1概要
正式名称は「大阪スタヂアム」。難波球場とも呼ばれていた。
南海ホークスの本拠地として使用された他、近鉄バファローズや阪神タイガース等の試合も多く行われ、近鉄球団の1979年、1980年の日本シリーズはこの球場を借りて行われていた。
また、交通の便の良さから、プロレスやコンサート会場としても多く使われていた。
外野スタンドの下に場外馬券売場があったことや、当時のパ・リーグらしいフリーダムな環境でも知られる。
福岡移転後に解体。跡地はなんばパークスとなっていて、なんばパークス9Fのギャラリーに南海ホークスについての展示があるほか、2Fにはホームベースやマウンドがあった場所にプレートが埋めてあり、野球場があったことを伝えている。
球場を建てる前
江戸時代『享保の大飢饉』があり、庶民を救う為に米蔵が作られていた。それ以降飢饉が起こる度、水路から大坂中に米が送り届けられていた。庶民にとって希望の場所だった。
昭和になり戦後、タバコ工場跡地になっていたこの場所に(難波駅のすぐ傍で行き来もしやすいと)大阪の人に野球で希望を届けると球場を建てる計画を立てたが、大阪市は「ここには道路を作る」と却下してきた。しかしそれを聞いてたGHQのマーカット少将が『プロの球団がホームグラウンドを持っていないなんてダメだ。道路計画は変更しよう』『これからの大阪の人々にとっては道路より野球場を作る方が遥かに有意義だ』と大阪市が決めていた計画をひっくり返させた(道路計画は北に大幅にずらすカタチになった。)。また戦後のスポーツの復興だけでなく、文化の復興も必要だと、大阪球場のスタンドの下には茶道教室や美容教室、料理教室などが入っていた。