レイテ沖海戦の全体の流れは、該当の記事を参照。
挿し絵は、『艦隊これくしょん』のキャラクター(艦娘)を用いたイメージである。
エンガノ岬沖海戦まで
再建途上の航空隊と、直衛戦力の第五艦隊を台湾沖航空戦に提供した機動部隊だが、直後のレイテ湾口への米軍進攻の報を受け、連合艦隊から出撃準備の命令を受ける。
「当分機動部隊は使わない」という口約束を受けて、貴重な戦力を提供していた機動部隊は数日を経ずに約束が反故にされた事を知り激怒するがどうしようもなく、内地に残置していた錬成中の航空隊をかき集め、10月19日に司令長官・小沢治三郎中将率いる機動部隊(三航戦(瑞鶴を加えた最終編成))、四航戦(航空戦艦伊勢、日向)、大淀、五十鈴、多摩、駆逐艦8隻)は瀬戸内海を出撃、翌20日大分沖で航空機を収容して日本本土を離れ、敵潜水艦の哨戒網の穴をすり抜けてフィリピン近海へと南下を続けていた。
航空戦力の激減している小沢艦隊の作戦目的は、フィリピン周辺海域を遊弋するウィリアム・ハルゼー大将指揮のアメリカ海軍第3艦隊(空母17隻、アイオワ級戦艦をはじめ護衛の艦艇多数)を見つけ出し、それを北方海域まで誘致。基地航空部隊と協力してこれを攻撃殲滅。それによりレイテ湾のアメリカ軍上陸地点に突入する栗田艦隊を支援する、というものだった。
しかし小沢艦隊による囮任務が成功する前に、ハルゼー機動部隊は栗田健男中将指揮の大和、武蔵、長門、金剛、榛名の戦艦5隻、妙高、熊野、利根などの重巡7隻を擁する第一遊撃部隊(通称栗田艦隊)を発見、10月24日にシブヤン海にて猛攻撃を加え、戦艦武蔵を撃沈する。
ハルゼー機動部隊が栗田艦隊を空襲している頃、小沢機動部隊もハルゼー機動部隊を発見。なけなしの艦載機を発進させ、敵機動部隊への攻撃を行う。
この攻撃が、日本海軍機動部隊として最後の航空攻撃となった。
しかし瑞鶴以外の攻撃隊はどれも敵を発見できずにフィリピンの友軍基地に着陸。瑞鶴の攻撃隊は迎撃網を突破しハルゼー機動部隊への攻撃に成功するものの、その戦果は至近弾数発のみであった。
攻撃隊は攻撃終了後には囮役の母艦ではなく、マニラの陸上基地へ向かうよう指示されていたため帰投していない(実際には一部の機が小沢艦隊に帰還している)。
夕方、ハルゼー機動部隊の偵察機が、ようやく小沢機動部隊を発見。
敵に発見されたことを確信した小沢長官は、直掩用の零戦わずかを残して残りの艦載機を陸上退避させたため、以後の小沢艦隊は機動部隊でありながら、ほぼ航空戦力は無いに等しい状態となった。
小沢艦隊は敵に発見されやすいよう、司令官・松田千秋少将麾下の第四航空戦隊を中心とする部隊を先行して南下させていた。ところが夜になって、栗田艦隊がハルゼー機動部隊の空襲の激しさから15時30分に一時退避したという電報を受け、同隊は退却したと誤断する。栗田艦隊は17時14分再び進撃を開始し、少し遅れてこの事を各隊に通達してはいたのだが、この通達は小沢艦隊にだけ届かなかった。そのため自艦隊だけが敵中に孤立する事を恐れた小沢長官は、前進している松田隊を引き上げさせる。
この際、瑞鶴への収容に失敗し着水した零戦の搭乗員を救援しに本隊から離れ別行動を取っていた駆逐艦桐、杉の2隻が松田隊に一時合流していたのだが、夜間という事もあって桐と杉の乗組員が松田隊の秋月型駆逐艦4隻を軽巡洋艦と誤認、「小沢艦隊にいるはずのない4隻目の軽巡」の存在から桐と杉は誤ってハルゼー機動部隊の方に合流してしまったと勘違いし、松田隊と行動をともにする事なく海域を離脱してしまった。
