概要
当初は扶桑型戦艦の3番艦として建造が予定されていたが、扶桑型に欠陥が露呈したため再設計が行われ、準同型艦の伊勢型戦艦の一番艦として建造された。
1943年11月には、姉妹艦の日向と共に後部主砲塔二基を撤去し、航空機用作業甲板、格納庫、カタパルトを設け、搭載機数22機という軽空母なみの航空打撃力を持つ航空戦艦へと改装された。
しかし、空母としては一度も使われず、結局44年11月にはカタパルトは撤去され、多数の対空火器を装備することになった。
終戦間際には燃料不足で出撃することができず、呉にて「浮き砲台」として運用された。
最期は1945年7月28日、アメリカ軍の空襲を受け、大破着底。終戦後、スクラップにされた。
その名称は海上自衛隊のひゅうが型護衛艦の2番艦「いせ」に引き継がれた。奇しくも両艦とも「艦載能力をもった戦闘艦」である。
逸話
- エンガノ岬海戦の最中、沈没した空母の乗組員を救助するため、当時の戦艦運用の常識では考えられない船足を停め、溺者救助の命令が下ったことがある。
諸元
新造時
全長 | 208.1m |
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全幅 | 29m |
基準排水量 | 29990t |
満載排水量 | 31260t |
武装 |
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装甲 |
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速力 | 23ノット |
乗員 | 1360名 |
最終状態
全長 | 219.6m |
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全幅 | 33.8m |
基準排水量 | 35350t |
満載排水量 | 38676t |
武装 |
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航空兵装 |
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装甲 |
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速力 | 25.3ノット |
乗員 | 1463名 |