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衣笠(重巡洋艦)

きぬがさ

青葉型重巡洋艦の二番艦。
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本艦をモチーフにした艦隊これくしょんのキャラクターは衣笠(艦隊これくしょん)を、その他の用例は衣笠を参照。

戦歴

「衣笠」は川崎重工業神戸造船所にて建造され、1926年10月24日進水ののち、1927年9月30日に就役した青葉型重巡洋艦の2番艦。
本来は新型の一等巡洋艦の1番艦として就役する予定だったが、本来川内型軽巡洋艦の4番艦になるはずだった加古がこちらに命名された上(のちに古鷹型2番艦となる)、その後計画された加古型3番艦として計画されるも、こちらでも衣笠と青葉は設計が若干変更され、別級として竣工した。
また本艦は、日本海軍の中で初めて本格的に航空機用射出機を積んだ軍艦である。この射出機は特務艦「朝日」で試験的に搭載されたもので、本艦にも竣工時には既に搭載される予定だったものの、開発遅延が原因で2年ほど経ってからの搭載となった。これがのちの那智型高雄型などにも採用されている。
1942年の第一次ソロモン海戦では、鳥海指揮下の三川艦隊の構成艦の1隻として参戦、米豪の軍艦複数隻を一敗地にまみれさせた。続く第二次ソロモン海戦では、神通が中破したため、その代役の川内が来るまでの穴埋めとして本艦が二水戦旗艦を務めたこともある。
サボ島夜戦では殿艦を務めた。旗艦である青葉が米軍から集中砲火を浴び、艦橋に直撃弾を受けて日本側の司令官・五藤少将が戦死、司令部壊滅、艦の大破という事態に見舞われながらも、即座に退避行動を取っていた古鷹が米艦隊と青葉の間に割り込みかばいながら応戦、そのスキに本艦が有効な反撃を行い、米軍の駆逐艦1隻を撃沈、軽巡と駆逐艦もそれぞれ1隻大破させている。このため青葉の沈没は免れたが、古鷹と駆逐艦吹雪、戦闘後救援に来た駆逐艦叢雲・夏雲を喪失してしまう。
最後の戦いになったのは第三次ソロモン海戦。本艦はヘンダーソン飛行場(旧日本海軍ルンガ飛行場)の砲撃任務に就いていた第七戦隊に鳥海や五十鈴とともに合流、北上退避を開始するも、ヘンダーソン飛行場から払暁とともに発進した偵察機に発見され、空襲を受け轟沈。時に11月13日午前9時20分。艦長ら55名が戦死した。
他方、青葉の方は帰国後、大破着底状態で終戦を迎えている。

3通りある艦名の由来

艦名は徳島県の中西部、衣笠山(阿波富士/標高1123m)に由来するとする説が有力だが、神奈川県横須賀市の鞍掛山(通称衣笠山。本項では区別のため三浦衣笠山とする)を由来とする説もある。
阿波衣笠山は現在の地図上では「高越山(こうつさん)」と呼ばれる四国の名山である。当時、海軍の嘱託記者だった浅井将秀が1928年に刊行した書籍「日本海軍艦船名考」でもこの説明がなされていた。三浦衣笠山も、こちらは逆に標高134mの低山ではあるが、そちらには日露戦争の戦死者を慰霊するために作られた「衣笠山公園」があるため海軍としては縁の深い場所であった。「日本巡洋艦物語」の著者で海軍研究家の福井静夫氏も著作でこの徳島説を採っており、「海軍に馴染み深い横須賀の衣笠という地名にも通じる奇縁も、選考の一助になったのではないか」という私見を述べている。
しかし衣笠山はほかにも京都市北区にあり、鞍掛山同様の低山だが、京都市北区の大字のひとつになっている。
他方、本艦が祀っていた艦内神社は、京都衣笠山の近所にある平野神社と、その後合祀された横須賀の走水神社である。
このため、艦名の由来には横須賀説、京都説もあるが、どちらも重巡の艦名にするには標高が低すぎるため、艦内神社こそ同じ衣笠の地名を持つ横須賀、京都の2社を合祀しつつも、艦名は阿波衣笠山に由来している、と解釈するのが自然であるといえなくもない。

関連項目

川内型軽巡洋艦 特型駆逐艦 青葉(重巡洋艦)

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