そしてこの日の夜にはスリガオ海峡夜戦にて西村艦隊が時雨1隻を残して全滅している。
エンガノ岬沖海戦
第一次空襲(千歳沈没)
小沢機動部隊を発見したハルゼーは、栗田艦隊の戦艦武蔵を沈めるなど大損害を与えた事と、これにより栗田艦隊が(一時的だが)針路を反転させた事で退却したと判断。あとは上陸部隊の護衛部隊であるトーマス・キンケイド中将の第7艦隊に任せ、機動部隊全力で小沢艦隊への攻撃に向かう。翌10月25日、ハルゼーは200機近い攻撃隊を発艦させ、8時過ぎに小沢機動部隊に襲い掛かった。
小沢機動部隊は瑞鶴・瑞鳳を中核とした本隊(第五群)と、千歳・千代田を中核とした支隊(第六群)とに分かれて進撃していたが、いずれも空母に攻撃が集中した。
アメリカ艦載機群の猛攻撃に反撃する航空戦力もほとんど無い小沢機動部隊は、まず支隊の駆逐艦・秋月が爆発を起こし轟沈。
続いて8時15分には直撃弾を受けた千歳が爆発炎上し、9時37分沈没。
四空母の中で、最初の喪失艦となった。
そして瑞鶴も魚雷を受けて速力低下するなど、各艦も次々に被害を受けていった。小沢長官は未だ栗田艦隊が再反転したという情報を得られず、既に後退したと誤断。そのため北方誘致成功などの状況報告を積極的にしなかった。そのため重要な「北方誘致に成功」の情報は栗田艦隊のどの艦にも届かず、それ以外の電報も栗田艦隊だけでなく参加部隊全てにも届いていなかったりと、通信の大きな齟齬を生じさせた。
第二次空襲(千代田落伍)
第一次攻撃隊が去って、小沢長官は通信力の落ちた瑞鶴から大淀への旗艦移乗を決断し大淀に近づくよう指令を出すが、空襲が終わってすぐの10時過ぎには、アメリカ艦載機群の第二次攻撃が開始される。
この攻撃により瑞鶴に損害はなかったが千代田に爆弾が直撃、機関部を破壊された千代田は航行不能となり、単艦で艦隊から落伍してしまう。
これにより、機動部隊に残る空母は本隊の瑞鶴と瑞鳳のみとなった。
なお、第二次空襲の終了後に司令部の移乗が行われたが、瑞鶴の乗員からは早々に司令部が逃げるとみなされ、小沢長官らに対して怒号が浴びせられたという。
なおこの頃になってハルゼーのもとに栗田艦隊がサマール沖まで進撃し、護送空母部隊の一群と交戦状態となり、レイテ湾が危機に瀕しているとの緊急電が届く。ハルゼーはそれでもキンケイドの第7艦隊で対処出来ると考えていたが、ニミッツ太平洋艦隊司令長官からの命令を受け、小沢艦隊の追撃を部下の第58任務部隊司令官マーク・ミッチャー中将に委ね、戦力の半数を率いて再度反転しレイテ湾に向かう。
第三次空襲(瑞鶴、瑞鳳沈没)
満身創痍の小沢機動部隊に対し、13時過ぎには再び200機近い艦載機からなる第三次の攻撃隊が殺到する。
ここまで生き残ってきた瑞鶴と瑞鳳であったが、すでに速力も低下したところに集中攻撃を受け、次々に被害を受けてしまう。
この時、共に必死の回避運動を行う瑞鶴と瑞鳳、そして炎上しながらも対空戦闘を行う瑞鳳の姿が米軍機のガンカメラにより写真として遺されている。
そして14時14分、真珠湾攻撃以来の武勲艦であり幸運の空母と謳われた瑞鶴がついに沈没。
唯一残された瑞鳳も損傷に耐えきれず艦体が切断し、15時27分に沈没した。
瑞鳳の沈没により小沢艦隊は機動部隊の体を成さなくなり、ここに栄光の日本海軍機動部隊は消滅した。
