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概要編集

1897年徳島市出身。本名は佐野昌一(さの・しょういち)。

早稲田大学理工学部卒業後、逓信省電気試験場に勤務。そのかたわら科学雑誌等にエッセイなどを本名で寄稿していたが、1928年に探偵小説雑誌〈新青年〉へ『電気風呂の怪死事件』を海野名義で発表し、以後創作小説作品を数多く執筆。


当時の読者に「また帆村 少々無理な 謎を解き」川柳で茶化された(作家北村薫の回想による)理学士探偵・帆村荘六(ほむら・そうろくorしょうろく)をメインキャラクターに据えたシリーズなど、自身の専門の理化学的トリックをふんだんに取り入れた少々どころではない無理多めな作風で知られる。

今日では「とんでもねーバカミスだとしてファンの間で語り草になっている『点眼器殺人事件』や『暗号数字』など、一体どこまで本気で真っ当な探偵(推理)小説を書こうとしたのか判断つかない、一応現実界が舞台であっても何かどこかが激しくズレまくっている変テコ作中世界観と、ブラック色満載で不可思議な辛口味つけが特徴。


また『十八時の音楽浴』や『生きている腸』、少年向けの『地球盗難』『火星探険』など、今読んでも立派なそれとしか思えない空想小説作品群から「日本SFの祖」のひとりだと評されている。


1949年に結核で死去。享年51。



人物編集

「海野十三」の筆名については、趣味の麻雀の強さが決まる要素を「運が十(割)さ」と表したことが由来(海野名義で出版した最初の本も、麻雀の解説書)‥‥とされているが、本人もよく覚えていなかったのか何なのか(苦笑)、異説が多数ある。そのため名前の読み方も「じゅうざ」と「じゅうぞう」の二通りが流布する結果になっている。

他にも「丘丘十郎」「蜆貝介」「栗戸利休」など幾つものペンネームを用いた。


役所勤めだったため創作小説発表の際に筆名を用いたのだが、当時編集を務めていた横溝正史のミスで筆名と本名の両方が誌面に載ってしまい、上司にバレてこっぴどく大目玉を食らったという。


気難しい変人奇人だらけで現実社会不適応者の宝庫であった当時の(と言うか、今も‥‥な)探偵小説文壇にあって、稀に見る聖人君子だったことで有名。いつもニコニコしている温厚な性格の持ち主で、同輩や後輩、駆け出し編集者などに対し非常に親切で、時には自分を犠牲にしてまで他者の面倒を手厚くみたりするなど、その「いいひと」ぶりを今日まで伝えるエピソードが多数ある(上記の一件でも横溝に対して腹をたてるどころか、逆に面白がってさえいたという)。


戦時中は特に軍部へ積極的に協力し、戦意高揚のための作品を多く書いている。そのため戦後、公職追放の対象となった(結局は戦犯指定解除されているが)。敗戦の際には一家心中を本気で考えるなど、相当なショックを受けている。そのあたりのことは『海野十三敗戦日記』に詳しい。

また科学者らしく、による原子爆弾攻撃の可能性を早いうちから予見していたといわれる。


関連リンク編集

青空文庫「海野十三作品リスト」


関連項目編集

沖田十三:名前の由来が海野「十三」。こちらの読みは「じゅうぞう」。

十三駅阪急電鉄の駅(読みは「じゅうそう」)。ちなみに帆村荘六の父親は宝塚の温泉少女歌劇団を経営していたこの電鉄会社の顧問だった、という設定である(『蠅男』より)。


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