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パ・リーグ

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ぱりーぐ

日本野球機構に属するプロ野球リーグの一つ。正式名称は日本プロ野球組織 パシフィック・リーグ運営部。

NPB日本プロ野球)に属するプロ野球リーグの1つ。「パシフィック・リーグ」とも。

戦後すぐの球界再編騒動からNPBが1リーグ制から2リーグ制へ移行し、1950年にリーグが開幕した。

2018年よりパーソルホールディングスが協賛企業となり、下記『パ・リーグTV(パテレ)』の運営の他、2023年度よりリーグ戦のスポンサーを担当している(『PERSOL パ・リーグ』として開催)。

所属球団

1950年のパシフィック・リーグ(以下、パ・リーグ)の創設時当初は7球団が所属。パ・リーグ黎明期の1950年代や、2004年のプロ野球再編問題の際には球団の合併や新規参入があり、2005年以降から現在の6球団体制になっている。

それぞれの統計には前身球団を含み、傍系球団は含まない。

球団名一軍本拠地保護地域
北海道日本ハムファイターズエスコンフィールドHOKKAIDO北海道
東北楽天ゴールデンイーグルス楽天モバイルパーク宮城宮城県
埼玉西武ライオンズベルーナドーム埼玉県
千葉ロッテマリーンズZOZOマリンスタジアム千葉県
オリックス・バファローズ京セラドーム大阪大阪府
福岡ソフトバンクホークスみずほPayPayドーム福岡福岡県
球団名初年度リーグ優勝回数(1リーグ制時代)日本一回数
オリックス19361505
ソフトバンク193820211
日本ハム1946703
西武195023-13
ロッテ19505-4
楽天20051-1

かつて存在した所属球団

球団名本拠地保護地域
高橋ユニオンズ(※1)川崎球場神奈川県
大映ユニオンズ(※2)後楽園球場東京都
大阪近鉄バファローズ(※3)大阪ドーム大阪府
球団名初年度最終年リーグ優勝回数日本一回数通算勝率
高橋1954195600.344
大映1946195700.415
近鉄1950200440.467

補足

  1. 1957年シーズン前に大映スターズ(1957年以降:大映ユニオンズ)に合流。
  2. 1958年シーズン前に毎日オリオンズ(現:千葉ロッテマリーンズ)に合流。
  3. 2005年シーズン前にオリックス・ブルーウェーブ(現:オリックス・バファローズ)と合併。

順位の決め方

勝率の高いチームが上位となる。2チーム以上が同率で並んだ場合は以下の順番で順位を決める。

  1. 同率で並んだチーム間の対戦勝率の高い順
  2. 交流戦を除くパ・リーグのチーム同士の対戦勝率の高い順
  3. 前年度の順位

歴史

1950~59 リーグ発足と6球団化、西鉄VS南海

日本野球連盟分裂騒動によって誕生したリーグは当初7球団だった。奇数であることから日程が組みづらく、1954年高橋を加えて8球団としたものの、高橋は経営が悪化し1957年に大映と合併。再び7球団となったため、この年に最下位になったチームを別のチームと合併させることが決まり、最下位になった大映が毎日と合併し、6球団となった。

当時のリーグは西鉄南海の2強で、初年度に毎日が優勝・日本一になった以外は全て西鉄もしくは南海が優勝し、もう片方は2位にいることが多かった。特に西鉄は1956~58年に日本シリーズ3連覇を果たし、黄金時代を築いた。南海は敗れ続けていたものの、1959年に初の日本一を達成した。

一方近鉄東急東映は下位に甘んじていた。

1960~69 人気の低迷

ところがテレビ時代に突入し、巨人に人気が集中すると、観客動員数は伸び悩むようになる。追い打ちをかけるように巨人のV9が始まり、日本シリーズでひたすら敗退し続けてしまうこととなった。

テレビ時代の煽りを受けた映画産業は大きく衰退。大毎東京ロッテと2度の改名を行い、東映は自前の本拠地を失い巨人の球場を間借りする事態になった。

これらの要因から各球団の財政基盤は脆弱で、選手の給料はセ・リーグ球団のそれと比べて頭打ちになりやすかった。こうした事情から反社の標的になりやすく、後の大事件へと発展していくことになる。

