曖昧さ回避
上記を元ネタとする艦船擬人化キャラクター。
- 艦隊これくしょん→瑞鶴(艦隊これくしょん)
- 蒼き鋼のアルペジオ→ズイカク
- 戦艦少女→瑞鶴(戦艦少女)
- アズールレーン→瑞鶴(アズールレーン)
- アビス・ホライズン→瑞鶴(アビス・ホライズン)
- 蒼藍の誓いブルーオース→瑞鶴(ブルーオース)
- ブラック・サージナイト→瑞鶴(ブラック・サージナイト)
- ヴェルヴェット・コード→瑞鶴(ヴェルヴェット・コード)
- 『マブラヴ』シリーズに登場する人型メカ戦術機の一機。→瑞鶴(マブラヴオルタネイティヴ)
瑞鶴(日本海軍)
太平洋戦争中、真珠湾攻撃や珊瑚海海戦、第二次ソロモン海戦、南太平洋海戦などで活躍したが、昭和19年10月25日エンガノ岬沖海戦で沈没した。瑞鶴はマリアナ沖海戦まで一発も被弾しなかった幸運艦であった。
艦名の「瑞」はめでたいという意味。「鶴」は日本において長寿の象徴とされており、縁起の良い鳥獣の一種である。
艦歴
瑞鶴は昭和13年5月25日神戸川崎造船所にて起工され、昭和14年11月27日進水、昭和16年9月25日に就役した。姉妹艦の「翔鶴」とともに第五航空戦隊を編成した。 そっくりな翔鶴と区別するために、甲板前部に「ス」と書かれていた(ただし瑞鶴の最終状態の時には、この文字は消されていた)。
ハワイ海戦(真珠湾攻撃)
第五航空戦隊は南雲忠一中将指揮下の第一航空艦隊に属し、真珠湾攻撃のため昭和16年11月16日に択捉島単冠湾を出撃した。12月8日、瑞鶴は他の5隻の空母と共に真珠湾に対し2波にわたる攻撃を行った。
瑞鶴からは計58機が出撃し未帰還機ゼロという幸運なスタートを切った。当初は新顔だったと言うことで、翔鶴共々艦隊からお荷物扱いもされ、攻撃の際も難しい魚雷攻撃ではなく、水平爆撃が主体だったが、このとき岩本徹三など、後に名を馳せる名パイロットが乗艦している。
瑞鶴からのハワイ海戦参加機
- 第一次攻撃隊
九九式艦爆25機=指揮官:分隊長坂本明大尉、零戦6機=指揮官:分隊長佐藤正夫大尉
- 第二次攻撃隊
九七式艦攻27機=指揮官:飛行隊長嶋崎重和少佐(第二次攻撃隊指揮官)
しかし真珠湾攻撃作戦から帰投すると、昭和17年1月1日付で瑞鶴搭載の常用機定数は翔鶴ともども艦上戦闘機、艦上爆撃機、艦上攻撃機各18機に削減されて「蒼龍」、「飛龍」と同じとなり、当初の3分の2となった。
ラバウル攻略、セイロン沖海戦
開戦して開けて昭和17年1月20日、ラバウルを攻略作戦に翔鶴と共に参加し、連合軍基地を空襲した。この時は主立った抵抗も受けず、占領することに成功する。 21日にはニューギニア島ラエを攻撃した。4月、セイロン沖海戦に参加。
珊瑚海海戦
昭和17年5月、MO作戦においてMO機動部隊に編入されポートモレスビー攻略作戦の支援に当たり、8日米第17任務部隊と交戦した(珊瑚海海戦)。瑞鶴は米軍機の攻撃時スコールに身を隠したため損害は受けなかったが、多数の艦載機と搭乗員を失い、その再編のため日本本土へ戻った。そのためミッドウェー海戦には参加できなかった。ミッドウェー海戦で赤城など正規空母4隻を失ってからは、生き残りの正規空母として翔鶴とともに機動部隊の主力空母となった。またミッドウェー海戦の戦訓から、搭載機の編制も艦戦27、艦爆27、艦攻18に改められた。
南太平洋海戦
昭和17年8月、アメリカ軍のガダルカナル島上陸に呼応して「翔鶴」、「龍驤」らと共に南東方面へ進出。24日米第61任務部隊と交戦した(第二次ソロモン海戦)。10月26日には再度米機動部隊と交戦し、他艦と共同で「ホーネット」を撃沈した(南太平洋海戦)。昭和18年2月、ガダルカナル島からの撤退を支援した。
