「千の太陽が空に輝き、一つの巨大な火球となる。我は死神、世界の破壊者なり」
概要
核兵器の一種。原子核分裂を短い時間に連続して起こすことにより生ずる莫大なエネルギーを爆発に用いた爆弾。原爆とも略される。
1945年、のちに原爆の父と呼ばれるようになる原子物理学者・ロバート・オッペンハイマーを含む多くの科学者を招集したマンハッタン計画によって生み出された。
使用用途は兵器のみ。土木工事など平和利用も研究されたが、放射性降下物が生ずるため、放射能汚染の問題から実用化されなかった。
実戦では1945年、アメリカ合衆国軍(アメリカ軍)が日本の市街地に対する無差別攻撃を二度行い、民間人を巻き込む甚大な被害が起きている。
なお、よく原子爆弾の被害を受けたことを被ばくと表現するが、同じ読みで異なる意味の2つの単語がある。
放射線に曝される(浴びる)ことを被"曝"、爆弾によって被害を受けることを被"爆"という。
原理
核分裂を起こす物質を臨界量を超える量に圧縮し、中性子線を照射すると核分裂反応が起こり、核分裂の際に中性子が数個放出される。
そのため、反応がネズミ算式に起こり、莫大なエネルギーを放出する。
この条件を作り出すために通常爆薬で超臨界状態が成立する状態に圧縮するのが原子爆弾の原理である。
使用する核物質
- ウランを使用したもの
U₂₃₅を90%以上に濃縮して使う。
薄いと爆発的な反応は起こらないので高濃縮する必要がある。70%でもかろうじて爆発する程度。(原子力発電所の燃料用のウランはU₂₃₅が5~7%)
- プルトニウムを使用したもの
原子炉の副産物であるPu₂₃₉を用いるが、Pu₂₄₀も含まれている。
これが濃すぎると自発的に核分裂してしまうので、ウランとは逆にPu₂₄₀を7%以下にするためプルトニウム生成用に専用の原子炉を建て、そこで生成した物を使う。
ちなみに他の目的(発電所など)の原子炉の副産物ではPu₂₄₀が22~30%含まれている。
歴史
20世紀前半に開発と研究が各国で進められた。日本やドイツも研究を行っていたが、技術的困難から実用化は絶望的とみなされていた。
原子爆弾の基本原理はイギリスの科学者が開発。最終的に実用化にこぎつけたのはアメリカ合衆国で、1945年、ニューメキシコ州アラモゴードにて初めて実験に成功。
アメリカ軍は日本の広島市と長崎市を原子爆弾で攻撃し、両市に甚大な被害を与えた。(後述)
原子爆弾の起爆原理はアメリカの最高機密であったが、冷戦が始まると、米英による核独占を危惧した共産主義者のスパイがソビエト連邦に情報を漏洩し、ソ連も核兵器を保有するようになった。
米ソに続きイギリス、フランス、中華人民共和国も保有し、核実験が各地で展開されて大量の放射能が地球上に撒き散らされた。
禁止へ
1963年に調印された部分的核実験禁止条約(PTBT)によって、大気圏・宇宙空間・水中での核実験は禁止されている。
しかし、これ以降もPTBTで禁止されなかった地下核実験はたびたび行なわれた。
なお、フランスと中国はPTBTに加入せず、中国は東トルキスタン(ウイグル)において大気中核実験を1980年まで行っていた。
1970年には、核拡散防止条約(NPT)によりアメリカ合衆国、ソビエト連邦(現ロシア)、イギリス、フランス、中華人民共和国の5か国以外の核兵器の保有が禁止された。(インド、パキスタン、イスラエルは未加盟、朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)は脱退)
1996年には地下核実験禁止を含む包括的核実験禁止条約(CTBT)が国際連合で採択されたが、未批准国などによって核実験が強行されており、現在も条約は発効していない。
被害
爆弾が炸裂すると高温と爆風による衝撃波、高い放射線による被害をもたらす。
建築物の崩壊はもちろん、熱や放射線による人体への傷害もある。
以下は広島市と長崎市の例である。
まず炸裂直後。爆心地の近くにいた人々は強烈な爆風と熱線(放射線)により文字通りの意味で「瞬殺」された。
跡形もなく消滅した者や、生前の状態のまま白骨になった者、目を覆いたくなるものでは人の形を保ったまま炭化した者、階段に腰かけた形の影を残して吹き飛ばされた者も存在したほどである。
だが、即死した者はまだしも、本当の地獄に晒されたのは当時爆心地から1.2km以内におり、かつ特に爆風と熱線の遮蔽物がなかった人々だった。
その多くが熱線と爆風により皮膚や肉体の大部分が激しく損傷、体の外と内を焦がす熱に苦しみながら亡くなっていった。
見た目にも地獄の亡者さながらに、グロテスクかつ凄惨極まりなく、上記の熱線と炎に晒されたある者は身体中の肌が赤黒くずる剥けになり、ある者は剥がれた肌を布のように引きずり、ある者は強烈な爆風圧により内臓や眼球が飛び出し、またある者は爆風で全身にガラスの破片が突き刺さったまま歩いた。