リーグ自体は中期に南海がリーグ3連覇、後期に阪急が初優勝からリーグ3連覇を果たし、西鉄と入れ替わる形で躍進した。また、下位に甘んじていた東映が1962年に初優勝・初日本一を達成した。近鉄はこの頃も蚊帳の外だった。

1970~79 黒い霧事件、リーグ暗黒時代

NPB史上最悪の八百長事件として知られる黒い霧事件が発覚し、西鉄を中心にリーグの主力選手が追放処分を受けた。これによりイメージが大きく悪化。西鉄は球団経営から撤退し、太平洋クラウンとチーム名が変わり、遂には福岡を追い出されて埼玉に移転し、西武ライオンズとなった。

さらに映画企業が球団経営から完全撤退。東映は日拓ホーム日本ハムと身売り、ロッテは大映に代わって正式に親会社となったが、大映の持ち物だった本拠地球場は閉鎖され、数年間本拠地を持たない球団(ジプシー・ロッテ)となってしまった。

そんな中、1973年にロッテと日拓ホームの合併騒動からプロ野球再編問題が起き、1リーグ化構想が持ち上がるも挫折。

このようなリーグの存続すら危うい事態を打破すべく、1973年に前後期制が導入された他、1975年には指名打者の採用も開始された。しかし大した効果は上げられず、観客動員数はセ・リーグの1/3ほどにまで落ち込んだ。

リーグ自体はこの騒動の影響を殆ど受けなかった阪急がリーグ4連覇、更に日本シリーズ3連覇を果たす。1979年には近鉄が初優勝し、これで当時の6球団が全て優勝を経験することとなった。

一方南海は1973年を最後に優勝できず、1978年から20年連続Bクラスという低迷期に突入した。

1980~1989 西武黄金時代、老舗球団の身売り

西武が10年間で6度の優勝、うち日本一5度、特に1986~88年には2度目の日本シリーズ3連覇という圧倒的な強さをもってリーグを牽引し、問答無用の黄金時代を築いた。

これに続く形で躍進したのが近鉄で、成績は安定しないながらも2度優勝している。中でも1988年・1989年の優勝争いは伝説となっている(10.19を参照)。

とはいえ人気が持ち直したかといえばそうでもなく、当時のパ・リーグは関東と関西にしかチームが存在しなかったため、巨人・阪神の圧倒的人気の前に無力とも言える状態だった。中でもロッテは不人気チーム筆頭で、そのガラガラで自由奔放な客席の様子はテレビでネタにされたほどだった。

そんな中、経営危機に陥っていた阪急・南海という老舗球団2つが1988年に身売りされ、それぞれオリックスダイエーとなった。さらにダイエーは本拠地を福岡へ移転することとなり、10年ぶりに福岡にプロ野球チームが帰ってきた。

なお、前後期制は1982年をもって終了している。

1990~1999 続・西武黄金時代、メジャーリーグの波

引き続き西武の黄金時代であり、10年間で7度の優勝、特に1990~1994年にはリーグ5連覇、そして1990~1992年は3度目の日本シリーズ3連覇を達成。

だが日本シリーズでは1993年以降勝つことができず、その力に陰りが見え始めていた。

身売りした2球団のうちオリックスは、1994年にイチローがブレイクし、1995~1996年には「がんばろうKOBE」のスローガンのもとに奮起し20年ぶりにリーグ2連覇を果たした。

一方のダイエーは1999年に漸く暗黒期を脱出し、悲願の優勝・日本一を達成した。

不人気筆頭だったロッテは千葉にスタジアムが完成しそちらに移転。かわって日本ハムが不人気に甘んじた。

そして1994年オフ、近鉄に所属していた野茂英雄がメジャーリーグ挑戦を表明。これが大成功を収めると、以降長谷川滋利伊良部秀輝など挑戦者が続出。優秀な選手を引き留めるために各球団は戦略の見直しを迫られる事態となった。