第一次砲戦(千代田沈没)
ハルゼーに替わり追撃戦を任されたミッチャー中将は、艦隊から第13巡洋艦部隊司令官ローレンス・T・デュポーズ少将率いる巡洋艦を中核とする艦隊を編成して分離させ、先行して追撃させた。この艦隊は友軍機より連絡があった、第二次攻撃で被弾して航行不能となり、艦隊からはぐれ、単艦で漂流中の千代田を発見。千代田は果敢にも高角砲により応戦を開始しするも、デュポーズ部隊は航行不能ながら反撃してくる千代田に猛砲撃を加えてこれを撃沈。生存者はいなかった。
第四次空襲(伊勢、日向の奮戦)
17時過ぎ、全ての空母を失った小沢艦隊に対し、更にアメリカ艦載機の大編隊が第四波の攻撃を開始する。
攻撃は大型艦艇である航空戦艦伊勢と日向に集中した。
伊勢と日向は中瀬泝少将(伊勢)、野村留吉少将(日向)の2人の新米艦長が指揮する鈍重な航空戦艦でありながら、新装備である噴進砲をはじめとする強力な対空兵装による弾幕射撃と、第四航空戦隊司令官・松田千秋少将作成の回避マニュアルを用いた効果的な回避運動により、直撃弾を受けず(至近弾による若干の損傷は有り)に切り抜ける事に成功する(この時伊勢は、対空戦闘継続中に洋上で機関を停止して瑞鳳の乗員98名を救助する離れ業を見せるが、それがどれだけ危険な行為かは言うまでもない)。
この2隻の活躍は攻撃側の指揮官ハルゼー提督をして「老練なる艦長の回避行動により、ついに一発の命中弾も得ず」と嘆じさせた(実際は上記の通り、老練どころか全くの新米艦長)。
第二次砲戦(初月の勇戦)
第四次空襲の終了時点で、小沢艦隊は四散したも同様の状態であった。小沢長官自身が統率できているのは軽巡大淀と航空戦艦伊勢だけで北上中、第四航空戦隊旗艦の航空戦艦日向が駆逐艦霜月と共にそれを追尾し、駆逐艦初月、若月、桑が瑞鶴と瑞鳳の生存者の救助作業中。軽巡洋艦五十鈴は行方不明となった千代田の捜索中。第一次空襲で大破した軽巡洋艦多摩は応急修理を経て沖縄に単独帰還中。第二次空襲で中破した駆逐艦槇は機関と舵の故障により半ば落伍、前日夜に松田隊を敵と誤認し離脱した駆逐艦杉、桐は結局合流できずと、バラバラの状態であった。
このうち五十鈴は生存者救助中の若月、初月と合流(桑はこの時点で救助を終え主力と合流すべく北上を開始)し、千代田捜索を依頼。初月が救助を続行し若月が五十鈴に同行する。
しかしこの直後に、不運にもこの3隻は千代田を葬ったデュポーズ部隊と遭遇してしまう。
勝ち目無しと見た3隻はただちに煙幕展開し離脱を開始したが、初月はやがて反撃態勢を整えて反転、アメリカ艦隊と戦闘を開始する。
初月はアメリカ艦隊のレーダーによる集中砲撃を受けつつも偽襲行動などを繰り返し、単艦でアメリカ艦隊を翻弄、その間に五十鈴と若月は離脱に成功する。結果として初月は味方を逃がす事に成功したものの、自らは2時間以上にわたる戦闘の末、力尽き20時59分遂に沈没。内火艇で漂流の末、台湾の紅頭嶼(こうとうしょ)に漂着した8名を除き、初月の乗員は全員が戦死した。
このときデュポース部隊の多くは、立ち向かってくる駆逐艦としては大型の初月を(夜戦と煙幕で視界がさえぎられていたとはいえ)青葉型重巡洋艦か、最低でも阿賀野型、夕張型軽巡艦だと誤認し、またたった一隻の初月を沈めるまでに膨大な弾薬を浪費しており、これらの事柄が初月の奮戦がどれだけ凄まじかったかを詳細に物語っている。
