概要
1943年10月23日、カサブランカ級護衛空母の9番艦、CVE-53「ミッドウェイ」として就役した。
就役後はマリアナ諸島やインドネシア東端のモロタイ島攻略作戦に従事した。
1944年10月10日、ミッドウェイは新型の大型空母の艦級に付与されることになり、代わってセント・ローに改名された。これは7月18日に攻略したフランスの都市サン=ローの英語読みであり、その武勲を賞してのものであった。
セント・ローは第77任務部隊第4任務群第3任務集団(TU77.4.3、通称タフィー3)に所属し、10月18日よりフィリピン・レイテ島に上陸した陸軍部隊の支援に従事した。
そして10月25日、世界にも類を見ない攻撃に晒されることになるのである・・・
サマール沖海戦
6時47分、セント・ローが所属するタフィー3は日本海軍の戦艦部隊による砲撃によって目を覚ます。
部隊司令官のクリプトン・スプレイグ少将は護衛の駆逐艦部隊に迎撃を指示すると共に、護衛空母には味方がいる南方への避難を命じた。セント・ローも襲い来る日本艦隊に対し、両用砲で応戦する等大混乱に陥っており、部隊の全滅とセント・ローの撃沈も時間の問題となっていた。
9時11分、バラバラになった日本艦隊が集結のために追撃を中止したことで、かろうじて生き延びることが出来たが、それはわずかな延命でしかなかった。
喪失
10時47分、タフィー3上空に零戦6機が姿を見せた。それは関行男大尉が指揮する神風特別攻撃隊敷島隊であった。4番機が突入したセント・ローは格納庫内でガソリンや航空爆弾に引火したことで手が付けられない状態となってしまい、30分後に沈没した。889名の乗組員の内、143名が戦死又は行方不明となった。
これが終戦までの約10か月間、アメリカ軍を悩まし続ける特攻の始まりであった。
発見
戦没から70年あまりの歳月が経過した2019年5月、故・ポール・アレン氏の投資会社バルカンの調査チームがフィリピン海溝の水深4736mの場所でセント・ローの残骸を発見した。同社より提供された映像では、特攻機の突入によって大破した飛行甲板や船体の迷彩塗装などが確認できる。