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赤ひげ

あかひげ

山本周五郎の時代小説『赤ひげ診療譚』を原作とする映画及びテレビドラマの題名
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曖昧さ回避編集

  1. 実在した大海賊「赤髭」。→バルバロッサ
  2. 実在する小鳥の一種。→アカヒゲ

概要編集

山本周五郎原作の時代小説「赤ひげ診療譚」を原作とする映画およびテレビドラマの題名。


映画編集

1965年(昭和40年)4月3日に公開された日本映画である。東宝配給。監督は黒澤明。主な出演は三船敏郎加山雄三

加山雄三は本作出演まで俳優として活動を続けていくか悩んでいたが、本作を機に生涯俳優を続けていくと決意したという。


物語は山本周五郎の小説『赤ひげ診療譚』を基盤としているが、後半のおとよ(演:二木てるみ)の物語はドストエフスキーの『虐げられた人びと』をベースに、山本周五郎の原作とは異なり、同作品に登場する少女ネリーを元にした映画オリジナルの設定人物となっている。


第39回キネマ旬報ベスト・テンで第1位に選ばれたほか、第26回ヴェネツィア国際映画祭で男優賞(三船敏郎)、サン・ジョルジョ賞などを受賞した。


当初は1964年末の公開予定だったのが撮影の遅れから翌年4月の公開になり、その穴埋めでゴジラシリーズの『三大怪獣地球最大の決戦』が制作されたというのが定説だが、スケジュールの矛盾やそもそも本作が正月映画として発表されていた資料が発見されていないことからこれを否定する意見もある。

ただし『三大怪獣』に出演予定だった土屋嘉男が、本作の撮影延期に伴い出演が叶わなくなったとされている。


撮影に際して成城に延べ3000平方メートルもの小石川養生所のオープンセットを設営し、時代設定が小石川養生所が建てられて約100年が経過した文政年間であることから古い質感を出している。

また原作では「ひげが赤くないのに赤ひげと呼ばれる」という設定だった新出去定は本作では「薬品によってひげが赤く変色した」という設定になっており、白黒映画でありながら演じた三船敏郎は本当にひげを赤く染めた。


ドラマ『赤ひげ』編集

同じく『赤ひげ診療譚』を原作としたドラマが5作品放送された。



1972年のNHKドラマ版はまだ黒澤の映画版『赤ひげ』が記憶に新しい時代の作品だったこともあって、脚本の倉本聰も「俺たちがどうやるのよ」と渋い顔をしたという。

しかし企画の吉岡利夫は「黒澤さんの『赤ひげ』は人間として完全すぎる。どんな名医も人間だからもっと人間臭さがあるはずだ」と倉本を説得し、人間味の溢れる赤ひげを描くことになった。


本作の保本登はあおい輝彦が演じているが、当初は藤岡弘が内定していた。しかし当時藤岡は『仮面ライダー』に出演しており、それを東映および毎日放送に事後報告する形となってしまいトラブルになってしまった。責任を感じた藤岡は芸能界引退を宣言し、本作の出演を辞退、一時失踪する「藤岡弘失踪事件」が話題となった。

藤岡は海外での活動資金を貯めるために工事現場で働いた(一部インタビューでは伊豆方面を放浪していたと語っている)が、そこでマスコミの知られるところとなり藤岡も「一時記憶から消していた」と語るほどの大騒ぎになった。

事件後藤岡は主演の小林桂樹から「今回は残念だったけれど君には才能がある。必ず活躍できるときが来るからその日までがんばりなさい」と手紙を頂き、その翌年には『日本沈没』で小林との共演が実現した。奇しくも『日本沈没』の監督は黒澤組助監督出身の森谷司郎だった。


2017年版で主演を務めた船越英一郎は本作が時代劇初主演であり、歴代の名優たちの『赤ひげ』を見て研究し、己の無力さを自覚し自分へのいら立ちがにじみ出る未熟な一面を併せ持つより人間味のある赤ひげを演じた。トレードマークの赤ひげは映画版に準拠し薬品焼けで赤くなったという設定で、メーク担当を交えた打ち合わせを経て2ヶ月かけて仕上げたという。

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