概要
1890年8月20日生まれ。アメリカ合衆国ロードアイランド州プロビデンス出身。
1937年3月15日に腸癌のため死去。享年46歳。
目元に濃い影が差した写真が有名で、その写りから陰鬱な表情で描かれることが多いが、髪を整えて眼鏡を掛けている姿の写真もあり、こちらは明るく知的な印象を受ける。
友人とともに旅行に行った際の写真では楽しげに微笑んでいる姿も見られる。
生涯
幼い頃、父が亡くなり、母方の祖父に育てられたが、この祖父も亡くなると経済的にも苦しくなり、病身の母とともに孤独な少年時代を送ったという。彼の孤独な精神や団欒の経験の乏しさは、作中人物の扱いやリアクションの中でたびたび指摘される。自身も幼いころ悪夢を見るなど、父と同じ精神失調を抱えていた。ただ悪夢については8歳で科学に関心を持つと同時に宗教心を捨てると見なくなったという。無神論者を自認し、キリスト教を否定するような作品を書いたこともこのことに強い思いがあることが想像できる。
神経症の悪化により勉学や経済に大きな障害があり、青年期はラヴクラフトにとって苦い記憶になった。18歳の時には趣味であった小説執筆をやめて半ば隠者の様に世間を避けて暮らすようになった。再び小説との関わりを取り戻したのは24歳頃で添削活動や同人誌に作品を載せる。本人はむしろ文章添削のほうを本職と思っており、創作は余暇の仕事と考えていた。32歳頃になってようやく作品が雑誌に採用されるようになっていったが、自己の創作能力には自信をもてず、自らアマチュアであることに甘んじていたため、あまり積極的に創作はしなかった。不採用になると非常に落ち込む性格であったため、今日では傑作とされている作品も自信の欠如のため、編集者に送ることすらしなかったものもある。
神経症がよくなってきたのは30歳頃であるが、その後46歳で若くして没することになる。
生前、文学的に大きく評価されることがなく、なんと生前に出版された単行本は「インスマウスの影」一冊のみであった。主に文章の添削やパルプ雑誌(安価な紙で作られ、安価な値段で発売された大衆向け雑誌)への寄稿で生活をしていたという。ただしパルプ雑誌「ウィアードテイルズ」の読者からはオカルト作家として人気があり、同誌の看板作家として活躍した。
当時ラヴクラフトなどよりよほど活躍している多くの作家らから大きく支持されていたラヴクラフトだが、所詮オカルト作家だと世間からは侮られていた。結局出版社からの原稿料は僅かなままであり、ラヴクラフト自身もそれでよしとしてしまっていた。
1936年に文通相手の一人であり、大親友でもあったロバート・ハワード(英雄コナンの作者)が自殺したことに衝撃を受け、また同年腸癌との診断を受け、神経症と貧しさからくる栄養失調も重なりに体調を崩し若くしてこの世を去ってしまった。
これを嘆いた弟子であり親友であったオーガスト・ダーレス、ドナルド・ウォンドレイが発起人になり、ラヴクラフトの作品を出版することを目的に多くの私財を投じて出版社「アーカムハウス」を立ち上げることになった。こうしてダーレスにより、埋もれたままになっていたラヴクラフトの作品が広く発表された。これはダーレスの功績とされる。ただし生前未発表のダーレスとの合作とされる十数編の作品はダーレスのものでラヴクラフトとは関係ないとされる。
現在、単なるオカルト作家という評価から本国では文豪として知られるようになった。
ラヴクラフトの死が報じられた後、多くの文豪、文通相手、読者からそれを悔やむ言葉が贈られた。邦訳されていないが、これらのラヴクラフトへの手向けの言葉をまとめた本が出版されており、その分量の多さからもいかに彼が支持されていたかが分かる(ハードカバーとしてなかなかの厚さ)。
解説
宇宙的恐怖
