曖昧さ回避
- プロイセン王国の軍人、アウグスト・ヴィルヘルム・アントニウス・フォン・グナイゼナウ。
- ビスマルク級コルベット。1900年、スペインのマラガで座礁し沈没。
- シャルンホルスト級装甲巡洋艦の二番艦。
- 第二次世界大戦のシャルンホルスト級巡洋戦艦の二番艦。
- 北ドイツ・ロイド社の貨客船。姉妹船にシャルンホルスト(のちの神鷹)とポツダムがある。
- 西ドイツ海軍のフリゲート。もとはイギリス海軍の駆逐艦で、同級の一番艦。
- モンスターストライクの登場キャラ。4.を擬人化したもの。
プロイセン軍人のグナイゼナウ
アウグスト・ヴィルヘルム・アントニウス・フォン・グナイゼナウ(1760年10月27日~1831年8月23日)
プロイセン王国の軍人で陸軍元帥。ナイトハルト伯。
シャルンホルストと共にプロイセン参謀本部を創設し、シャルンホルスト亡きあとは後継者として参謀総長を務め、ナポレオン戦争での諸国民戦争、ワーテルロー戦役などでプロイセン軍総司令官ブリュッヒャーを補佐して祖国を勝利に導く事に貢献した。
ナポレオン戦争後はフリードリヒ・ヴィルヘルム3世へ献策を行ったが用いられる事は無く、退官しザクセンの荘園を下賜された。
1831年、ポーランドに反乱の気配が現れ、グナイゼナウは軍司令官に任命され、クラウゼヴィッツを参謀長に取り立てポズナンに駐屯したが、コレラに感染し、8月23日に亡くなった。
その知名度から艦船名に使用されることが多く、シャルンホルストとペアの命名が多い。
シャルンホルスト級装甲巡洋艦「グナイゼナウ」
1904年12月、起工、1906年6月14日進水、1908年3月6日竣工。
マクシミリアン・フォン・シュペー伯爵率いる東アジア巡洋艦戦隊(ドイツ東洋艦隊)所属となる。
1914年7月28日、第一次世界大戦が勃発。グナイゼナウは旗艦「シャルンホルスト」と共にポナペ島(カロリン諸島)にあった。
8月12日、パガン島に移動。
8月14日、「シャルンホルスト」、「ニュルンベルク」と共に出港して南米へ向かった。途中「ドレスデン」、「ライプツィヒ」と合流。
12月8日、フォークランド沖海戦で巡洋戦艦「インヴィンシブル」、「インフレキシブル」を中心とした強力なイギリス艦隊から味方を逃すため「シャルンホルスト」と共に殿となり撃沈された。しかしイギリス艦隊の追撃を受け、「ドレスデン」を除き東洋艦隊は壊滅した。
シャルンホルスト級巡洋戦艦「グナイゼナウ」
艦名はアウグスト・ヴィルヘルム・アントニウス・フォン・グナイゼナウに由来し、ドイツ海軍最大の勝利と最大の悲劇を演じた装甲巡洋艦「グナイゼナウ」を念頭に置いたもの。
性能諸元
- 排水量 : 基準排水量31,850t。満載排水量38,900t。
- 全長 : 234.9m。
- 全幅 : 30m。
- 速力 : 32ノット。
- 兵装 :
- 28.3cm三連装砲塔3基。
- 15cm連装砲塔4基。15cm単装砲4基。
- 10.5cm連装高角砲7基。
- 37mm連装機関砲8基。
- 20mm連装機銃5基。
- 533mm魚雷三連装発射管2基。
- 装甲 : 水線350mm。甲板105mm。司令塔350mm。主砲前盾360mm。主砲天蓋150mm。
- 乗組員 : 1840名。
艦歴
1935年5月キールにて起工。
1936年12月8日進水。
1938年5月21日竣工。
開戦時は艦隊司令長官ヘルマン・ベーム大将の旗艦を務める。
1939年10月8日、ベーム提督の旗艦として軽巡洋艦ケルン、駆逐艦九隻と共に出撃するも英本国艦隊出撃を知り帰還。
11月23日、ベーム提督の後任のヴィルヘルム・マルシャル大将の旗艦としてシャルンホルストと共に英補助巡洋艦ラワルピンディを撃沈。
