概要
1928年に大阪鉄道(後の近鉄)が錢高組と共に建てた球場。
その用事は基本的にアマチュア野球の会場である事が多かったが、第二次大戦に絡む解体を経て1949年のプロ野球2リーグ分裂を皮切りに近鉄が球団・近鉄パールス(後の大阪近鉄バファローズ)を結成、多額の費用をかけて改修し、プロ野球の本拠地となった。パールス時代はパールススタジアムと呼ばれていた。
しかしナイター照明設備を保有していない為に殆ど二軍の試合が多く、一軍の試合は週末のデーゲームであり平日のナイトゲームは照明設備のある南海ホークスの大阪球場や社会人野球・日本生命の日本生命球場(日生球場)を借りて行っており、名目上の本拠地扱いが殆どであり、1979年と1980年の広島東洋カープとの日本シリーズは大阪球場を借りて行っていた体たらくであった。また、日生球場も交通の便こそ恵まれていたが社会人野球の球場であった為に狭く収容人数も少ない上に照明設備も見劣りする等、近鉄球団を取り巻く環境はあまり良い物ではなかった。
やがて1984年4月にナイター設備が完成して名実ともに本拠地となり、日本シリーズも1989年に開催された。
1997年に大阪ドーム完成後は再び本拠地で無くなり、二軍の試合やアマチュア野球の試合が行われる。
2005年に閉鎖、そして2006年に解体された。跡地は四天王寺大学を運営している四天王寺学園へ売却。四天王寺学園小学校・中学校となっている。
アマチュア野球の球場として
それでも、アマチュア野球の開催地としてはそれなり以上に重要視されており、1956年から1980年まで全国高等学校軟式野球選手権大会の会場であったり、日生球場閉鎖後の1998年からは高校野球大阪府大会の決勝戦が行われていた。また、女子ソフトボール大会の会場としても使用されていた。
余談
住宅地内にある等の関係から、鳴り物での応援が禁じられていた。
川崎球場同様に本塁打が出やすい球場と評され、また東の川崎球場、西の藤井寺球場と呼ばれるほどに古くて汚い悪印象とフリーダム過ぎる環境が語られている(鳴り物応援が禁じられている辺り、川崎球場より劣るが)。
また、プロレス会場となったこともある。