彼の作品は宇宙的恐怖(コズミック・ホラー)と呼ばれるSF的なホラー小説が特徴である。
宇宙的恐怖の定義は今日に至るまで議論が絶えないが、ラヴクラフト自身もそれに答える際の言説が変わることがあったようなので場当たり的なフレーズだったのかも知れない言われている。
ラヴクラフトは編集者ファーンズワース・ライトへの手紙に『私の書く物語はすべて宇宙において人類の地球中心の価値観は通用しないという前提を貫いている。』と書いた。
砕けた言い方をすればご都合主義の否定である。
怪奇小説
幼い頃、ギリシア神話を知ってキリスト教以外の神々に興味を持ち、アラビアンナイトなどを読んだ。他にエドガー・アラン・ポーやダンセイニ卿の影響を受け、作風はファンタジーを好んだ。時には「幼い頃に戻って幼稚な発想でのびのびと神話を書きたい」と手紙に書くこともあった。自らの作品を神話化していくことも、彼らから受けた影響と指摘される。
また冒険小説を好み、探検や未知の場所を調査する物語を好んだ。ただし彼の特徴の一つとして怪物と人間が対決する展開は少なく、人間は一方的に蹴散らされるのが常であり、この点がホラー小説と見做される要素と言える。
SF
SF的要素としてラヴクラフトは科学的考察、リアリティを志向した。
小説『狂気山脈』では子供の頃から興味があったにもかかわらず南極の探査が始まり、正確な地理を知り得るまで待ち、冥王星の発見を受けて小説『闇に囁くもの』を執筆し、小説だからと言ってデタラメな設定を作ることは避けていた。また参考に科学雑誌などを購読していたようである。
ややトーンが下がるものの散歩が趣味で近所の狭い範囲をよく歩いていたという。出不精でありほとんど自分から遠出をするようなことはなかったが経済的に余裕があり、まだ健康だった頃は友人と共にバスを利用して取材旅行に行くこともあった。これらの取材により彼が実際に歩いた景色が作品で描かれている。
クトゥルフ神話
彼の死後に友人オーガスト・ダーレスの出版社「アーカムハウス」によってラヴクラフトの残した作品群は『クトゥルフ神話』として体系化された。これらは今日までのオカルト、ホラー、ファンタジー作品に多大な影響を与え、また現在も発展し続けている。
生前自分の作品の設定について自由に扱ってかまわないというスタンスを貫いていたのが、クトゥルフ神話がここまで大きく拡がった要因の一つになった。自身も既存の小説作品や神話から設定や要素を借り、自分の作品に組み込んでいる。実在する魔術の呪文などを取り入れることでリアリティを演出する手法を好んでいた。
クトゥルフ神話の名称はクラーク・アシュトン・スミスが着けたとされるが、ちなみに本人は「ハスター神話」を提案していたという。
文通
文通魔と呼ばれるほど手紙のやりとりを多くの人と盛んに交わしていたが、そのほとんどとは一度も直接会うことはなかった。ラヴクラフト自身やその作品群への強い傾倒を示し、弟子を自称するほど慕ってきた親友ダーレス、ロバート・ブロックなどとは結局一度も直接会うことはなく文通のみの関係であった。
現存するラヴクラフトの手紙は2万通以上確認されており、また一通の枚数も分量も相当なもので、創作や文章添削よりも、生涯文通に多くの時間を費やしていたことが分かる。
他にもリン・カーターなど同時期に活躍した作家と交流があり、ともに「クトゥルフ神話」の設定を互いに使用することで世界観を広げていった。
手紙の中で自分の血筋を邪神の家系図に組み込んだり、クトゥルフ神話的存在と関わりのある人物であるように語ったり、他の作家にラヴクラフトの著作を作中でも存在する作品として扱われたりしている(これはラヴクラフト自身も他の作家に対してやっているが)。これによって自身もまたクトゥルフ神話の中に設定として組み込まれることとなった。これにも弔いの意味があったのかもしれないが、没後の他作家の作品において、ミ=ゴの装置によってラヴクラフトの脳が摘出されたことが示唆されている。
