曖昧さ回避
- 旧日本海軍の軽巡洋艦の1隻。艦名は宮崎県(日向国)の大淀川に由来する。本記事で説明。
- 『艦隊これくしょん』に登場する艦娘については、「大淀(艦隊これくしょん)」を参照のこと。
- 1988年度まで大阪市に存在した行政区→大淀区 ※現・北区の北半分にあたる。
- 阪神電鉄北大阪線の電停のひとつ(1975年の北大阪線廃止にともない消滅)。現在の大阪市北区大淀北3丁目~4丁目付近にあった。
- 奈良県の自治体のひとつ→吉野郡大淀町 ※紀ノ川(大和吉野川)の流域にある。
軽巡洋艦「大淀」の概要
大淀とは、旧日本海軍の軽巡洋艦として最後に開発された艦型で、第二次世界大戦直前に日本海軍が構想していた甲乙丙の3種の巡洋艦のうち、重巡洋艦の甲・水雷戦隊旗艦の乙と並ぶ、潜水艦の集団「潜水戦隊」を率いる丙巡として建造された。
姉妹艦として「仁淀」が予定されたが、大戦勃発により建造されなかったため同型艦はない。
特徴
本艦は従来の軽巡とは全く性格が異なり、直接敵艦と戦うのではなく、比較的距離をおいたところから、視界の狭い潜水艦に代わって航空偵察を行い、通信で指揮を執ることが想定されていた。そのため、装備の中心は6機の高速水上偵察機「紫雲」(とそのための大型格納庫・大型カタパルト)と司令部施設(通信設備は正規空母・戦艦に匹敵するクラス)であった。いわゆる航空巡洋艦に数えられる。日本海軍の(空母以外の)艦艇で格納庫を持つものは珍しく、同じ航空巡洋艦の最上や利根も搭載機は吹さらしである。ほかに格納庫を持つのは、主砲の大威力で搭載機も壊してしまう大和型戦艦、空母に準ずる伊勢型航空戦艦ぐらいで、大淀がいかに搭載機を重視しているか分かる。
また大淀は通信・航空設備がクローズアップされることが多いが、艦としての基本的な性能も強行偵察任務という目的から軽巡としては非常に優秀な性能を持つ。
公試成績では35.5ノット(安定して39.5ノットを発揮できたという大淀航海長の証言が残っており、戦闘中に45ノットを発揮したと言う話もある)、航続距離はなんと10180海里(最初の計画では8700海里であったが、帝国海軍軽巡洋艦最長の192mの船体やバルバス・バウの採用で水の抵抗が予測値より減ったためとされている)。
従来の軽巡とはかなり毛色が異なるが、艦としての基本性能は非常に優秀で、日本海軍軽巡の完成形であると言える(同時期の阿賀野型は、その後に続く改阿賀野型の計画があったが未成に終わったため)。
艦内は大和型をも凌ぐ「冷房完備」であり、また士官はもとより水兵に至るまで従来のハンモックではなくベッドが完備され、居住性は非常に良好であった。これはホテルや御殿とも揶揄された大和型をも凌ぐほど。
ただし、連合艦隊旗艦としての改装を受けた後はトップヘビーとなり安定性が低下、最大速力発揮時に転舵すると大傾斜してしまうという問題を抱えてしまった。また、電探も故障や不具合が多く信頼性が低かった。
武装
任務の性格上大淀は対艦戦闘に重きを置いてはいない。武装は船体サイズの割に控えめで、主砲は15.5センチ砲3連装砲2基6門(大和型の副砲と同型である)、副砲として10cm連装高角砲を4基8門、25mm3連装・単装対空機銃で、魚雷は装備していなかった。
魚雷を装備していないため、対艦攻撃力は他の軽巡に劣るものの、15.5cm主砲と10cm高角砲の組み合わせによる砲火力は阿賀野型を凌いで日本軽巡中最強であった。
また、対空戦闘においては当時最新式の副砲や機銃に加え、主砲の15.5cm3連装砲も遠距離目標への対空射撃が可能だったため軽巡としては破格の対空能力を持っていた。
