概要
1902年〈明治35年〉5月24日、兵庫県神戸市東川崎生まれ。本名は同字で「よこみぞまさし」と読む。
- 上京後に探偵作家仲間達から「ヨコセイ」という呼び名をつけられ、「この人達は自分の名前を“セイシ”と読んでいるんだな。それもまた良し」として、筆名欄に「せいし」とルビを振り始めたのが理由。
元は薬剤師だったが、才能を見込んだ江戸川乱歩に映画製作会社設立をネタに「トモカクスグコイ」と割と無理矢理上京させられ、彼の担当編集者になった。
編集者と並行して創作や翻訳活動を行い続け、1933年に専業作家に転身する。が、同年に患っていた肺結核によって大量に喀血してしまい、翌年から長野県の療養所で5年に渡る療養生活を強いられた。ちなみに1949年に結核が再発したが、この時は結核などの治療薬であるストレプトマイシンによって助かっている。
戦時中は父親の故郷でもある岡山県に疎開しており、そこで体験した出来事が金田一耕助シリーズを育んでいった。シリーズの中でも「岡山もの」とされる、「八つ墓村」や「悪魔の手毬唄」等、岡山を舞台にした作品は特に名作揃いである。
- ちなみに疎開していた建物は横溝が引き払った後他人の手に渡ったが、2002年にその人物が家を手放す可能性を知った近隣住民の運動で当時の真備町(現在の倉敷市)が買い取った。その後、様々な人物の協力と尽力の結果、同年10月に一般公開が開始され、現在もその姿を見ることが出来る。
晩年には松本清張に代表される社会派ミステリーの隆盛により執筆量が減り、一時は探偵小説の執筆すら停止していたが、1968年に「八つ墓村」が漫画化されたことをきっかけに再び注目が集まり、1971年から角川文庫が「八つ墓村」を始めとした作品を刊行したところ圧倒的な売上を記録。少し遅れて来たオカルトブームの影響もあって再び人気が復活する(なお、横溝本人はオカルトなど終始超常現象的な内容の作品はほとんど書かなかった)。
このことから角川文庫は横溝作品を次々と刊行した他、当時角川書店の社長で映画産業への参入を狙う角川春樹は、自ら陣頭指揮を執って横溝作品を角川映画の柱に据えることになる。
1970年代に入ってからは、角川映画による「犬神家の一族」など、金田一シリーズの作品が映像化されたことによって推理小説ファン以外の人々にも幅広く知られるようになった。当時70代だった横溝本人も更なる「横溝ワールド」の発展を目指す角川の要請に応じて精力的な執筆活動を行い、一旦は中断していた「仮面舞踏会」を完成させたほか、「病院坂の首縊りの家」「悪霊島」などを執筆している。
また、先述した「犬神家の一族」に加え、「悪魔が来りて笛を吹く」「病院坂の首縊りの家」等の映画版にもゲスト出演した。
1981年(昭和56年)12月28日、結腸ガンのため死去。享年79歳。
エピソード
- 繊細さと頑固さを併せ持つ人物であり、普段は温和だが、探偵小説のことになると「鬼」と化し、憑りつかれたように原稿に向かっていたとされる。
- 着物の帯がほどけたのにも気づかず、散歩をしまくって作品の構想を練り、近所の子どもに「きょうてぇよぉ」(怖いよ)と怖がられることはしょっちゅうだったと言う。
- 愛憎渦巻く一族の因縁が背景にある作品が多いが、本人も相当複雑な家庭で育っている。
- 両親が配偶者と子どもを捨てて駆け落ちした先で生まれ、実母が亡くなった後、継母とその子、引き取られた実父の子と暮らしていた。実母・実兄と死に別れ、異母兄に段々疎まれるようになり、家では肩身の狭い思いをしていた。
- 悪魔の手毬唄では、異母兄と同名のキャラクターを活躍させている。氏の作品の根幹はこの家庭環境が大きいと考えられる。
- なお、本人の家族関係(兄弟姉妹関係)は、同父同母の姉と兄が2人、異父同母の兄弟姉妹が3人、同父異母の兄弟姉妹が4人、父親の再婚相手とその亡夫との間に生まれた子供が4人、計14名の兄弟姉妹の内、同居していた事が有る者が7人、と云うかなりとんでもない事になっており、横溝正史本人も「昔のひとは子供をもうけるということに、ずいぶん無神経だったと思わざるをえない」と云う言葉を残している。
- 早い話が、横溝正史自身の家族関係や家系図が、彼の作品の登場人物達のそれと同等かそれ以上に複雑怪奇だった訳である。
- なお、本人の家族関係(兄弟姉妹関係)は、同父同母の姉と兄が2人、異父同母の兄弟姉妹が3人、同父異母の兄弟姉妹が4人、父親の再婚相手とその亡夫との間に生まれた子供が4人、計14名の兄弟姉妹の内、同居していた事が有る者が7人、と云うかなりとんでもない事になっており、横溝正史本人も「昔のひとは子供をもうけるということに、ずいぶん無神経だったと思わざるをえない」と云う言葉を残している。
- 中学の時に探偵小説を語り合う友を得るも、中学卒業後亡くなってしまう。その後親友の兄と交流するようになったが、その人に紹介されたのがかの江戸川乱歩だった。
- 以来乱歩と正史は長年の親友兼好敵手となった。
- 自分が一時期作家として逼塞する原因になったともいえる社会派推理小説については「あまり読んでない」と前置きしつつも「清張さんの作品は好き」と答え、特に恨み節等は口にしていない。が、自分の同志であり恩人でもある筈の乱歩については「江戸川乱歩の馬鹿野郎!」と、酔って一人でよく叫んでいた。
- ただその乱歩が65年7月28日に死去した際、その臨終の場に立ち会っていた横溝は悲しみのあまり人目をはばからず号泣。傍にいた作家仲間の水谷準が「ヨコセイ泣くな、また会えるじゃないか」と慰めた逸話がある(その発言を横で聞いていた横溝の長男亮一氏は「いい慰め方をするな」と思ったという)。
- 船乗りの叔父、器用な姉の影響もあって、特技は編み物。
- 閉所恐怖症及び乗り物恐怖症であり、電車には恐ろしくて乗れない(乗る時も酒を持参して飲みながら乗り継いだほか、妻と乗った際にはずっと手を握っていなければダメだったという)。
- 嗜み程度だったがクラシック音楽を好んでいた。「悪魔が来りて笛を吹く」「迷路荘の惨劇」など、クラシック音楽絡みの作品も書いている。また戦中には爆撃機が飛び交う中で子ども達を励まそうと防空壕から飛び出し、大音量で音楽を流すというかなりエキセントリックな行動もした。
- スポーツは全般苦手だったが甲子園の近くで生まれ育ったこともあって大の野球観戦好きで、特に「あまりにも弱すぎたから判官贔屓で」今はなき近鉄バファローズの熱心なファンだったことでも有名。近鉄(=パ・リーグ)の試合は滅多にTV放送してくれなかったため、ラジオ中継や他球場途中経過を耳にしては一喜一憂していたという。「(近鉄ファンは)希少価値があるのかよくマスコミにとりあげられる」とも語っている。
作品
駆け出しの頃のペーソス風味の短編から、愛憎渦巻く耽美、捕物帳に本格と、非常に幅広い作風で知られる。気に食わない短編を中編・長編に書き直す改稿癖があり、中にはトリックや犯人が変更されているものもある。
ネタバレを食らうこともあるため、初心者にはまず有名な長編を読んでから、短編を読むことをお勧めしたい。