残したメモ、書簡の中には神々の系図や作品に描かれていない設定なども残されており、友人らとともに作り上げていったこの「お遊び」を相当に楽しんでいた様子がうかがえる。
他にもダーレスを勝手に邪悪な血族の子孫に設定する、自分の家系(仮にも誇りある貴族である)をアザトースの系譜に繋げるなど時代を考慮するとギリギリな悪ふざけも多く行っている。友人達との仲もそれらを冗談に出来るほどよかったのである。
特に生前、多くの手紙を残したラヴクラフトの生涯は多くの歴史上の偉人と比べてもかなり詳しく知ることが出来る。
父の死
父ウィンフィールド・スコット・ラヴクラフトはバトラー精神病院で亡くなった。診断内容から梅毒だったのではないかと言われ、母スージィ(サラ・スーザン・フィリップス)もウィンフィールドや自分の体に触らないようにしつけていたとされるがラヴクラフトは父の死を過労と神経症だと周囲には話している。
宝飾品の行商セールスマンという仕事柄、家を離れることも多かった夫の不貞からスージィが男性を嫌悪するにいたり、幼少期は女の子の格好をさせられていた。当時の写真が残っており、それはとても愛らしく飽くまで姿だけなら「美少女」と呼んで差し支えない。
祖父の死
祖父フィップル・フィリップスは地元の名士であり、各地を渡る商人だった。裕福な彼の家庭で育ったラヴクラフトは様々な刺激を受け、祖父を慕っていた。ラヴクラフトの作品では祖父の影響を受けた登場人物も見られるほどである。しかし祖父の事業が失敗し、祖父自身も亡くなると彼の家庭は少ない遺産を食いつぶしていくだけになっていった。
暗い時期
父と祖父の死後、過保護な母のヒステリーや二人の叔母たちとも付き合いながらの少年時代を送った。
地元のホープストリート高校に入学したことは分かっているが卒業できたかどうかはハッキリしていない。しかし幼い頃から名門ブラウン大学に憧れていたラヴクラフトは学業を失敗したことがコンプレックスになった。なおブラウン大学をモデルとしたのが彼の作品に登場するミスカトニック大学である。
その後も定職に着けず、アマチュア小説と文章の校閲などをして生活していた。この頃、彼自身も親しい友人たちも叔母や母親スージィの過保護さに驚いている。
母の死
遂に母スージィも夫と同じバトラー病院に入院した。当時の診察記録は精神病への偏見などが多く、信用できるものは残っていない。母が逝去したときは深く哀しんだが、これにより多くのしがらみから解放されたことも事実であった。
しかし両親とも精神病院で亡くなったことはラヴクラフトの印象に残り、彼の作品では登場人物の精神の失調、精神病院が度々、登場した。また自らも両親と同じ結末を辿るのではないかという血筋への恐怖は、彼の作品のテーマにもなった。
結婚と離婚
ラヴクラフトに人種偏見があることは友人たちにも知られていた。彼は熱心な白人至上主義、しかもアングロサクソン系のイギリス人(アイルランド系を除く)とアメリカ人でもイギリス系アメリカ人にだけ親近感を持っていた。取り分け黒人、そして第1次世界大戦でアメリカの敵だったドイツには偏見が強かった。
そんな彼がロシア系移民でユダヤ人のソニア・グリーンと結婚したことは周囲を驚かせたという。ソニアとはアマチュア小説家の集会で出会い、ソニアとラヴクラフトの合作という詩も残っている。まだまだ女性の社会進出がなされていない時代にソニアは実業家として成功していた。ラヴクラフトが母親代わりと金銭を目当てに彼女と結婚したと考えられている。