1940年2月18~20日、マルシャル提督の旗艦としてシャルンホルスト、重巡洋艦アドミラル・ヒッパー、駆逐艦二隻を率いて船団攻撃である「ノルトマルク作戦」で出撃するも戦果無し。
1940年4月、ノルウェー侵攻「ヴェーゼル演習作戦」に侵攻部隊の援護として艦隊司令長官代行のギュンター・リュッチェンス中将の旗艦としてシャルンホルストと共に参加。9日には英巡洋戦艦レナウンを中心とする艦隊と交戦し損傷を受け退避したものの、上陸部隊から英艦隊の目を逸らす任務を果たす。
6月「ユーノー作戦」にマルシャル提督の旗艦としてシャルンホルスト、アドミラル・ヒッパー、駆逐艦四隻と共にノルウェー・ハーシュタの英艦隊攻撃の為に出撃。途中、連合軍のノルウェー撤退を察知し、その追撃に移行し、タンカー、兵員輸送船など3隻を沈め、陸軍支援の為にヒッパー・駆逐艦を分派した後の8日に英空母グローリアス、駆逐艦アカスタ、アーデントをシャルンホルストと共に沈める大戦果をあげる。
20日、重巡アドミラル・ヒッパーと作戦中、英潜水艦クライドの魚雷を受け損傷。
1941年1月23日「ベルリン作戦」でマルシャル提督の後任となったギュンター・リュッチェンス大将の旗艦としてシャルンホルスト共に大西洋に出撃。3月22日にフランスのブレストに帰港するまでにシャルンホルストと共同で総計22隻の商船を撃沈・拿捕する。
4月6日、英国のボーフォート雷撃機の雷撃を受け損傷。
4月11日、英爆撃機により損傷。
1942年2月12日から13日、「ツェルベルス作戦」でシャルンホルスト、重巡プリンツ・オイゲンと共に駆逐艦6隻、水雷艇14隻、ドイツ空軍の護衛の元、白昼堂々とブレストから英仏海峡を突破し、触雷したもののドイツ本国に帰還。
26日、英ウェリントン爆撃機の爆撃で第一砲塔を破壊され艦首部を大破。
この損傷を機に主砲を38cm連装砲塔に換装する工事も兼ねてゴーテンハーフェンに回航されるも、この年の末に工事は中止。
1945年3月28日、ゴーテンハーフェン閉塞船として自沈。
主砲塔が陸上砲台に転用され、現存する。
艦長
初代
エーリヒ・フェルステ(1938年5月21日~1939年11月25日)
二代目
ハラルト・ネツバント(1939年11月26日~1940年8月)
艦隊司令長官リュッチェンス大将と親交があり、後に艦隊参謀長となり「ライン演習作戦」においてビスマルク艦上で戦死。
三代目
オットー・ファイン(1940年8月20日~1942年4月14日)
評価はされなかったものの「ツェルベルス作戦」において旗艦シャルンホルストが触雷で脱落した為に作戦中のかなりの部分で艦隊の指揮を執ったと言われる。
四代目
ルドルフ・ピーターズ(1942年4月15~17日)
五代目
ヴォルフガング・ケーラー(1942年5月~7月)
評価
その高速や主砲口径の小ささから巡洋戦艦扱いされることも多いが、ドイツ海軍自身は戦艦に分類していた。
同時期のフランスのダンケルク級に比べ、中途半端な攻撃力や旧態依然とした防御方式などから失敗作とも評される。
だが対英三割の兵力で開戦を迎えながらも攻勢に出たドイツ海軍では敵艦隊との戦闘よりも通商破壊戦が主任務で、更に損失を抑える事も望まれた為に、ドイッチュラント級装甲艦の戦艦には速力で、巡洋艦以下には砲力で対抗すると言うコンセプトをより強化した本艦と姉妹艦シャルンホルストは、ある意味、当時のドイツ海軍の身の丈に合っていた戦艦だったとも言える。
結果的に本艦はドイツ海軍主力艦のなかでシャルンホルストと共に最も活躍した軍艦となった。
擬人化キャラ
イカロス出版『MC☆あくしず』では戦艦シャルンホルストとグナイゼナウを擬人化したマスコットキャラクター「じゅんせん魔法少女シャル&ゼナ」が登場している。
しゃるぜなえにっきのタグも参照。
グナイゼナウを擬人化したモンスターストライクの登場キャラもいる。
プリンツ・オイゲンから進化する。
センカンの力、見せてやるー!