「青葉」は三菱重工長崎造船所にて1924年2月4日起工、1926年9月25日進水、1927年9月20日に就役した旧日本海軍の青葉型重巡洋艦の1番艦。
艦名は福井県大飯郡高浜町と、京都府舞鶴市とにまたがる青葉山に由来する。
アジア太平洋戦争では、第六戦隊旗艦としてグアム島攻略作戦、第二次ウェーキ島攻略作戦、ラバウル攻略作戦、珊瑚海海戦、第一次ソロモン海戦、サボ島沖海戦などに参加した。
1942年10月のサボ島沖海戦で大破。このときの信号「ワレアオバ」(異説もあり)は有名。
翌1943年2月、修理を終えて南東方面に進出するも、その直後の4月3日未明にソロモン諸島・ニューアイルランド島のメウエパセージ港にて空襲に遭い再度大破。擬装を施して敵機から遮蔽→軽巡洋艦川内に曳航されてトラック泊地へ→応急修理を行い何とか自力航行可能な状態に・・・という苦難を経て、8月1日呉へ帰投する。
再び修理を終えて(この修理に際して、航空巡洋艦か高速給油艦への改造案もあったとされる)、今度は南西方面にて輸送任務に従事する。
1944年10月23日ルソン島西方で米潜水艦の雷撃を受け三度大破。マニラのキャビテ軍港と台湾の基隆で応急修理をしつつ、前回の損傷時以上の苦難を経て、同年12月12日ついに呉に帰投した。だがその損傷は余りに酷く、本格的な修理は断念され、呉海軍工廠の岸壁に繫留された。翌1945年2月28日、第一予備艦となる。
1945年3月19日、米軍による最初の呉軍港空襲では、青葉も防空砲台として奮戦した。その後4月20日には第四予備艦に、6月20日には特殊警備艦(いわゆる浮き砲台)となる。
7月24日の空襲で命中弾1至近弾1、7月28日の空襲ではさらに命中弾4を受けて艦尾はほぼ切断。艦内は海水で満水となり、ついに着底した。
結局そのままの状態で終戦を迎え、1946年11月から翌年にかけて播磨造船呉事業所(旧・呉海軍工廠)の手により解体された。
何度大破しても舞い戻ってくることから、「ソロモンの狼」の異名を付けられた。
1942年2月には海軍従軍作家海野十三が乗艦し、将兵の生活を従軍記にまとめている。1941年には当時中尉だった中曽根康弘(後の第71代首相)が配属、訓練を受けており、その縁で2012年には中曽根は呉市に建立された青葉の終焉之地碑の碑文の揮亳もしている。
こうの史代の漫画「この世界の片隅に」では主人公の幼馴染みが青葉の乗組員として登場し、さらに映画のポスターにも(主人公の視点から)呉を象徴する艦船として描写されている。
World of Warships参戦
日本のTier6巡洋艦としてAobaが登場。前ランクFurutakaの上位互換(Furutakaは連装砲を装備できない)と呼ばれ、ベテランに愛される艦となっている。
なお、米同格のクリーブランドに対し苦戦していることが多い。手数が倍以上違うので多少は仕方がない。しかし、そこそこの対空火力、雷装、強力な20.3センチ砲があることで、何でもこなせる万能艦としての性格が、前述のベテランに愛される所為であろう。(次級Myokoよりも好きと言うプレイヤーさえいる)
関連項目
青葉(艦隊これくしょん):本艦をモチーフにした艦隊これくしょんのキャラクター。