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土屋昌続

つちやまさつぐ

土屋昌続は、戦国時代中期、甲斐武田氏に仕えた武将。(武田家の資料である『甲斐国史』では「昌次」とも。) 武田二十四将の一人。
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人物

1545年、甲斐武田氏に仕える譜代家老の家に生まれる。彼もまた奥近習六人衆(幹部候補生)の一人として、武田信玄に仕えた。

第四次川中島の戦いにおいては、信玄の本陣を守っていた。その際上杉軍が本陣まで迫ってきたが、これに臆することなく信玄を守り、それを大きく評価された。それからしばらく経って、甲斐の名門である土屋氏を継ぐことになり、金丸姓から土屋姓に改姓したとされる。

これ以降は武将としてだけではなく、信玄側近の奉行衆としても活動する。特に取次(現在でいう外交官や交渉役)としての働きが有名で、他の取次とともに、新たに獲得した地域などの国人衆との交渉を行っていた。国人衆との関係は領内の治政に大きくかかわってくるため、これは重要な仕事だったといえる。
また、関東の大名家(里見氏など)との外交にもあたっていた。

かの家康公が焼き味噌をこぼしたことで有名な三方ヶ原の戦い(1573)では、徳川軍の鳥居信元と一騎打ちを行い、その首級をあげたことで、武将としての名をあげた。
この戦いが終わってしばらく後に、武田信玄が上洛を間近にして没する。主君の死に際して、昌次は殉死を願い出たが、武田四天王である高坂昌信の説得により、思いとどまった。

信玄の跡を継いだ武田勝頼にも臣従し、1575年には長篠の戦いにも参戦する。
この際織田軍は鉄砲を使用して武田軍を迎撃したといわれるが、その織田軍の馬防柵を突破すべく昌続は特攻した。三枚ある柵の二枚目まで進撃したが、鉄砲の射撃に貫かれ戦死。享年31才。
壮絶ながらも華々しい最期だった。

余談だが、彼が筆頭を務めた奥近習六人衆には、のちの真田昌幸も所属していた。

その他

奥近習六人衆かつ信玄の側近であり、後世では武田二十四将にあげられているが、存命期間の短さや活躍の微妙な地味さゆえに、知名度はあまり高くない。そのため、戦略ゲー以外への出演はほとんど皆無である。しかしその器用さや、若年にして武田二十四将に数えられているということは、特筆すべき事実である。

戦国大戦において

ATCGの戦国大戦では、武田家の騎馬隊として、「土屋昌次」の名で登場。
投稿されたイラストの多くは、これを元にしている。
スペックはコスト1.5 武力5/統率5の騎馬隊。
史実通りの平均的な能力と、低コストでは数少ない超絶強化計略、「悍馬一閃」(かんばいっせん)を持っている。
チャージ式のタッチアクションに変化し、画面上で突撃可能状態になった状態の土屋のカードを押さえて移動させているとタメが開始され、およそ1カウントで最大までチャージされる。
離すとそのチャージ時間に比例した分だけの距離を突撃し続け、突撃が決まった場合はそのチャージ度合いに応じたボーナスが付いた突撃ダメージを与える。
最大限までタメた場合の破壊力はすさまじく、「毘天の化身」状態の上杉謙信にさえ半分程度の兵力を持っていく。
ただし、外してしまうとピンボールのように自城・戦場端・敵城にぶつかると跳ねかえって進んでいってしまう。
これを応用し、相手の裏に回り込みつつ激烈な突撃をぶつけられなくはないが、少々難しい。

弱いカードというわけではないが、より使いやすい木曽義昌が同コスト帯にいたり、秋山信友が上位互換計略を持っていることから、イラストの割に使用率は低い。しかしながら計略の破壊力はすさまじく、使ってみると結構強かったりする、優良なUCである。ある意味史実を再現したポジションだといえるだろう。

「先へ進みたいなら
     俺を倒していくんだな!」

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