三船敏郎
みふねとしろう
1920年4月1日、当時日本占領下にあった中国の青島で生まれる。
実家は写真店を大連で営んでいたが、敏郎は中学卒業後に徴兵で軍に入り、戦後除隊された後兵士時代に知り合った東宝のスタッフを頼って映画撮影助手になろうとした。
しかし手違いで書類が俳優志望の方に渡ってしまい、当時始まったばかりの俳優オーディション「第1回ニューフェイス」に応募する羽目になる。
態度の悪さから難色を示す審査員もいたものの、その才能を見いだされ合格。
1947年に「銀嶺の果て」で俳優としてデビューした。
昭和を代表する名俳優の1人。
キャリア初期~中期は映画監督である黒澤明と特に関わりが深く、『野良犬』、『羅生門』、『用心棒』、『椿三十郎』、『隠し砦の三悪人』など黒澤の作品にも数多く出演していた。
また、ヴェネチア国際映画祭で男優賞を2度受賞するなど、世界的にも評価の高い俳優であった。
その名声は世界のトップスターや名だたる映画監督からも共演・出演を熱望されるほど。
通称「世界のミフネ」。
映画監督ジョージ・ルーカス制作のSF超大作『STARWARS』シリーズの初期三部作制作の折、悪役であるダース・ベイダー卿役をオファーされたにもかかわらず断っていたという逸話は有名。
1980年頃には数々の名演から「サムライ=ミフネ」のイメージが世界的に定着。
彼の影響を受けた人物は実在、フィクションを問わず枚挙にいとまがない。
一例として、コンピューターRPGの始祖『ウィザードリィ』の敵キャラに「ミフネ」の名を持つサムライが登場する他、三船をイメージした侍キャラが数多くの作品で活躍している。
ADV『かまいたちの夜』では実名で登場している。
1979年には三船プロダクションを設立、プロデュース業にも力を入れていた。
私生活ではニューフェイス同期の女優の吉峰幸子と結婚、のちに俳優となった三船史郎を設ける。
しかしやがて酒に溺れて吉峰にDVを働くようになり別居、女優喜多川美佳と不倫関係になった。
喜多川との間には一人娘が生まれ、喜多川の芸名の「美佳」を名付け、遺言により認知され「三船」の芸名を名乗ることになった。これがのちのタレント三船美佳である。
喜多川の元には20年ほどいたが、その間に三船プロの経営問題をも含めた泥沼の争いが吉峰との間に続いた。
彼が心筋梗塞を患って体調が悪化し認知症の兆候が出た1992年、喜多川は吉峰の元に彼を返却した。
吉峰が病気で他界したのちは静かに療養していたが1997年12月24日、全機能不全でこの世を去った。77歳だった。三船プロは史郎が後継者となった。
没後2014年、京都国際映画祭において、国際的な活躍が期待される俳優を対象とした「三船敏郎賞」が設けられている。
- 赤ひげ ブルーリボン賞受賞。
- 男はつらいよ 知床慕情
- 用心棒
- 黒部の太陽