概要
サマール沖海戦はレイテ沖海戦中の1944年10月25日早朝、フィリピン中部のサマール島近海にて進撃を続けていた日本海軍栗田艦隊(第一遊撃部隊の第一部隊、第二部隊)と、その進路上のアメリカ海軍第7艦隊(トーマス・キンケイド中将)第77任務部隊第4群第3集団(コードネーム「タフィ3」、以下タフィ3の名称を使用)が遭遇したことにより生起した海戦である。
海戦までの経緯
栗田艦隊
パラワン島近海での潜水艦からの雷撃とシブヤン海海戦での空襲で戦力を消耗した栗田艦隊は、第三艦隊(小沢三郎中将)による囮作戦失敗の可能性から一時反転していた。しかし、アメリカ海軍第3艦隊(ウィリアム・ハルゼー大将)は栗田艦隊が撤退したと判断して攻撃を終了し、接近を察知した小沢艦隊撃滅のため北上する。
小沢艦隊からの囮作戦成功の報告こそ届かなかったものの、好機を得た栗田健男中将は再度反転し、レイテ湾へ進撃を再開した。
しかし、旗艦愛宕喪失による混乱と度重なる空襲への対応、一時退避で失った時間は取り返しのつかないものであった。計画では同時にレイテ湾へ西方から突入予定であった西村艦隊(第一遊撃部隊の第三部隊)は24日深夜にスリガオ海峡海戦で駆逐艦時雨一隻を残して全滅、後続の志摩艦隊(第二遊撃部隊)も数度の海峡突入を試みるものの撤退することになる。なお、西村艦隊全滅と志摩艦隊撤退の一報は25日早朝に栗田中将に報告されている。
タフィ3
タフィ3は「ジープ空母」と呼ばれるカサブランカ級航空母艦護衛空母6隻と、「ブリキ缶」と呼ばれるジョン・C・バトラー級護衛駆逐艦4隻、フレッチャー級駆逐艦3隻からなる部隊で、輸送船団の護衛や対潜哨戒などの後方支援を担当する部隊であった。接近中の日本艦隊について連絡は受けていたが、特に迎撃には参加していなかった。
タフィ3は警戒態勢を維持して状況を注視していたが、西方から進撃してきた西村艦隊の壊滅と志摩艦隊の撤退の連絡が入り、北方は強力な戦力を保持するアメリカ第3艦隊の担当区域であったことから25日早朝に警戒態勢を解除している。
海戦の経過
参加兵力
第一遊撃部隊
第十戦隊:矢矧
第二水雷戦隊:能代
タフィ3
護衛空母:ファンショー・ベイ ガンビア・ベイ セント・ロー ホワイト・プレインズ カリニン・ベイ キトカン・ベイ
護衛駆逐艦ジョン・C・バトラー サミュエル・B・ロバーツ デニス レイモンド
黎明の遭遇
午前6時23分頃に付近で活動中の米艦載機を電探が探知し、栗田艦隊は前日と同じように対空戦に備えて輪形陣を取り始めた。その最中にタフィ3を発見するが、発見した時間については「午前6時半頃に矢矧が水平線上のマストを確認した」、もしくは「6時45分前後に大和の見張り員がマストを発見した」など諸説ある。
栗田艦隊はタフィ3を正規空母6隻による機動艦隊と誤認し、艦載機が発艦しきる前に打撃を与えるべく陣形の再変更を行わずに攻撃命令を下す。先陣を切ることになったのはタフィ3に対して最も近かった第五戦隊と第七戦隊の重巡部隊で、第十戦隊と第二水雷戦隊は駆逐艦各艦の燃料不足が表面化しつつあったため、それに続く形で突撃を開始する。
一方タフィ3は午前6時半頃に警戒態勢を解除し通常配置に移行したが、その僅か11分後の午前6時41分に航空機が接近する栗田艦隊を発見し、さらに数分後には各艦のレーダーに大艦隊の艦影が映し出されて総員戦闘配置が発令される。6隻の護衛空母は混乱状態に陥りつつも艦載機の発艦作業を急がせ、100機ほどの発艦に成功している。
しかし、護衛空母部隊は戦艦や巡洋艦を含む水上戦力と真正面から戦闘を行うことは想定外であり、航行速度が貨物船と同等のため振り切ることは不可能であった。
ジープ空母とブリキ缶の死闘
タフィ3は救援を求めるものの、アメリカ第3艦隊は小沢艦隊攻撃に乗り出していたことから補給中の一部隊に救援に向かうように指示するに留まる。スリガオ海峡近海で志摩艦隊を追撃していた巡洋艦部隊は急報が伝えられると反転したが、燃料弾薬の補給の必要があったことから即時に駆けつけることは出来なかった。
上記の状況連絡と共に戦場からの撤退禁止指令という事実上の死守命令を受けたタフィ3は全艦煙幕を展開し、護衛空母6隻はスコールを活用しつつ回避運動と艦載機の発艦を行う。艦載機の収容および補給は既に確保済みの陸上拠点に任せたタフィ3は、比較的近海に展開していたアメリカ海軍第7艦隊第77任務部隊第4群第2集団(コードネーム「タフィ2」)からの航空支援を受け、栗田艦隊からの苛烈な攻撃から生き残るために死力を尽くすこととなる。
7時24分、煙幕から駆逐艦ジョンストンが飛び出し、放った魚雷が熊野に命中して艦首を切断し、落伍させた。ホーエル、ヒーアマンも魚雷を放ち、栗田艦隊の戦艦部隊に回避行動を強要することに成功した。
