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背景
1942年4月、大本営海軍部(軍令部)はサモア諸島までを占領してオーストラリアを孤立化させ、最終的には占領するというFS作戦を立案したが、連合艦隊は無謀な作戦としてこれに反対し、ハワイ攻略を主張し対立した。
両者が歩み寄り、5月19日、大海令第十九号が発令され、ニューカレドニア、フィジー、サモア方面の要地を攻略する事になった。
しかし、連合軍のオーストラリア防衛の要であるポートモレスビー基地攻略に失敗し(珊瑚海海戦)、ミッドウェー海戦では主力4空母(赤城、加賀、飛龍、蒼龍)を失い、延期せざるを得なくなった。
空母機動部隊を使用せずにニューカレドニア方面の制空権を確保するため、旧日本海軍はガダルカナル島にルンガ飛行場を建設することになり、7月末には滑走路の一部が完成した。当時、日本海軍上層部は「米軍は外南洋の島伝いには来ない」と断言するなど、ガダルカナル島への侵攻を全く想定していなかった。
米海兵隊上陸
7月2日、米軍はウォッチタワー作戦を発令した。陸軍・マッカーサー大将は作戦目標をラバウルとすることを主張したが、海軍・アーネスト・キング大将が空母戦力の不足を理由に反対し、ツラギ島(フロリダ諸島)と、旧日本軍飛行場建設が行われていた対岸のガダルカナル島を攻略することとなった。
7月上旬、空母「エンタープライズ」「サラトガ」「ワスプ」からなる機動部隊、米国海兵隊第1海兵師団を乗せた巡洋艦や駆逐艦で構成される上陸部隊がフィジー諸島に集結した。
8月7日4時、ガダルカナル島に米国海兵隊約10,900人が上陸、ルンガ飛行場を占拠。寝込みを襲われた旧日本軍設営隊約1,350名は内陸部に逃亡した。
ほぼ同時に、米国海兵隊約3,000人を主力とする部隊がツラギ島にも上陸。旧日本軍守備隊約400人はその日の夕方玉砕した。
旧日本軍の対応
大本営、特に旧陸軍部(参謀本部)は現地から報告を受けても、精々威力偵察であり反攻作戦ではないと考えた。連合軍の反攻を1943年以降と予想していたからである。また、参謀本部以外の旧陸軍ではガダルカナル島への飛行場建設の話を知らなかった。
現地の旧海軍第8艦隊と25航戦は事の重大さを認識し、25航戦は直ちに米機動部隊に対し攻撃を開始した。第8艦隊では、神重徳作戦参謀発案の殴り込み作戦を実行することが決定された。当初、第8艦隊の重巡「鳥海」を旗艦に、第6戦隊重巡「古鷹」「加古」「青葉」「衣笠」で突入する予定であったが、ラバウルにいた第18戦隊の軽巡洋艦「天龍」「夕張」、第29駆逐隊駆逐艦「夕凪」が参加要請を出してきた。第8艦隊司令長官・三川軍一中将は、艦齢が古く速度も遅いのを理由に「天龍」「夕張」「夕凪」参加を断ったが、第18戦隊参謀の膝詰談判により最後尾に置かれることとなった。
寄せ集めで編成された第8艦隊(三川艦隊)は、合同訓練すら行われないまま海戦に臨むこととなった。
作戦要点
前述した不安要素から単純な戦闘行動を取ることとし、神参謀は以下の要点を示した。
第1目標は敵輸送船
複雑な運動は避け単縦陣による一航過襲撃とする
翌朝までに敵空母の攻撃圏外から離脱すること
ソロモン列島間の中央航路を通りガダルカナル泊地にまで進出する
旧陸軍に対しても逆上陸部隊の遣を要請したが、ニューギニア方面での作戦中で余裕がなく。旧海軍陸戦隊590人が投入されることとなった。
8月7日16:30に第8艦隊は集結、一路ガダルカナル島に向かった。
前哨戦
旧日本軍の空襲