誰もが熱に悶えて水を求め、防火水槽に頭や体を突っ込んだ状態、あるいは市内の元安川に折り重なるようにして死んでいった。そうして、次第に腐ってきた遺体は風船のようにガスで膨れて、静かに破裂してやがて水面下に沈んだ。
被ばく者の惨状は『はだしのゲン』における描写が分かり易い。(しかし、作者の中沢啓治氏曰くあれでもまだマイルドな描写らしい)
原子爆弾による放射線障害を総称して「原爆症」と呼ぶ。
症状は個人のいた場所などにもより大きく異なり、壁一枚で被害が大幅に軽減された例もある。
爆心地の放射線量は直後にはかなり高かったと見られており、諸処の調査結果から3日後ほどが特に高く、その後もしばらく放射線量が高い時期が続いたと見られている。
広島市と長崎市の被ばく地域に救援や調査活動のため入ったことから被ばくした被害者(入市被ばく)が多く出た。
このため、後述するように投下後2週間以内に市中立ち入りした者を補償の対象としている。
放射線量の高い中心部では怪我は大きくなくとも高い放射線量のために数日内に死亡した者も多く、年内に体調不良に陥る者も発生した。
数年後、あるいは10年以上経ってから白血病やガンなどを発症する者も少なからず現れた。白血病やがん以外にも、「原爆ぶらぶら病」というのが存在した。これは、体が必要以上に疲労感に対して敏感になってしまい、仕事をしてもすぐに体力に限界が来てしまうといった症状を総称してこう呼んだ。
なお、広島市と長崎市では日本赤十字社が運営する日赤病院を「原爆病院」と名を改め、これらの被爆者治療に大きく貢献している。(被ばく者専門病院ではなく一般の治療も行なっている)
一方で80代半ばを過ぎても大きな病気もなく元気にしている被ばく者も少なくなく、これには被ばく時の様々な状況(遮蔽物の有無や避難した方向など)や生来の体質などでの個人差が極めて大きいといえる。
被ばく者への法的な救済措置
広島市と長崎市の被災者に対しては「原子爆弾被爆者の医療等に関する法律」が昭和32年に「原子爆弾被爆者に対する特別措置に関する法律」が昭和43年に作られた。
現在は前述の2法を廃止して後継的法律「原子爆弾被爆に対する援護に関する法律」(通称「被爆者援護法」)が制定されている。
これに基づき、被爆者健康手帳が交付された者は、定期検診の一部無料化や、指定の病気(がん、心筋梗塞、甲状腺機能低下症、白内障など七つの疾病)を発症した際の手当などの医療支援を受けられる。
身寄りのなくなった者は、施設入所などの支援を受けられる。
この対象には投下当日市内にいた者はもちろん、投下後2週間以内に市内に立ち入った者も入市被ばくの可能性があるため対象となる。また、当時母親の胎内にいた者も胎内被ばくの可能性があるため対象になる。
また、放射線量の高い爆心地などから逃れてきた被ばく者を手当てしたり、遺体の処理に当たったりした者も放射能の影響を受ける可能性があるとして「救護被爆者」として認定される場合がある。
広島市・長崎市の両方で被ばくした場合は「二重被爆」と認定される。
しかし被ばく者としての認定は証人が年々少なくなり、被ばく者が高齢化して体調不良との原因の切り分け(被ばくによるものなのか加齢や生活習慣によるものなのか)が難しくなっている。
また、被ばく者と認定されるか否かでも過去に何度か裁判が起こっている。
日本の原子爆弾投下時には広島長崎の両市に多数の在日外国人もおり、数名のアメリカ人捕虜も巻き込まれて死亡している。
特に多かった韓国人被ばく者のうち、戦後韓国に帰国した者に対しては1990年に日韓両政府の合意により40億円が日本側から手当として支出されており、日本大使館経由で被爆者援護法の支援を受けることができるようになっている。
しかし、諸外国での核実験の被害者に対する補償はまだ十分とはいえない。
フランスのアルジェリア内部での核実験(後述)でも、当時現場近くで働き、のちにガンに罹患した軍人たちへの補償金関連法案が2009年に可決されたが、現地のアルジェリア住民への補償はまだろくに行われていない。
米国内のネバダ州などで行われた核実験による被害者は「風下住民」と呼ばれ、1990年にウラン鉱山労働者や核実験場に近い住民で被ばくした人に対する補償が行われているが、全面的な解決とはいかず訴訟も起こっている。
中国や北朝鮮、旧ソビエト連邦などの独裁国家が行った核実験の被害者への補償は当然全く行われていない。
現在も独裁国家である中国や北朝鮮では、被害状況も隠蔽されているため外国の調査を入れることも困難な状況にあり被害実態も把握されていない。
NO MORE HIROSHIMA/NAGASAKI
言うまでのないことだが、我が国は現在、世界で唯一実戦で原子爆弾を投下された国家である。
上記のようにアルファベットやカタカナで「ヒロシマ」「ナガサキ」と言うと原子爆弾投下の対象地としての意味を指すようになった。