昭和18年後半は「瑞鶴」はトラック島に碇泊。9月17日に瑞鶴は他の艦艇と共に訓練のためトラック島を出港した。翌18日、米機動部隊がギルバート諸島タラワ、マキンを空襲したため、瑞鶴以下の日本艦隊はこの米艦隊攻撃に向かったが会敵できず23日にトラック島に帰投した。10月5日、6日今度はウェーク島を米機動部隊が空襲。17日日本艦隊はトラック島を出撃したがこの時も会敵できずに終わった。
また、4月のい号作戦、11月のろ号作戦では、陸上基地航空部隊の支援のため艦載機をラバウルへ進出させたが、後者では壊滅的な損耗を被り、これが次項のマリアナ沖海戦に悪影響を及ぼすことになる。
マリアナ沖海戦
昭和19年5月、あ号作戦準備のためギマラス泊地に移動。6月19日、20日マリアナ沖海戦に参加。米機動部隊を先制攻撃するも、レーダー・圧倒的多数の迎撃戦闘機・激烈な対空砲火により、発進させた艦載機を多数失い、それでいて米機動部隊にはほとんど損害を与えられなかった。翌20日の夕刻、追撃してきた米機動部隊の艦載機の空襲により、艦橋後部を小破した(これが瑞鶴が被った、初めての損傷である)。なお、この海戦で、姉妹艦翔鶴が潜水艦からの雷撃で撃沈されている。
レイテ沖海戦
10月、フィリピン・レイテ島に侵攻してきた米軍に打撃を与えるべく出撃した、栗田健男中将が指揮する第二艦隊(第一遊撃部隊)のレイテ湾突入を成功させるため、小沢治三郎中将が指揮する第三艦隊(機動部隊本隊。いわゆる囮艦隊)の旗艦としてフィリピン北東海面へ進出。25日、米第38任務部隊からの相次ぐ空襲により、ついに沈没した(エンガノ岬沖海戦)。
第一波の攻撃により、1本の魚雷が命中した。これにより機械室に浸水した。また送風装置の故障により機関室の温度が急上昇し在室不能となり、この結果2軸運転となった。また舵取装置も故障し、人力操舵となる。
第二波の攻撃までは約1時間の時間があり、その間も瑞鶴は囮の役目を果たすべく北上を継続した。なお戦闘中一時通信不能になったが、その後復旧し、米機動部隊の誘致に成功したことが発信されるが、その通信は栗田艦隊には届くことは無かった。
第二波の攻撃では、速力低下を来たしたことが致命傷に繋がり、その後5-6本の魚雷を受けた。また爆弾も5-7発命中し、揮発油タンクなどに引火した。対空火器は爆撃によって破壊されたり、動力を絶たれたりして使用不能となった。辛うじて残った右舷の高角砲が最期まで射撃を継続していたが、砲身が過加熱して焼けるなどして迎撃継続が困難となり、最終的に傾斜が増し旋回不能になり沈黙した。総員退艦が発令された後、瑞鶴は左に傾斜しながら艦尾から沈没した。沈没時には米軍機の攻撃は終了しており、総員退艦時に撮影された飛行甲板での写真は有名である。
なお、戦争中期以降は、各種電探を装備するとともに、25mm機銃(3連装機銃、単装機銃)が逐次増備されていった他、最終状態であるレイテ沖海戦時には、瑞鶴を空母以外の艦船にみせかけるための(内地での在泊中に、周りの山などに溶け込ませるためとの説もある)迷彩塗装が施されたり、12センチ28連装噴進砲(対空ロケットランチャー)8基が装備されていた。
奈良県橿原市の橿原神宮そばに航空母艦瑞鶴之碑、及び川崎重工が再現した三角マストのレプリカがある。
瑞鶴(日本海軍)を元ネタとするキャラクター
余談
ゲーム『ドラゴンクエストⅥ』には同名のボス(ズイカク)が登場している。ドラゴンクエストシリーズで旧日本海軍関連の名前はこのズイカクとショウカクのみで、史実を反映するようにショウカクがズイカクを庇い、ズイカクが攻撃するというスタイルを取る。
イラストノベル『鷲尾須美は勇者である』の主人公鷲尾須美が学校の黒板に、本艦の絵を描いていた。