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礼号作戦

れいごうさくせん

礼号作戦とは1944年12月26日に実行されたフィリピン、ミンドロ島に対する砲撃作戦。『ミンドロ島沖海戦』とも呼ばれる帝国海軍の最後の戦術的勝利である。
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概要編集

太平洋戦争時の1944年12月26日に実行された大日本帝国海軍によるフィリピン、ミンドロ島に対する砲撃作戦。

帝国海軍最後の戦術的勝利をおさめた作戦である。ただし戦局は既に敗北濃厚であり大きく覆す事にはつながらなかった。


連合軍のミンドロ島上陸編集

1944年12月15日早朝、アーサー・D・ストラブル少将率いる上陸船団によってフィリピンのミンドロ島へ上陸。

これに対して日本軍はフィリピンの各航空基地から特攻機と護衛機、海軍47機、陸軍13機をむかわせ、連合軍船団旗艦の軽巡洋艦「ナッシュビル」を損傷させ、揚陸艇2隻を撃沈するものの陸軍機は全滅、海軍機も多数が喪失と大損害を被る。


その後も日本軍の抵抗もむなしく、16日にはサンホセが占領され20日には飛行場が稼働開始。

本作戦が行われた26日には2箇所の飛行場に約120機が展開していた。


日本海軍は船団の護衛は手薄を判断し、水上部隊によるアメリカ軍への攻撃を決定する。

第43駆逐隊及び第52駆逐隊所属の駆逐艦「梅」、「桃」、「榧」、「杉」、「樫」による突入が計画されたが、集結前の14日にマニラが空襲を受けて中止となった。16日には、第43駆逐隊の「榧」「杉」「樫」によるミンドロ島西部マンガリン湾突入の計画が立案されたが、故障などで実行できなかった。


第二水雷戦隊編集

20日、南西方面艦隊司令長官大川内傳七中将は、木村昌福少将を司令官とする挺身部隊の編成を発令した。この時点で第二水雷戦隊の旗艦を務めていた能代と、その後を継いだ丙型駆逐艦島風は轟沈しており、第一水雷戦隊・第十戦隊の残党を集めた最後の第二水雷戦隊と呼べるものだった。

能代・島風の頃の二水戦の残党艦である朝霜清霜に加えて、一水戦のや量産型の松型駆逐艦。そして臨時に追加された大淀足柄が参加した。

この際、第四航空戦隊(四航戦)の航空戦艦伊勢日向も出撃可能だったが低速だったため外された。

また、霞の僚艦であった初霜も参加予定はあったものの、初霜は妙高の護衛のため、潮はヒ82船団の護衛のために参加を断念。

殴り込みとはまた別の、男の仕事をとることとなった。


旗艦として駆逐艦「霞」が選ばれた理由編集

本来、駆逐艦よりも大淀・足柄の方が通信設備が整っていたが木村少将は旗艦として駆逐艦「霞」を選んでいる。

木村少将が駆逐艦を旗艦に選んだ理由として小回りが利き機動性もあるが、レイテ沖海戦時に一水戦司令として座乗して意思疎通が容易だったとも、大淀・足柄は借り物であったという意識もあったともいう。

だが木村少将は水雷屋という自負があった事をうかがわせる発言も残している。


戦力編集


  • アメリカ軍
    • 基地航空機:120機
      • 在泊艦船:輸送船4隻、魚雷艇10隻
    • チャンドラー部隊(司令官:T・E・チャンドラー少将) - 日本艦隊迎撃のため出動するが、発見は出来ず戦闘には参加していない

経過編集

1944年12月24日、挺身部隊はフランス領インドシナのカムラン湾を出撃した。


挺身部隊は当初マニラに向けて航行する偽装針路を取った。これが奏効したのか24、25日と連合軍の触接も受けず挺身部隊は順調に進撃した。26日未明、針路を南南東としミンドロ島沖への針路を取る。部隊はどんどん南下していったが、依然連合軍に発見されなかった。


26日16時3分、かねての予定通り、「足柄」から水上偵察機2機が対潜哨戒に発進する。

16時25分頃、重巡洋艦「足柄」は水上偵察機を射出した。同時刻、挺身部隊は米軍機(B-24リベーレーター爆撃機)に発見された。B-24は直ちに周辺部隊に向けて「敵発見」の打電を行い、「足柄」は「北緯12度48分、東経119度12分、戦艦1、巡洋艦1、駆逐艦6、針路90度、速力28ノット」という電文を傍受している。

しかし、これを木村司令官は意に介せずそのまま部隊を進撃させ、関係各部に対して「予定通リ、突入ス」と打電した。

18時から20時にかけてB-25ミッチェル双発爆撃機やP-38ライトニング戦闘機が続々と米軍機が部隊上空にやってくるが、数が少なく周辺を飛行するだけで攻撃はかけてこなかった。


