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概要編集

ドイツの軍人政治家。フルネームはパウル・ルートヴィヒ・ハンス・アントン・フォン・ベネッケンドルフ・ウント・フォン・ヒンデンブルク。


プロイセン王国軍人の家系で、軍隊式教育を受けて育った。

士官学校卒業後、参謀本部に配属。昇進を重ね歩兵大将にまで上り詰めたが、戦う機会のないまま退役。隠遁生活を送っていたが、第一次世界大戦勃発後、第8軍司令官に就任。

あくまでもお飾りの司令官に過ぎず、階級が低くて司令官になれなかったエーリヒ・ルーデンドルフが実権を握ったとされる。しかし優秀ながら協調性に難があるルーデンドルフに比べて人望があり、かつ全てをルーデンドルフに相談して決める事で司令部はうまく機能する。こうしてタンネンベルクの戦いにおいてロシア軍相手に大勝利を収めた為、国民的英雄に祭り上げられる。その後も東部戦線を差配してロシア軍相手に勝利を重ね、ついには総参謀長となった。


ヴァイマール共和国では第二代大統領になった。大統領時代には、「容易く抜くべきではない伝家の宝刀」というべき大統領緊急命令権を濫発して「革新的・民主的な憲法」と言われたワイマール憲法を骨抜きにした挙句、最後にはヒトラーを首相に指名してしまった。

本人にそんなつもりは無かっただろうが、結果的に当時「世界で最も民主的な憲法」と言われた憲法の、いわば「バグ」を悪用する行為を繰り返した結果、ヒトラー率いるナチスによる独裁体制への準備をしてしまったとも言える。

その後はヒトラー共産主義者を排除させるための大統領命令にサインしたり、ヒトラーを嫌ってボヘミアの伍長殿とあだ名をつけていたりした。

ヒンデンブルクにとってのヒトラーは言わば「人間としては嫌っているが『道具』としては使いものになりそうだ」といった所であったと思われるが、今日では、彼に限らずヒトラーやナチスと協力関係にあったナチス以外の右派/保守系の政治家・政党による「今は最大多数派だが、とは言え自分達が操作出来るポッと出の政党」というナチスの危険性の軽視がナチス独裁を招いた唯一ではないにせよ重要な要因だったのではないか?とする意見も有る。


1934年8月2日に死去。

飛行船ヒンデンブルク号の由来にもなっている。


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ドイツ ヒンデンブルク(曖昧さ回避)

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ヒンデンブルク ひんでんぶるく

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