経歴
1973年7月2日生まれ。宮城県立柴田高等学校卒業後、社会人野球・JR東日本東北で5年間プレー。1996年オフのドラフト会議にて千葉ロッテマリーンズから5位指名され、プロ入りする。
ロッテ時代は驚異的な守備範囲で知られた遊撃手として、ゴールデングラブ賞を4回受賞。盗塁王も2度獲得している。
2005年のシーズンオフに読売ジャイアンツに金銭トレード。二塁を守ることが多かった。その後2009年に東北楽天ゴールデンイーグルスに再び金銭トレードされた。守備要員として、またチームの精神的支えとして球団初のクライマックスシリーズ出場に貢献したが、2010年に戦力外通告を受け引退した。
現役引退後はその経験値を買われ、楽天、日本ハム、巨人、ロッテの4球団で(一軍あるいは二軍の)内野守備走塁コーチとして後進の指導をしている。
プレースタイル
小坂は何と言ってもその圧倒的な守備範囲が語り継がれる選手である。小坂は守備はショートであるのだが、ショートの守備範囲はおろか左半分の守備をほぼカバーしてしまう事が多々あり、他球団ファンから憧れとほんの少しの妬みも含めて「小坂ゾーン」という名前が付いた。
城島健司は福岡ダイエーホークス時代に毎度毎度小坂の好守備に阻まれていただけに、「小坂さんがいると、毎試合ヒットを1本損する」と語っている。
「足があって守備は良いが、長打力に欠ける」を代表するような選手であったが、川崎球場プロ野球最終試合となったオープン戦では「1イニング2本塁打」(公式戦では1年に1回もない記録)を記録した事がある(元々球場が狭く、この試合だけで両軍合わせて10本塁打、26得点という乱打戦であったが)。