二人の結婚を叔母たちは認めておらず、ソニアはラヴクラフトにNYへ引っ越す事を提案し、二人の新生活を妨害する叔母たちと決別させた。
しかしNYの都会的な生活に慣れず、街中の多くの人種にも嫌悪感を募らせた上、ソニアの事業が失敗すると経済的にも貧困になり、二人の生活は破綻した。挙句、自宅に泥棒が入ったことでラヴクラフトの移民嫌いは作品にも表れるようになった。(なお、当時のNYはアメリカ移民局が有った「移民の町」であり、しかも、ラヴクラフトが住んでいたのは、有色人種や白人でも非WASPの住民が多いブルックリン地区である)
結局、二人は離婚した…とラヴクラフトは思っていたのだが正式な書類に彼はサインしておらず、ソニアもラヴクラフトの死を知るまで正式な離婚はできずに居た。NYでの生活が破綻するとラヴクラフトはロードアイランド州プロヴィデンスに帰郷し、死ぬまで故郷で暮らした。
パルプ雑誌ウィアード・テイルズ
1924年、結婚した頃のラヴクラフトはパルプ雑誌ウィアード・テイルズに作品を提出するようになった。彼の生前の作品は同誌から出版され、親友ロバート・ハワードとも同誌で知り合った。またロバート・ブロックはウィアード・テイルズを読んでラヴクラフトのファンとなっている。
同雑誌の初代編集長はラヴクラフトの文才を認め、看板作家の1人として重用していたが、2代目編集長は逆にラヴクラフトを徹底的に冷遇されると言う憂き目に遭ってしまった(もっとも、誌上で名前を載せない程度に留められていたので、作家仲間からの添削……と言う名の代筆作業で作家を続けていた)。
偏食
食べ物の好みに関しては海産物を特に嫌っていたとされ、その嫌悪感は説明の出来ないほど激しいものであった。逆に好物はチーズ、チョコレート、アイスクリームで、これは母親が彼の好むものだけを与えたことによる。酒・タバコは嗜まなかった。友人らとアイスの大食い競争をしたという話も残っている。
彼の創作したクトゥルフをはじめ海に関係する魔物、神は海産物嫌いに関連する事情もあるだろうといわれる。ただし、海産系のクリーチャーの割合自体は全体からすると高くはない。
愛猫家
無類の猫好きであることも知られている。ラヴクラフトの作品では猫は人間以上に賢く神秘的な力を持っているがそれを隠していることになっており、また手紙でも「猫はこの世で最も美しい生き物だ」と猫を賞賛することが度々あった。ロバート・ブロックからバステトの神官ラヴェ・ケラフの名で呼ばれ、喜んだ、一晩中、猫を膝の上で寝かせていたなどのエピソードも知られる。
取り分け「猫を殺した者に災いあれ」というテーマで書かれた小説『ウルタールの猫』が有名。
殺害許可証
書いた作品から陰鬱なイメージをもたれがちであるが、存外ユーモアのある人格であったことがわかる。
20歳以上年の離れたラヴクラフトのファンで作家ロバート・ブロックは「若い小説家に慕われた、この世の怖ろしい真実を小説という形で残しているという小説家を殺してもいいか?」というラヴクラフトをモデルにした登場人物を小説内で殺害する構想を話し、承諾された。後日、ラヴクラフトも自作の小説の中でロバート・ブロックをモデルにした人物をニャルラトホテプに殺害させている。
性的な話題
母スージィの影響か、ラヴクラフトは下ネタなど性的な話題を極力避ける傾向があったらしい。生前の友人たちは妻ソニアに性的な関係がラヴクラフトとあったのかと大真面目に質問している。同性愛者の友人もいたが、ラヴクラフトは友人たちの性的志向を関知していなかったとも言われる。
私生活以外でもホラー作品やSF作品では定番の恋人たちが怪物に襲われるというような展開は彼の作品には見られない。
人種偏見