日本海軍内では唯一の魚雷発射管を持たない軽巡である。
戦歴
1943年2月28日竣工。しかし戦争の様相の移り変わりのため、潜水戦隊旗艦として働くことはなく、輸送任務などにあたっていた。「紫雲」も不作でせっかくの搭載施設も生かせない大淀は図体の割に攻撃力の乏しい軽巡洋艦で、使いどころに困る存在であった。
その大淀に、軽巡としては異例の連合艦隊の旗艦という任務が回ってきたのは、戦局が逼迫する状況で、戦艦のような有力艦を旗艦任務につけて遊ばせておくわけにはいかない必要に迫られたからである。大淀の通信能力の高さに着目し、潜水戦隊司令部とはケタ違いの規模を持つ連合艦隊司令部を乗せるために改装、せっかくの大格納庫は司令部区画に転用された。
その旗艦任務も、連合艦隊司令部が陸上に上がったため比較的短期間(半年弱)に終わり、大淀は一軽巡洋艦として、レイテ沖海戦・礼号作戦・北号作戦に参加。
レイテ沖海戦では小沢艦隊に所属し艦隊旗艦の瑞鶴被弾後、持ち前の通信能力の高さを生かし旗艦業務を引き継いだ。
もともとは大淀が小沢艦隊旗艦となるはずであったが、小沢長官が瑞鶴を旗艦に選んだ経緯がある。この選択のために、栗田艦隊らとの通信に齟齬が生じ、日本軍が大敗する主因になったとの説が有力になっている。
礼号作戦では爆弾2発が直撃、うち一発は機関室に飛び込むも、空中で信管が外れていて不発で、難を逃れた。
北号作戦では制海権・制空権を握られた状態ながら貴重な物資を本土へ輸送することに成功する(この時既に不要になった司令部施設を再び改装、以前の格納庫に近い状態にして物資を詰め込んだ)。
いずれの海戦もほぼ無傷で生き残り、その強運さは海軍でも有名だったものの、北号作戦後はまともに動かす燃料の確保さえ難しくなり、練習艦に格下げされた後、最期は1945年7月28日に江田島(現在の江田島市)で爆撃を受け、転覆着底した。その日は就役してからちょうど2年5ヶ月目のことだった。
艦名 | 工廠 | 起工 | 進水 | 竣工 | 戦没 |
大淀 | 呉 | 1941/02/14 | 1942/04/02 | 1943/02/28 | 1945/07/28(擱座) |
戦後
擱座から2年後の1947年、本艦の浮揚作業が行われ、生まれ故郷にして時すでに播磨造船所呉事業所と名を変えた、もと呉海軍工廠(→現ジャパンマリンユナイテッド呉事業所)に曳航、解体されている。
大淀の艦名は、1991年に竣工した海上自衛隊のあぶくま型護衛艦3番艦・DE-231「おおよど」として受け継がれ、これが2代目にあたる。艦内神社は、初代大淀が宮崎神宮の分霊を祀っていたのに対し、こちらでは、同じ宮崎市にある小戸神社に改められた。
2021年4月1日現在、大湊を定係港として現役にある。
また2番艦になる予定だった仁淀の名も、これより先に海自のちくご型護衛艦7番艦・DE-221「によど」として復活し、同型5番艦には大淀と同じく宮崎県の河川(岩瀬川)にちなんだDE-219「いわせ」が存在した。これらはすでに除籍されているが、その名は「おおよど」が現役の間にもがみ型護衛艦7番艦・FFM-7「によど」として再度用いられている。
関連タグ
酒匂(軽巡洋艦):本艦就役の翌年に竣工した、旧日本海軍最後の軽巡洋艦。
※本艦と同じ現・広島県江田島市で擱座し終戦を迎えた艦
利根(重巡洋艦):2代目。現在海自で運用中の「とね」は現「おおよど」と同じ「あぶくま」型の6番艦で、これが3代目になる。
戦艦榛名:初代。この艦名は海自の護衛艦「はるな」型のネームシップとして受け継がれた(2代目)が、こちらは2009年に除籍された。