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川崎球場

かわさききゅうじょう

「テレビじゃ見れない川崎劇場」

神奈川県川崎市川崎区に現存する球場

おおよそ野球ファンでもかなりの人が誤解していることなので、まず言いたいのは「川崎球場」は、今もロッテ・大洋時代と同じ場所にある現役の球場である。

ただし、プロ野球では使われず、専ら軟式野球アメフト用である。スタンドなどの大半の施設はなくなったが、ベンチなどは当時そのままに残っている。

概要

1951年開場。1954年より高橋ユニオンズの本拠地となるが、1956年に消滅。入れ替わるように大洋ホエールズ(→横浜大洋ホエールズ横浜ベイスターズ横浜DeNAベイスターズ)が1955年から本拠地とする。当時から閑古鳥が鳴くような客入りで主催者発表が100人だったこともあり(当然実数はそれ以下)、大洋時代の巨人戦以外は概ねそんな感じでどちらかと言えばマイナー感漂う球場であった。

広さは両翼90m・中堅118mで左右非対称。しかし実測はもう少し狭かったのではないか?といわれているほか、さらに現在の東京ドームに近い膨らみのない左右中間だったためホームランも出やすかったという。時代が遅かったら「川崎ムラン」とかいわれたことだろう。
バッティングの技術や用具の質も向上したロッテ本拠地時代はフェンスが5.0〜7.0mと現在の目から見てもかなり高くされたが、それでもフェンスの上を超えていく大飛球が場外ホームランになることもあったとか。

1977年、大洋が本拠地を横浜スタジアムに移転、代わりに本拠地としたのが当時ジプシー球団で確たる本拠地をもたなかった(仙台宮城球場を準本拠地とはしていた)ロッテオリオンズ(→千葉ロッテマリーンズ)であった。この当時のパリーグは、現在のプロ野球人気斜陽化が可愛く見える程の超低人気ぶりを発揮。その中でもロッテは不人気中の不人気球団として、マスコミで取り上げられるのも「珍プレー好プレー」での「」場面ばかりであった。

その例を挙げると


そして極めつけが「客席の段差を利用しての流しそうめん」であり、こんなことをしても球場側から注意されずに許されるほど客入りは悪かった(ちなみに西の藤井寺球場ではコンロを持ち込んでの焼肉パ-ティーというのがあった)。このようなパフォーマンスも珍プレー番組で取り上げられたことで、後にはそれを狙って行われたファン以外の人間による行為もあったことは追記しておく。

また球場の設備も汚く、グラウンド不良による中止が相次いでいた他、特にトイレが刑務所のトイレとして撮影に使われたことは有名。
しかも刑務所サイドから「そんなに汚くない」と抗議されるオチもついた。
これに加え川崎駅から最短で行くにはソープ街を抜ける必要がありこれもファン離れに拍車をかけていたようだ。
ロッテ球団もこれにはキレ気味だったらしく、度々施設の改装を要求していた他、ライオンズもホークスもいない頃の平和台や宇都宮への移転をちらつかせていた。

1988年、伝説の10.19で全国にそのオンボロさを知らしめ、さすがに球場を運営する川崎市も思う所があったか、開設以来の大改修を挙行。スコアボードをようやく電光化した。この当時テレビでCMを流したが、そのキャッチコピーが冒頭の「テレビじゃ見れない川崎劇場」である。

が、結局ロッテは1992年、2年前に落成した千葉マリンスタジアムへの球団誘致に応じて移転。
その後も細々と2軍戦などをおこなったものの、2000年3月をもってプロ野球球場としての歴史を終えた。その最期の試合はかつて本拠地としたロッテ対横浜のオープン戦だったが、狭かった球場らしく、ロッテが10本塁打で22-6で圧勝。なお小坂誠はこの試合で1イニング2本塁打という(俊足小兵の小坂に全く似合わない)珍記録も達成した。

一方1991年9月23日プロレス団体のFMW大仁田厚VSターザン後藤の「ノーロープ有刺鉄線金網電流爆破デスマッチ」を決行。これを含めてFMWは解散までに7大会を開催し「聖地」とも呼ばれていた。
プロレスではスタンドだけではなくグラウンドの部分もアリーナ席と出来る為、FMWでは当時のスタンドの収容人員3万人をはるかに越える5万人超の観客動員を記録している。
(プロレスの興行自体は1960年代後半から行われた記録がある)

その後はスタンドなど大部分の施設が解体され、冒頭で記述したとおり、軟式野球やアメフトの球場として使用されている。

なお2014年4月以降は「川崎富士見球技場」が正式名称である。

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