概要
インド洋作戦はインドへ進出しアフリカの枢軸国軍(=ロンメルアフリカ軍団)との最終的な合流を主張する日本陸軍の提案により行われ、当初はセイロン島の占領が計画されていた。
一方で太平洋での対米戦を重視する日本海軍は反対し、最終的にセイロン島占領計画は凍結され、
なんか手も空いたし、とりあえずインド洋のブリカスを凹っておこうw
といったような中途半端な作戦内容となった。
…とはいっても、作戦規模は世界初の空母打撃群である南雲機動部隊(空母加賀は修理中で除く)や、金剛型戦艦が4隻とも揃って参加した大掛かりなものとなった。
暗号解読によってこの事を察知したイギリス東洋艦隊司令官ジェームズ・フォウンズ・サマーヴィル大将は、艦隊をセイロン島からアッドゥ環礁の秘匿基地に移動させた。
これは、劣勢な艦隊を敵前にさらして撃滅されてしまえば、インド洋海域の支配権を日本軍に奪われてしまうからであった。
サマーヴィル提督曰く、『日本軍にセイロン島を奪われたうえに、東洋艦隊を全滅させられたらイギリスは終わるぞ!(意訳)』
当時、若干追い詰められたイギリス軍は必要とされる資源及び兵員の大部分をインドやアンザックといった自治領・支配地域からの転用に依存しており、それらを移送する大動脈を有するインド洋の制海権失陥は是非とも避けなければならなかった。
最悪の場合、インド洋の航路を管制できるチェークポイント(戦略的急所)に位置するセイロン島の放棄は仕方がないとされたが、
(戦力差があり過ぎる)日本海軍との交戦を狙っているように見せかけながら、実際にはそれを避けながら英艦隊だけは死守する必要があった。(=艦隊保全主義)
作戦は、コロンボやトリンコマリーといったセイロン島の各軍港を虱潰しに空襲し、ハグレの巡洋艦や小型空母を凹殴りにしていったが、結果として日本軍は敵主力撃滅に失敗した。
しかし、戦争後期までインド洋での連合国海軍の牽制を行うことができた。(戦争末期に米帝さんの後ろ盾でようやくアジア・太平洋地域まで回復できた…。)
また、この海戦とは別に通商破壊作戦を行い、大きな戦果を挙げている。
当初の計画の通りセイロン島占領を行っていれば、イギリス首相ウィンストン・チャーチルの政治生命も終わり、ヨーロッパの戦争の流れが大きく変わっていた可能性があるが、
作戦の根幹を担う各空母部隊は苦戦が続くソロモン・ニューギニア方面に戦力が引き抜かれ(珊瑚海海戦など)、日本海軍上層部の戦略・作戦方針の無定見に振り回された挙句に艦載機やパイロットといった戦力は激減していった。
日本にとって唯一の脅威であるアメリカ太平洋艦隊と無関係な作戦に主力の南雲機動部隊を投入し、アメリカ側の態勢を整える猶予を与えてしまったとも評価される。
(→そしてロクに反省や整備が行われないまま運命のミッドウェー海戦へ…。)
その他
撃沈された空母ハーミーズ及び重巡洋艦ドーセットシャーは戦前は香港艦隊に配属されており、日本国民の間でもよく知られていた。
1928年に戦艦長門・陸奥・扶桑及び軽巡洋艦天龍指揮下の駆逐艦数十隻が香港に親善訪問した際に空母ハーミーズの乗組員との間で親善交流が行われ、写真などが残っている。
関連タグ
零戦:言わずと知れた名戦闘機。イギリス軍機を相手にも大暴れ。
:この海戦で零戦に凹殴りにされたイギリス軍航空機の被害者の会。彼女たちは泣いていい…。
九九式艦上爆撃機:セイロン沖海戦における南雲機動部隊無双のもう一人の立役者。戦闘機であるハリケーンやフルマーの追撃にも一歩も引かず空戦を仕掛けて撃退した。
:被害者の会、九九艦爆vre。平均命中率が82%とか半端ないって!
九七式艦上攻撃機「獲物が浮いてないんですけど…」
ウェリントン双発爆撃機「あと一歩で赤城を仕留めていた…」
アルバコア複葉艦攻「某軍事雑誌で、装備されていたレーダーで夜間雷撃をしていればワンチャンと書いてあったときいて!」