフ大将指揮の第2軍23万であった。ホフマンの予想通り第1軍はマズリアの北側、第2軍はマズリアの南側からケーニヒスベルクを目指して侵攻を開始した。
但しロシア軍の「準備完了」も実際は形だけのところが多く、通信・輸送など多くの面でドイツ側に劣るところがあった。特に暗号などは日露戦争で専門家の不足が判明したにもかかわらず、一向に改善されないまま時を過ごしてきてしまっていた。

概要

シュタルペーネン・グンビンネンの戦い

最初の戦いは8月17日、ドイツ東端の街シュタルペーネンで起こった。侵攻してきたロシア第1軍に対し、ヘルマン・フォン・フランソワ大将指揮のドイツ第1軍団が攻撃を仕掛けたのである。この戦い自体はドイツ軍の勝利で終わったものの、第1軍団長フランソワの独断による攻撃でロシア軍は警戒を厳しくし、8月20日グンビンネンで今度はロシア軍がアウグスト・フォン・マッケンゼン大将指揮のドイツ第17軍団に攻撃をかけ敗走させた。
さらにロシア第2軍が国境線を超え侵攻を開始したという情報がドイツ軍司令部に届き、パニックに陥ったプリットビッツが参謀総長ヘルムート・フォン・モルトケ上級大将に撤退を直訴するという状況になってしまった。

HLコンビの登場

第8軍指揮下の各軍団長から、状況は悪いが最悪まで陥っていないことを確認したモルトケはプリットビッツの更迭を決め、代わりとなる司令官と実際の指揮を執る参謀長を手配した。

司令官にはパウル・フォン・ヒンデンブルク退役大将を当てた。ヒンデンブルクは1911年64歳ですでに退役しており悠々自適の隠居生活を送っていたが、一方で東プロイセンで参謀、軍団長を経験した経歴を持っており、また沈着冷静な人柄でも知られ司令官にうってつけであると思われた。

そして参謀長にはエーリヒ・ルーデンドルフ少将を当てた。ルーデンドルフはヒンデンブルクとは反対に協調性がなく周りから嫌われたがその才覚に関しては申し分なく、つい1週間前にベルギーが誇るリエージュ要塞を第14師団長代理として陥落させ、その実力を見せつけていた。

これが第一次世界大戦後半、そしてナチス・ドイツ成立時に名を馳せることになる「HLコンビ」誕生の瞬間であった。

一方HLコンビが到着するまでの間実質的な指揮官となったホフマンは、ロシア第1軍の動きが止まった(原因は補給不足)のを見計らって第1騎兵師団を残して、残りの部隊全てを第2軍の両翼に展開させ、包囲できるように移動させた。
一方第2軍は連絡の途絶で各部隊との連携が取れず、さらに補給不足で進撃も遅々として進まなかった。
8月23日ヒンデンブルクとルーデンドルフが着任し、体制が整った第8軍は攻撃準備を整えていった。

ドイツ軍の反撃

8月26日、ドイツ第17軍団と予備第1軍団がロシア第2軍右翼の第6軍団に攻撃を開始、さらに27日ドイツ第1軍団も第2軍左翼の第1軍団へ攻撃を開始した。翌28日ドイツ第1軍団がロシア第1軍団を破り、第2軍の後方に回り込んだ。さらに第17軍団もロシア軍右翼を破り、第2軍を完全に包囲した。
最終的に包囲された第2軍約20万の内脱出に成功したのは1万7千に過ぎず、サムソノフ司令官も28日夜拳銃自殺した。
その後第8軍は北方へ移動し、9月5日増援の2個軍団と共に第1軍を攻撃、これを国境線の向こうへ追いやることに成功した。最終的にロシア軍の損害は30万以上に達し、一時的に侵攻を停止せざるを得なくなった。

その後

この戦いによってヒンデンブルクとルーデンドルフの名は広まり、階級もそれぞれ上級大将→元帥、中将へ進み、役職も東部戦線全体を担当する東部方面軍の司令官と参謀長に就任した。
ホフマンも大佐に進み、HLコンビが後年参謀本部へ異動した後は東部方面軍参謀長となり、ロシアを打破したソ連と講和条約を結ぶなど終戦まで活躍した。

関連タグ

第一次世界大戦 東部戦線

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