7時30分、熊野に替わり鈴谷が先頭に立ったが、空襲で左舷の推進軸を損傷し速度が23ノットに低下する。それを知らずに鈴谷への司令部移乗の命令が出され、第七戦隊司令部は後方に取り残され戦況を把握できなくなった。熊野はサンベルナルジノ海峡に向けて退却。
榛名、利根、筑摩は護衛空母カリニン・ベイを攻撃するが、米軍の護衛駆逐艦4隻が魚雷を放ったため回避を強要された。
7時54分、魚雷に両舷を挟まれた大和、長門は戦線から遠ざかった。
羽黒は空襲で第2砲塔が吹き飛ばされ、弾火薬庫に注水が行われた。
7時59分、スコールから抜け出た金剛は利根、筑摩、羽黒と共に護衛空母ガンビア・ベイを攻撃した。
8時10分、榛名は南東方向のタフィ2の攻撃に向かうが、マリアナ沖海戦の損傷で低速になっていたため簡単に逃げられた。
8時30分、ホーエルは大和、矢矧、能代からの集中砲火で沈没した。
8時50分、ジョンストンは既に魚雷を撃ち尽くしていたが、発射姿勢を取ったため、第十戦隊は回避行動をとり、第二水雷戦隊の針路を妨害。米艦隊との距離が開いてしまい、二水戦がタフィ3に魚雷を発射する機会が失われた。矢矧の砲撃でジョンストンが大破。
8時51分、鳥海が被弾し、甲板で魚雷が誘爆し落伍した。金剛からの誤射説が存在するが、鳥海乗組員が全滅して証言者が残されていないため不明な点も多い。アメリカ側の記録では護衛空母ホワイト・プレインズからの砲撃で搭載していた魚雷に被弾したとされている。
8時53分、筑摩は米軍艦攻の魚雷を艦尾に受けて落伍した。
9時10分、ガンビア・ベイが沈没した。
9時11分、各部隊からの戦況報告が無く統制が取れなくなったため、栗田中将は再集結を命じ、攻撃は中断された。
10時5分、サミュエル・B・ロバーツが沈没した。
10時10分、ジョンストンが沈没した。
10時50分、空襲で鈴谷に火災発生。
12時30分、酸素魚雷が誘爆し鈴谷が沈没した。
16時、筑摩は総員退艦。野分により雷撃処分される。
21時40分、鳥海が航行不能となり藤波により後雷撃処分される。
タフィ3の奮戦により栗田艦隊は大損害を受けた。一方、戦果は護衛空母1隻、駆逐艦2隻、護衛駆逐艦1隻に止まった。
タフィ3は「戦闘における特別な英雄的行動」を称えられ、殊勲部隊章を受章した。栗田艦隊に肉薄し、1時間に亘り対決を続けたサミュエル・B・ロバーツは「戦艦のように戦った護衛駆逐艦」の愛称を得、ロバート・コープランド艦長とポール・カー兵曹の名はそれぞれ後に就役した艦の名前に使用された。
敵である雪風の寺内艦長も彼らに敬意を払い、駆逐艦ジョンストンの救命ボートに向けて機銃掃射を行った兵を止め、食料や飲料水を投げ渡し、通過する間敬礼を送った。ガンビア・ベイ乗組員も漂流中に利根や藤波の乗組員たちから敬礼を受けたと証言している。
また艦載機も奮戦して鈴谷、羽黒、筑摩を損傷させ、中にはスコールの中を航行中の金剛に低空から銃撃を加えた者や、爆弾を投下した後もあたかも未だに爆弾を搭載しているかのように襲撃態勢を示すことで目標艦艇に回避行動を強いて時間を稼ごうとした豪の者も栗田艦隊から見受けられている。
栗田艦隊の反転
栗田中将は陣形の建て直しを計るが、救援活動や、断続的に続く空襲により進撃再開に手間取る。当初はレイテ湾への再進撃を指示していたが、艦隊から見て北方の「ヤキ1カ」地点に機動艦隊が存在するという電文が届いたことにより、レイテ湾突入を中断を決定して北上する。存在していない機動艦隊の姿を求め続け会敵できなかった栗田艦隊は13時頃に再度反転してレイテ湾突入を試みるが、既にアメリカ海軍増援部隊が動き出していたため突入の機会は失われていた。
この頃、小沢艦隊の囮作戦が成功した旨の連絡が栗田中将にもたらされたとされている。当時の通信状況が極めて悪い状態であったとはいえ、あまりにも遅い囮作戦成功の知らせに栗田中将は声を上げて悔やんだという。
残存艦の活動
アメリカ海軍は撤退する栗田艦隊への追撃を目論むものの、ハルゼー大将は小沢艦隊を日本海軍の主力と信じ切っていたため栗田艦隊反転の知らせを受けても北上を続け、ニミッツ大将からの電報「第38任務部隊はどこか。全世界は知らんと欲す」で引き返す頃には手遅れで、栗田艦隊はサンベルナルジノ海峡を通過し、ブルネイへ逃れている。ただし、筑摩乗組員の救助活動で艦隊から遅れていた野分は追撃部隊に捕捉され、撃沈された。
その後も航空機による追撃は続行され、マニラ湾へ向けて退避中の能代や早霜、藤波が空襲により喪失している。
残存艦は現地に留まるもの、再反撃や輸送作戦に使用されるもの、本土へと回航されるものと振り分けられた。しかし、レイテ沖海戦そのものの敗北により南シナ海は潜水艦と航空機が跳梁跋扈する危険海域と化した。本土に戻らなかった艦は、多号作戦や礼号作戦といったフィリピン方面での戦闘や、ベトナムやマレー半島方面での戦闘で失われていくこととなる。