日本艦隊を発見したアメリカ軍は、ミンドロ島の航空部隊による攻撃を命じるとともに、第7艦隊の一部をチャンドラー少将の指揮の下で迎撃に向かわせた。しかし、ミンドロ島の航空部隊は爆弾の備蓄などが不十分で、戦闘機による機銃掃射なども含めたありあわせの攻撃を行うことになった。


ミンドロ島には、輸送船4隻と魚雷艇10隻のみが在泊中だった。輸送船にはマンガリン湾のイリン島の影への退避が命じられ、魚雷艇は迎撃態勢に入った。


現地は18時39分、日没を迎えた。

しかし当日の天候は晴れ、月齢11と夜になっても部隊は上空から丸見えであった。


20時45分、まず「朝霜」が爆撃を受ける。これは命中しなかったが、これを皮切りに続々と米軍機が各艦に攻撃を始めた。


21時01分、今度は「大淀」が爆撃を受ける。250kg爆弾2発が命中したが何故かこの爆弾には信管が付いておらず、一発は艦橋脇を貫通し海中へ突入し、もう一発は缶室直上まで甲板を貫通して止まった。

次に「清霜」が狙われ、舷中部に爆弾1発が命中、これが機関室を直撃、航行不能となるとともに浸水が始まった。しかし他艦に救助に当たる余裕は無く、洋上に停止し炎上する「清霜」を取り残して各艦は進撃していった。「清霜」はその後30分ほどで沈没した。

このほか「足柄」にB-25が衝突し、火災が発生した。そのため「足柄」は搭載魚雷を投棄せざるを得なかった。死傷者は70名に上った。


挺身部隊はマンガリン湾に突入し、23時頃サンホセの敵上陸地点に向けて攻撃を始める。

まず、上陸地点沖合にいた輸送船4隻に砲雷撃を加え(霞4本、樫2本、榧2本)、3隻以上の撃沈破を報じた。

アメリカ側の記録では、輸送船「ジェームス・H・ブリーステット」が大破炎上した。ついで、海岸の物資集積所に向けて砲撃を開始。約20分間、砲撃を行った。


戦闘の間、「足柄」から発進した水偵が照明弾を投下したほか、基地から発進した瑞雲水上偵察機3機が飛来して援護を行った。

アメリカ軍は魚雷艇PT-77など数隻が航空機の攻撃で損傷している。

日本陸軍も戦闘機8機と重爆撃機1機を出動させ、飛行場4箇所炎上を報じている。


27日午前0時04分、木村司令官は攻撃終了命令を出し、部隊は避退行動に移った。

避退途中で木村司令官は『これより「清霜」の救助に旗艦があたる。各艦は合同して避退せよ』と下令する。

そして上空に敵機がおり、敵魚雷艇の襲撃の危険性がある中で「霞」は機関を停止して「清霜」乗員の救助を始めた。

そのうち、2隻の米魚雷艇が攻撃を仕掛けてきたが、退避北上していた「足柄」、「大淀」が「霞」の側面に立ちはだかると照射砲撃でこれを撃退した。

更に「朝霜」も機関を停止すると救助活動を始めた。両艦は2時15分、救助活動を終了し、残存の部隊29日18時30分にカムラン湾へ無事帰投した。

なお、「清霜」乗員342名のうち隊司令、艦長以下258名が救助された他、5名がその後米軍魚雷艇に救助され、戦死・行方不明は79名であった。

迎撃に派遣された巡洋艦4隻、駆逐艦8隻からなるチャンドラー部隊は、日本艦隊を捕捉出来なかった。


結果編集

日本側の作戦は成功したが、アメリカ側の被害は軽微だった。

むしろ駆逐艦1隻撃沈、中小破多数という結果は、被害に対して十分な戦果と言える。

この、ささやかな作戦の成功が、帝国海軍の組織的戦闘で最後の勝利になったとも言われる。

どちらにせよ大局には影響しなかった。


それから70年後……編集

礼号作戦から70年後の2014年12月26日、双方ともに狙っていたものかは不明だが、第二次世界大戦の軍艦を美少女擬人化させた作品「艦隊これくしょん」と「蒼き鋼のアルペジオ」にて足柄に関係する出来事が発生した。

艦隊これくしょんの場合編集

その日のアップデートにて、足柄改二と礼号作戦にちなんだ任務が実装された。

詳細は礼号組参照。

※後に今作戦をモチーフにした期間限定イベントの開催が決定した。

蒼き鋼のアルペジオの場合編集

原作単行本第10巻が発売され、その表紙を飾っているのはアシガラであった。


関連タグ編集

第二水雷戦隊 第一水雷戦隊

北号作戦 完部隊 次段作戦とその参加艦艇グループタグ

出撃!礼号作戦・・・艦隊これくしょん期間限定イベント海域の1つ。今作戦がモチーフ。

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