以前も船団を救うために殿として奮戦した駆逐艦松を第13巡洋艦部隊を率いて撃沈した事もあるデュボース提督は松と同様の初月の最期を見て「断腸の思いだ」と述べたという。
また単独で帰還していた多摩は、米潜水艦ジャラオの雷撃を受け23時5分に沈没。単艦での沈没のためこれも生存者は一人もいなかった。
その後
小沢艦隊は五十鈴からの通報を受け、伊勢と日向の砲戦力を持ってアメリカ艦隊を攻撃すべく南下を始めた。
しかしこのとき小沢長官が掌握出来ていた戦力は、旗艦の軽巡大淀以下、戦艦日向・伊勢、駆逐艦霜月の4隻のみであった。それでも千代田と初月を救うべく前進したが、四散していた艦隊の合流に手間取り間に合わず、燃料の不足により帰投した。
戦後になって、囮となった小沢艦隊は空母四隻の全滅と引き換えに、狙い通りにアメリカ機動部隊を攻撃を引き受けることに成功したとされている。
しかし、囮作戦をする理由であった「敵機動部隊を基地航空部隊と共に殲滅し、栗田艦隊を空襲の脅威から守る」事には失敗しており、当時は成功したとは考えられていなかった。
麾下の大淀の戦闘詳報でもその事が触れられ、小沢艦隊司令部が何時から何時まで、栗田艦隊を敵機動部隊の脅威から守らなければならないのかという明確な観念がないとこれを厳しく批判している。栗田艦隊が損害を受け、艦隊の中核である戦艦武蔵を失った後で囮に成功してもそれは「成功」とは言えないのだが、戦後の栗田批判小沢擁護の風潮の中で、その問題は忘却されてしまっている。
また第四航空戦隊司令官・松田千秋少将は帰還して小沢長官に会った際、小沢が
「栗田艦隊が24日の反転後、突入を再開してレイテ湾に向かった事を知らなかった」
と語っていたと証言しており、25日の状況報告がどれも短く場所も記されず状況が分かりにくく、積極的に行っていない点、小沢艦隊側の記録に栗田艦隊が再反転した事を知る事の出来る電報の受電記録がないなどから、栗田艦隊は退却したと考えていたのではないかとも考えられている。
小沢艦隊側の報告が届いていなかったという点は他の部隊でも見られ、例えば軍令部は小沢艦隊が4隻の空母を全て失った事を、同艦隊が帰還するまで把握できず、天皇への上奏でも空母は健在であるとしている。
結局小沢艦隊が囮艦隊の奇策と犠牲をはらったこの海戦は、前述のような齟齬による栗田艦隊の反転により無為となって終わり、残存艦は日本本土へ撤退した。
残存艦の戦い
レイテ沖海戦終了後、第三艦隊は解隊され、伊勢、日向などの機動部隊の残存艦は仏印(ベトナム)やインドネシアなどへの物資輸送の為本土を離れ南方へ進出する。
このうち軽巡大淀は重巡足柄らとともに木村昌福少将指揮のもと、フィリピンのミンドロ島攻撃作戦礼号作戦に参加し、日本海軍最後の戦術的勝利に貢献した。
五十鈴や若月などの護衛艦艇は多号作戦などレイテ島への増援部隊護衛任務に出動し、その多くが数か月以内に沈没した。
その後、伊勢・日向・大淀は、日本本土へ物資を輸送する決死の作戦「北号作戦」に参加することとなる。
関連タグ
太平洋戦争 海戦 レイテ沖海戦 スリガオ海峡海戦 栗田ターン
艦隊これくしょんの関係艦娘
瑞鶴(艦隊これくしょん) 瑞鳳 千歳(艦隊これくしょん) 千代田(艦隊これくしょん)
※上記4空母の最終形態が緑色なのは、囮作戦の際に迷彩塗装を施されたため。
五十鈴(艦隊これくしょん)/五十鈴改二 大淀(艦隊これくしょん)(任務娘) 多摩(艦隊これくしょん) 秋月(艦隊これくしょん) 初月(艦隊これくしょん)