ピクシブ百科事典

高雄型重巡洋艦

たかおがたじゅうじゅんようかん

日本海軍が建造した一等巡洋艦(重巡洋艦)。
目次[非表示]

艦隊これくしょん』のものについては高雄型へ。
 

概要

大日本帝国海軍の重巡洋艦の艦級の一つで、同型艦は4隻。
海軍の基本計画主任であり、造船の神様と謳われ、軽巡「夕張」を設計した事でも有名な平賀譲造船大佐が「妙高型」の設計を最後に左遷されたため、その後任となった彼のライバルである藤本喜久雄造船大佐が担当した1万トン級の重巡洋艦である。

本型は妙高型の攻撃力を維持しつつ、同艦の問題点であった狭小な居住区画を改善し、戦艦に次ぐ準主力艦として高い艦隊指揮能力を付加すべく塔型艦橋をかなり大型化させた。
もっとも、こう大きくなったのは、バイタルパート(防御区画)を短縮するために煙突の煙路の上に艦橋が載っているというレイアウトによるものも大きい。
だが流石に大きすぎたのか現場でも不安の声が上がり、一度は実寸大模型で強度などを実験観測し、結果的に問題ないことが証明されてゴーサインが出された逸話もある。
この大型艦橋のおかげで、近代化改修において機能拡張に容易に対応できたりもしたのだが、反面、艦橋内部に煙突が内蔵されているという構造上、艦橋内部は非常に暑かったらしい。そのためか演習中に暑さで錯乱した「鳥海」の参謀長が隊内無線で暴言を吐いたなんて話もある。
妙高型との相違点は、他にも魚雷発射管が被弾時の誘爆による被害拡大の恐れがある中甲板から、使い勝手の良い上甲板に移されたのが特徴である。
結果的に、指揮能力や居住性の改善・装備レイアウトの最適化には成功したものの、速力や安定性等では妙高型にやや劣っていた。

しかし、台風による大被害が発生した第四艦隊事件を機に、高雄愛宕はイギリスに「甲状腺の肥大化したカバ」と揶揄された大型化しすぎた艦橋構造物の縮小工事を行い、若干重心を下げている。
他方、鳥海摩耶は日米開戦のためにその機会を逸してしまった。
摩耶は1943年に対空火器を大幅増設される大改修を受けたが、鳥海は旗艦任務で出払っていることが多く、結局その艦歴において一度も大規模な近代化改修を受けたことがないという世界的にも珍しい艦となった。

各艦ともアジア太平洋戦争中は各海域で活躍し、多大な戦果を挙げたが4艦揃って参加したレイテ沖海戦で高雄以外の3艦は相次いで沈没。特に、鳥海は乗組員全員が戦死してしまっており、これは日本海軍の重巡として唯一のケースである。
唯一生き残った高雄もレイテ沖海戦時の修理が終わらず、終戦時はシンガポールで艦尾切断状態のままで航行不能だった。その折にイギリスの特殊潜行艇であるXE級潜水艦の攻撃も受け損傷している。戦後は賠償艦としてイギリス海軍に引き渡されたものの不要と判断され、マラッカ海峡にて処分された。

平成に入り、まず鳥海、次いで愛宕の艦名が海上自衛隊護衛艦イージス艦)に「ちょうかい」(こんごう型4番艦)と「あたご」(あたご型1番艦)の名で受け継がれた。いずれも3代目にあたる。前者はかつての高雄型重巡洋艦を思わせるその巨大な艦橋から、海外で「高雄型重巡洋艦を建造中」と紹介されてしまった事がある。

重巡洋艦 愛宕


データ

本記事では史実における海軍省の艦艇類別分類表に準拠して、三番艦:鳥海、四番艦:摩耶としているが、文献によってはその逆になっているものもある。

No艦名工廠起工進水竣工戦没
一番艦高雄横須賀1927/04/281930/05/121932/05/311946/10/29(海没処分)
二番艦愛宕1927/04/281930/06/161932/03/301944/10/23
三番艦鳥海長崎1928/03/261931/04/051932/06/301944/10/25
四番艦摩耶神戸川崎1928/12/041930/11/081932/06/301944/10/23


関連項目

日本海軍 重巡洋艦 妙高型重巡洋艦(前級) 最上型重巡洋艦(次級)

pixivに投稿された作品 pixivで「高雄型重巡洋艦」のイラストを見る

このタグがついたpixivの作品閲覧データ 総閲覧数: 35600

コメント