第一次世界大戦の装甲巡洋艦のもの(シャルンホルスト級装甲巡洋艦)と、第二次世界大戦の巡洋戦艦のもの(シャルンホルスト級巡洋戦艦)と、西ドイツ海軍のシャルンホルスト級フリゲートが存在し、また民間船としてシャルンホルスト級客船も存在するが、pixivでは巡洋戦艦のものを指すのがほとんどである→シャルンホルスト級巡洋戦艦へ。
シャルンホルスト級装甲巡洋艦
就役後は二隻とも青島のドイツ東洋艦隊に配属された。
第一次世界大戦が勃発すると防護巡洋艦三隻を引き連れ青島を脱出し南米経由でのドイツへの帰還を試み、途中で南太平洋のフランスやイギリスの領土を襲いながらドレーク海峡を目指す。1914年11月1日のコロネル沖海戦ではチリ沖で待ち受けるイギリス艦隊を撃破したが、12月18日にフォークランド沖海戦で有力なイギリス艦隊と交戦し、艦隊は全滅した。
同型艦
シャルンホルスト級客船
北ドイツ・ロイド汽船が極東航路向けに建造した貨客船。
シャルンホルスト、グナイゼナウ、ポツダムの三隻が建造された。
新開発のワグナー式高圧罐により欧州・極東航路の商船としてはずば抜けた速力を誇った。なお、本級に試験的に搭載されたこの罐は後にシャルンホルスト級巡洋戦艦に採用された。
シャルンホルストは日本海軍が買収し特設空母神鷹となった。ワグナー式高圧罐は日本の手にも余る物であり、こちらは日本産の罐(ロ号艦本式)に換装された。
グナイゼナウ、ポツダムもドイツ海軍に徴用され、それぞれ補助空母ヤーデ、エルベとなる予定であったが、ポツダムの客船設備を取り外したところで計画を撤回し、それぞれ輸送船と宿泊艦にしている。
シャルンホルストとグナイゼナウは戦没。ポツダムは1946年にイギリスに賠償として引き渡され、エンパイア・フォーウェィと改名、兵員輸送に従事。その後1960年、パキスタンの移民船となり、1976年解体。
なお日本郵船の新田丸級貨客船はライバルである本級の『シャルンホルスト』を徹底的に研究して建造され、外観も内部構造も非常に似ていた。こちらも太平洋戦争の勃発により航空母艦に改造され、新田丸を初めとする三隻は大鷹型空母となった。
シャルンホルスト級フリゲート
イギリス海軍の中古の改ブラックスワン級スループを西ドイツ海軍が購入したもの。
三隻が就役した。