同日朝8時頃ラバウルから零式艦上戦闘機17機、一式陸上攻撃機27機、九九式艦上爆撃機9機が出撃。米軍戦闘機11機と艦上爆撃機を1機を撃墜し、駆逐艦1隻を小破させたが、日本側も艦戦2機、陸攻5機、艦爆4機を失った。艦爆5機が不時着し、事前に待機していた水上機母艦「秋津洲」と駆逐艦「秋風」「追風」に救助された。この戦闘では台南空の坂井三郎が被弾している。
8月8日も艦戦15機・陸攻23機による攻撃が行われ、駆逐艦1隻を撃破・輸送船1隻を放棄させたが、艦戦1機、陸攻18機を失った。
機動部隊・フランク・J・フレッチャー中将は、珊瑚海海戦とミッドウェー海戦で空母「レキシントン」、「ヨークタウン」を失っていたため消極的で、南太平洋海軍部隊指揮官ゴームリー中将に一時退避の旨を伝え、上空援護を独断で放棄し撤退。ゴームリー中将は4時間後にこれを追認した。
第8艦隊突撃準備
第8艦隊は航行中に何度か哨戒機に発見されたが、針路を偽装するなどしてやりすごした。一方、陸戦隊を乗せた輸送船団は米軍潜水艦の攻撃を受け引返した。
三川長官は敵戦力を「戦艦1隻、甲巡洋艦4隻、駆逐艦7隻、特設空母らしきもの1隻、輸送船15隻」と推定し、同時に最も脅威である機動部隊が250浬圏内に存在しないと判断し、夜戦に関する詳細な戦闘要領を決定、各艦に通達した。
第8艦隊は、「鳥海」を先頭に単縦陣を組んでアイアンボトム・サウンドに突入した。
米軍の動向
米軍上陸部隊は25航戦の空襲で揚陸作業が遅れ、夜を徹して作業が続けられていた。船団の護衛部隊では36時間連続の戦闘配置が続き、乗員は疲弊していた。
護衛部隊は「北方部隊」(リーフコール大佐:米軍)と「南方部隊」(クラッチレー少将:英軍)、「東方部隊」(スコット少将:米軍)、「哨戒隊」(駆逐艦2隻)の4つから成っていた。第8艦隊情報は届いていたが、「ラバウルへ向かう」或いは「島嶼間の移動」ものと考えられ、機動部隊離脱で上空援護が無い状態での揚陸作業をどうするかの方が問題となった。
第8艦隊との戦闘開始時に幹部達は輸送船「マーコレー」上で揚陸作業協議中で、クラッチレー少将は統一指揮権を委譲していなかった。
戦闘経過
旧日本軍泊地突入
21時、第8艦隊は吊光弾(照明弾)投下のため各艦の水上偵察機を発進させた。
22時43分、「鳥海」の見張員が右舷側距離9,000mに敵艦を発見、直ちに三川長官が「戦闘」を下令した。発見された「哨戒隊」駆逐艦「ブルー」はレーダーを搭載していたが僚艦「ラルフ・タルボット」と誤認し、第8艦隊もこれをやり過ごした。
連合軍側の他艦も第8艦隊や水偵を探知していたが、レーダーが低性能で不明確であったり、水偵を味方機と誤認したりで、全く行動を起こさなかった。
攻撃は完全に奇襲となった。
夜戦(連合国軍南方部隊壊滅)
23:30、全軍突撃が下令され、「鳥海」が駆逐艦「ジャーヴィス」に魚雷を発射するが外れ、「ジャーヴィス」は気付かずに去る。間もなく敵「南方部隊」と遭遇した。
43分、水偵隊が吊光弾を投下。
47分、第8艦隊は重巡「キャンベラ」(オーストラリア海軍)や後続の重巡「シカゴ」、駆逐艦「パターソン」に攻撃を開始。敵艦隊まで3,700mまで接近していたため、主砲のみならず高角砲や機関砲も使用された。「パターソン」は全軍に警報を発令し、照明弾を打ち上げるが、「天龍」の探照灯射撃により艦橋を潰され、早々に退却した。「キャンベラ」では「パターソン」からの警報を受け「総員戦闘配置」が下令されたが、直後に魚雷が命中して航行不能となる。「シカゴ」も魚雷で大破しスコールの中に逃げ込んだ。「パターソン」が警報を発令して僅か6分で「南方部隊」は壊滅した。日本側は「夕凪」が故障により退避し、「キャンベラ」との衝突回避のため「古鷹」「天龍」「夕張」が第8艦隊より離脱。
