概要
1927年5月18日、山梨県七里村(現在の甲州市)に生まれる。
戦国時代に甲斐・武田家に仕えた土屋昌続の子孫といわれる。1969年の映画『風林火山』では土屋昌続を演じている。
音楽学校のバイオリン科を志望していたが戦時中だったため生徒を募集しておらず断念、親が希望していた医学校に進学。愛知県半田市の中島飛行機の工場で昭和東南海地震に被災した。
山梨県立医学専門学校卒業後、1950年俳優座養成学校第2期生として入学。1952年『殺人容疑者』でデビュー。俳優座養成所出身だが俳優デビューは舞台ではなく映画という異色の経歴の持ち主である。
その後、俳優座のトイレで出会った当時『七人の侍』を監督していた黒澤明に気に入られ、養成所卒業日当日に黒澤に呼ばれてテストを受け、利吉役に起用された。これがきっかけで1953年に東宝と専属契約を果たした。また撮影中は黒澤の家に下宿して親交を深め、『赤ひげ』等ほとんどの黒澤作品に参加した。
黒澤の家に下宿する前はニワトリ小屋に住んでいたとされ、後年土屋は「最高の埴生の宿だった」と語っている。
『七人の侍』と同時期に同じ撮影所では『ゴジラ』の撮影が行われており、それに興味を持って黒澤の目を盗んでトイレに行くと偽ってたびたび本多猪四郎や円谷英二がいる特撮セットを見学に行き、彼の熱意に感心した円谷は土屋の見学に合わせて撮影スタートを待ってくれていた。
東宝の俳優で黒澤組と本多・円谷組を多く行き来していた珍しい俳優である。
1954年の『透明人間』で特撮初出演、55年の『ゴジラの逆襲』でゴジラシリーズデビュー。それ以後も『マタンゴ』『地球防衛軍』『怪獣大戦争』『ガス人間第一号』といった数多くの東宝特撮に出演。91年の『ゴジラVSキングギドラ』では本人曰く「初のゴジラと交流のある人物」を演じている。
一癖も二癖もある人物を演じるのが好みで、『透明人間』や『ゴジラの逆襲』は新聞記者や自衛官などまっとうな役柄であったことから後年の土屋は印象が薄いと語っている。
『地球防衛軍』のミステリアン頭領は日本人俳優としては初の顔出しでの宇宙人役とされる。
劇中でミステリアン頭領が「地球人が勝手に他の星の土地を売買している」と批判するセリフがあるが、当時土屋が入会していた「日本宇宙旅行協会」という団体が実際にこのような活動をしていたことを念頭に置いたアドリブである。
ただし土屋の興味の対象はUFOであり、宇宙人との遭遇談については懐疑的だったとされる。
東宝退社後はテレビドラマで活躍し、『大江戸捜査網』などの時代劇や『ウルトラQ』『ウルトラマン』『ウルトラセブン』のようなテレビ特撮にも出演した。
当初、『帰ってきたウルトラマン』では伊吹竜役の候補に挙がっていたが、最終的に大映映画を中心に活躍していたベテランの根上淳に決定した。
ウルトラシリーズ制作当時の映画業界はテレビドラマを下に見る傾向があり、土屋自身も円谷がテレビドラマを制作することには反対し出演作品も「出来の悪い作品では円谷の名を落とす」と感じ見ることはなかったが、晩年になって初めて見たところ映画と見劣りしない出来で感心したと語っている。
2017年9月6日、7ヶ月前の2月8日に肺がんで死去したことが報じられた。