投下されたのはたったの2発だが、その2発だけで数十万人に及ぶ人命を奪い去り、2つの街を滅ぼした。
なお、広島市に投下されたものは「リトルボーイ」、長崎市に投下されたものは「ファットマン」と呼ばれ、この二つは形状も構造も違いがある。
なお、「ファットマン」は当初は北九州の小倉市に投下される予定があったらしく、もし小倉に投下した場合は北九州はおろか、海を渡った山口県の下関まで被害が及んでいたとされる。
長崎市は山に囲まれていたために広島市に比べれば被害の規模は拡がらなかったが、いずれにしても尊い命を奪い歴史ある街を滅ぼしたのだけは事実である。
特に、長崎市はカトリック文化が色濃く残る建造物が多く、キリスト教圏でもあるアメリカ合衆国(プロテスタントが主流ではあるが)が浦上天主堂を核で吹き飛ばしたのは皮肉といえよう。
投下時の天主堂では、ミサが行われている最中であったという。
多くの人命を失った長崎市の地には、惨劇を物語る遺物がある。
それは浦上天主堂に安置してあった聖母マリア像が顔だけ残った「被爆マリア像」。
これはカトリック教徒に大きなショックを与えるものとなった。
原子爆弾から生き延び、「生の記憶」を持っている人々も原爆症や加齢により減っているのもまた事実である。
(終戦の年に生まれた人であっても、現2024年には約80歳になっている)
我々も、記憶を風化させ単なる「過去の1イベント」で終わらせることのないよう、このようなことが起こった事実は記憶にとどめておきたいところである。
核兵器=悪魔
アメリカ国民の一部には、この惨劇を日本の自業自得として核攻撃の過ちを認めない者もいる。
だが、アメリカとて決して他人事ではない。核がある限り、どこも日本のような惨劇の可能性があるからだ。
こうした原子爆弾への恐怖は、のちの冷戦時代においても大きな影響力となり、単なる戦略的兵器は「世界を滅ぼせる悪魔」という認識へと変わっていった。
それが国連常任理事国たる五大国以外に保有を許されなかった理由であり、前述した禁止への布石ともなるのである。
しかし、それ以前に起きた「キューバ危機」は、核戦争が現実になる寸前という悪夢でもあった。
(事実、当時の大統領であったジョン・F・ケネディは核ミサイルの発射スイッチに触れている)
日本は核兵器を持つべきか
日本は国内に発達した原子力産業を持ち、かつ大型宇宙ロケットを開発・運用することが可能な潜在的核保有国であることもあり、核武装論が根強い。
しかし、まずアメリカが許可しないほか、強行しても経済制裁に耐えられるだけの能力がないものと見られる。
だが、逆に言えば、アメリカが許可すれば可能なのである。
ただ、土地が狭く人口が密集している上に、天下太平の世が続いたことで避難計画もシェルターなども皆無に等しいため、核戦争が起きればすぐ壊滅する可能性が高い。
殺傷せずとも高高度核爆発の電磁パルスだけで大変な危機に陥る。
そして、何よりも北朝鮮の金正恩とのチキンレースは大変に無謀といえる。
そもそも専守防衛を掲げる日本の現状を鑑みると、核を保有するメリットが薄い。
敵地攻撃能力(敵の軍事拠点を攻撃することで敵の侵攻能力を奪うこと)に使うには威力が大きすぎるし、何より核保有国に使用した場合、確実に報復核攻撃を受けるからである。
そうなると日本における核の使い道は、日本国内に侵攻してきた敵性勢力に対して、自国領内で使用して壊滅させるくらいしか使い道がないのである。
事実上の3度目?ジェルボアーズ・ブルー
世界のどこかで「3度目」が起こることがないように……のはずだった。
あまり知られてはいないが、1954年から始まったアルジェリア戦争を鎮めるために威圧を目的として、フランスはアルジェリア中部で1960年に核実験を行った。
フランス政府の目論み通り実験後に紛争は激減することとなる。
しかし、当然ながら砂漠に住む多くの人々や軍人らが被ばく****し、詳細は不明だがアフリカ大陸の広範囲で放射能汚染が広まった。実験との建前はついているものの、実質的には人類史上3度目になる戦地での利用である。
1962年に紛争は終結し、フランスはこの事件を闇に葬り去ろうとしたが失敗。
2000年代以降も核実験というよりも、戦争自体が相当悲惨だったために問題を長く引きずっており、現地住民やアルジェリアから引き揚げた当時の人々の間に未だに禍根を残し続けている。
尚、コードネームのジェルボアーズ・ブルー(Gerboise Bleue)はフランス語で青いトビネズミを意味する。
「最初」に原子爆弾が使用されたのは広島市という事実は未来永劫変わらないが、「最後」に原子爆弾が使用されたのは長崎市であるというのは、我々1人1人の努力によってのみ実現できるのである。
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