彼の負の遺産とされ、しばしば議論の対象ともなっている。長年、ラヴクラフトを讃え、ロードアイランド州プロヴィデンスで始まった世界幻想文学大賞では受賞者にラヴクラフトの胸像が送られていたが2017年に変更されるという事態に陥っている。
当時、白人の優越性が信じられていた。彼の作品や手紙の中にも人種差別的傾向がしばしば指摘される。例えば「白人と有色人種が交わるべきではない」といった趣旨の内容を手紙に書いていることもある。詩『ニガーの創造』で、この詩の中で黒人を半人間と書き、小説『死体蘇生者ハーバート・ウェスト』で「人間の見ていないところでは黒人は前脚を使い、四本足で歩く」とまで書いている他、アジア人がモデルとみられるチョーチョー人が作品に登場する。
またラヴクラフトの白人至上主義は更に偏っておりイギリス人、英系アメリカ人を重視し、他は蔑視した。ラヴクラフトの移民嫌いに対し、妻ソニアは「アメリカの成り立ちを考えた方が良い」と夫に漏らしている。
彼にはユダヤ人の友人で詩人のサミュエル・ラヴマンもいたのだが、死後彼について差別的な発言をしていたとソニアが漏らした事により絶交され、
彼に送られた500通にも及ぶ手紙すべてを焼却している(直に差別的な仕打ちを受けたことはなかったらしいが、伝聞だけでも充分だったのだろう)。
ラヴマンは1948年に「私は長いことラヴクラフトは聖人君子だと信じ込んでいたが、それはひどい思い違いだった。しかしラヴクラフトは私の詩作の才能だけは最後まで高く買ってくれた」という内容のエッセイ『金とおがくず』を残している。
それでもラヴクラフトは民族はそれぞれ性向や習癖が異なっていると述べ、劣勢人種とされていた民族に対しての迫害や差別を推奨してはいないし、彼らの文化や思想を貶めることに関しては書簡で批判することがあった。またヒトラーの人種的優越感による政策やユダヤ人弾圧を批判している。
いずれにしてもラヴクラフトは故人であり、もはや世論に反論できない。いたずらに非難するべきではないだろう…。
執筆作品
「インスマウスの影」
「クトゥルフの呼び声」
「ダンウィッチの怪」
「狂気の山脈にて」
など
独特な文章から日本のファンからはその文章を真似てネタにされることもある。
とはいえ、認知度の低い所謂「固い」単語を好んでいたことは確かだが、英語の場合修飾語を重ねることでリズムを作ったり情緒を演出することが可能だが、そのまま日本語にするとくどいという問題が大きく影響しているという指摘もある。
とある名状しがたいコピペ
546 名前:名無しんぼ@お腹いっぱい 2005/04/03(日) 13:49:35 ID:A/xBSFBU0
文章をクトゥルフっぽくするテクニック
「恐るべき」「忌まわしき」「地獄の」「宇宙的な」「深淵の」「病的な」「嘲笑を」「冒涜的な」を混ぜる。
548 名前:名無しんぼ@お腹いっぱい 2005/04/03(日) 13:53:56 ID:FXjwupGu0
>>546
私は慄然たる思いで机の引出しから突如現れたその異形の物体を凝視した。
それは大小の球体を組み合わせたとしか言い様の無い姿をしており、狂気じみた青色が純白の顔と腹部を縁取っていた。
這いずり回るような冒涜的な足音で私に近付くと、何とも名状し難き声で私と私の子孫のおぞましき未来を語るのであった。
また、それは時空を超越した底知れぬ漆黒の深淵に通じる袋状の器官を有しており、この世の物ならざる奇怪な装置を取り出しては、人々を混迷に陥れるのであった。
関連イラスト
萌え化されたバージョン(未完少女ラヴクラフト)
関連タグ
個別
小説家 クトゥルフ神話 旧支配者 ラヴクラフト最大の誤算 ああ!窓に!窓に!
佐野史郎:ラヴクラフトのファンでありダークサイドミステリーにて、ラヴクラフトが特集された際にトークゲストとして出演し番組内の再現ドラマにてラヴクラフトを演じた。