夜戦(連合国軍北方部隊壊滅)
南方部隊壊滅後、ツラギ島に向かった「鳥海」「加古」「青葉」「衣笠」は、敵「北方部隊」を発見、その内「鳥海」は探照灯を照射した。
「北方部隊」は「南方部隊」から連絡で戦闘態勢に入っていたが、「南方部隊」が上陸支援砲撃か少数の日本駆逐艦と戦闘をしているものと思い、重巡「オーストラリア」(オーストラリア海軍)にいるはずのクラッチレー少将に連絡をとろうとしたところで戦闘が始まった。
23時53分、日本側は距離5,000mで攻撃開始。重巡「アストリア」は探照灯を照射した「鳥海」を味方と勘違いして敵味方識別信号を送った。攻撃されても味方の誤射と勘違いして反撃せず、旧日本軍と気付いた時には既に手遅れで船は大破しており、翌日沈没した。
8月9日0:00、砲撃を受けた重巡「クインシー」は搭載している水上機が炎上し、恰好の目標となった。直後、脱落していた「古鷹」以下3隻が北方部隊を間に挟んだ反対側に出現。第8艦隊は北方部隊を挟撃する形となった。
35分、「クインシー」沈没。
50分、重巡「ヴィンセンス」沈没。
「北方部隊」の駆逐艦2隻は「南方部隊」救援のため、第8艦隊と行き違っており、戦闘に参加しなかった。
第8艦隊はサボ島沖の集結地点に離脱を開始。この際「天龍」と「夕張」が駆逐艦「ラルフ・タルボット」と遭遇し、大破させている。
第8艦隊反転せず
海戦は旧日本軍大勝利に終わったが、司令部は早期撤退か再突入かで意見が分かれた。
「鳥海」艦長早川幹夫大佐は「鳥海1艦で敵輸送船団を撃滅する」と言ってまで再突入を主張した。
しかし、所在不明の米機動部隊が救援に駆け付ける可能性は無視出来ず、砲弾・魚雷はほとんど発射してしまい、足の遅い「天龍」、「夕張」を連れていた。「クインシー」の砲弾で「鳥海」海図室の作戦資料が吹き飛ばされていたこともあり、再突入は危険と考えた三川長官は早期撤退を決断した。
加古撃沈
第8艦隊は夜明けまでに敵攻撃圏外への離脱に成功。
8時に突入部隊解列を下命し、第6戦隊はニューアイルランド島カビエン、「夕張」と「夕凪」はショートランド泊地、「鳥海」「天龍」はラバウルに各々帰投した。
第6戦隊は「青葉」の水偵が上空を旋回し、味方制空権内であることもあり、残り100浬の地点で之字運動を中止した。
だが、米潜水艦「S-44」が第6戦隊を発見し、潜望鏡を使わずに聴音のみで雷撃。魚雷は「加古」に3本命中し、5分程で沈没した。「S-44」は攻撃後直ぐに離脱した。
結果
連合軍側は重巡4隻が沈没、重巡1隻・駆逐艦2隻が大破の大損害を受けたが、日本側は帰りに「加古」が沈没しただけであった。
しかし、本来の目的である米軍輸送船団攻撃が出来ずに揚陸を許し、日本軍輸送船団は米潜水艦の攻撃で撃退され、ガダルカナル・ツラギの早期奪還作戦は頓挫し、日本側の作戦は失敗した。報告を聞いた連合艦隊司令長官山本五十六は「こんなものに勲章をやれるか」と激怒したとされる。
一方、退避が遅延して米機動部隊の攻撃を受ければ、被害は「加古」だけでは済まなかったとする見方もある。
探照灯射撃を行った「鳥海」は艦隊司令部と壁一枚を隔てた作戦室に被弾しており、砲弾が炸裂していれば、司令部全滅の可能性もあった。
なおこの海戦以降戦闘が激化し、ガダルカナル島北方の海峡はアイアンボトム・サウンドと称されるようになる。
損害
旧日本軍
沈没喪失
重巡洋艦「加古」(帰投中米潜の雷撃による)
小破
連合軍
沈没喪失
重巡洋艦「キャンベ」「ヴィンセンス」「クインシー」「アストリア」
駆逐艦「ジャーヴィス」
大破 重巡洋艦「シカゴ」
駆逐艦「ラルフ・タルボット」「パターソン」