2000~2009 プロ野球再編問題、地方ファンの開拓

2001年に近鉄が優勝。これがこの球団最後の優勝となった。そして日本シリーズで敗退し、日本一にはなれずに終わった。

2004年に近鉄・オリックスの合併が水面下で進められていることが発覚し、プロ野球再編問題に発展。10チームによる1リーグ化も取り沙汰されたが選手会を中心に反発。合併は止められなかったものの新たに楽天を参入させ、リーグも存続することになった。

同年日本ハムが本拠地を東京から北海道に移転し、さらに鳴り物入りで移籍した新庄剛志が数々のパフォーマンスで観客を魅了し、リーグのイメージを一新したことが、存続の大きなきっかけになったと言える。

そして新規参入の楽天は宮城に本拠地を構えたことで、パ・リーグはセ・リーグよりも幅広い地域に球団を構えることになった。特に日本ハム・楽天・ソフトバンクはセ・リーグ球団が存在しない地方に本拠地を構えているため、新規ファンの獲得に力を注ぎ、地域密着路線で人気を得た。

リーグはその日本ハムが北海道移転後人気・実力共に急上昇し、優勝3回、日本一1回を記録。不人気筆頭チームが「北の大スター」に変革を遂げた。西武も負けじと優勝3回、日本一2回を記録した。

一方オリックスは2000年オフのイチロー渡米後急速に低迷。2002年に最下位に陥ると、合併による戦力増強も虚しく2008年以外全てBクラスに終わった。新規参入の楽天も下位に甘んじていたが、2009年には2位に躍り出た。

プレーオフが2004年から、クライマックスシリーズが2007年から導入され、勝率1位でなくても日本シリーズに出場できるようになった。2004年の西武は史上初めて2位から日本一になったチームであり、ロッテが勝率1位を一度も取れないながら2回も日本一を達成している。

また、IT企業の参入も手伝ってインターネットを通じた試合の配信サービスがこの頃から始まり、これが現在の『パテレ』である。

2010~2019 無敵の若鷹軍団

ソフトバンク黄金時代であり、優勝5回、日本一6回(2位からの勝ち上がりが2回あるため)の成績を残した。リーグ90勝以上を達成した年が2度もあるあたりその強さが窺える。

ここに西武と日本ハムが加わり優勝争いを演じたが、多くの年でソフトバンクが頭一つ抜けていた。このうち日本ハムは2012・16年に優勝し、2016年には日本一を達成した。2013〜2017年には大谷翔平投打二刀流に挑戦し、2017年オフの渡米後の活躍はご存知の通り。西武は2018・19年に優勝するもいずれの年もクライマックスシリーズでソフトバンクに敗退した。

2010年にはロッテが史上初めて3位から日本一を達成し、「史上最大の下剋上」と言われた。

そして2013年、楽天が悲願の初優勝・初日本一を達成。これで現行6球団の全てが優勝・日本一を経験したことになる。

オリックスは低迷期を中々抜け出せず、2014年の2位以外Aクラス入りできなかった。

なお、2010年代は日本シリーズは2012年を除きすべてパ・リーグチームが日本一である。

2020~ パンデミック、猛牛の躍進

2020年にはCOVID-19の流行による開幕延期や無観客試合と、過去に例を見ない混乱に陥った。観客人数制限は2021年まで続いた。

2020年は戦力が充実していたソフトバンクが優勝・日本一となったが、2021年は戦力ダウンにより久々のBクラスとなった一方で交流戦好調だったオリックスが実に25年ぶりのリーグ優勝を果たした。オリックスは2022年も優勝し球団としては26年ぶりのリーグ連覇、さらに26年ぶりとなる日本一を達成した。

2023年もオリックスが優勝し、1990〜1994年の西武(5連覇)以来久しぶりのリーグ3連覇を達成。日本シリーズでは惜しくも阪神に敗れた。

日本ハムが2019年以降北海道移転後初の低迷期に突入し、2023年までに5年連続Bクラス。そんな中2023年から61年ぶりとなる自前の球場を確保してプレー環境を改善、2024年に久しぶりにAクラス入りしている。

関連タグ

プロ野球 セ・リーグ NPB P@L

アメリカンリーグ MLBでのパ・リーグ

外部リンク

パ・リーグTV:上記パーソルが運営するパ・リーグ6球団総合公式チャンネル。通称『パテレ』。YouTubeチャンネルも運営。

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