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初芝清

はつしばきよし

初芝清とは、かつて千葉ロッテマリーンズで活躍したプロ野球選手。内野手(主に三塁手)。右投右打。
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概要編集


1967年2月26日生まれ。東京都豊島区出身。


高校生の時は、2学年時からエース投手・3番打者で活躍。卒業後は社会人野球東芝府中に入社、打者に転向し、内野手としてプレー。


1989年ドラフト4位でロッテオリオンズ(現在の千葉ロッテマリーンズ)に入団。1995年には第一次バレンタイン政権の5番打者となり、打率.301、本塁打25本、打点80で自身初の打点王、三塁手のベストナインのタイトルを獲得。またこの年、球団初の1億円プレーヤーとなる。

ちなみに、1995年と1998年に記録した25本塁打は千葉マリンスタジアム移転後の球団記録としては日本人最多である。

2005年に引退するまで、現役生活の17年間をロッテ一筋で貫き、平成のミスター・ロッテまたはミスター・マリーンズと呼ばれる。



容姿編集


若干小太りの体型に赤ら顔、眼鏡、ストッキングをふくらはぎとすねの辺りまで上げるオールドスタイル(田吾作スタイルとも呼ばれていた)という独特の風貌が特徴の選手だった。


その他編集

・ボールを追ってそのままダグアウトに転落することが最も多かったため「ベンチ転落数日本一」を記録。


・契約更改はよくても悪くても3分で終了。一発サイン。


・一時(1998年 - 1999年ごろ)、髪型を金髪にしていたことがある。別に本人が望んだわけではなく、行きつけの床屋で店主から「初芝さん、たまにはブリーチでもしてみる?」と聞かれ、本人はブリーチの意味が分からないのに、何の事かも聞かずに了承してしまった為に金髪になったという。しかし、自身の娘が近寄らなくなったり、「田吾作スタイル」に代表されるように男臭いことが魅力である選手だけにあまり好評ではなかった為、すぐに黒髪に戻している。


・ルーキーイヤー(1999年)の松坂大輔からは、最多の3本塁打を放っている。そのため「松坂キラー」の異名がつき、当時発売された『未来蜂歌留多商会』(ハドソン子会社)の『パワーリーグ』、コナミの『フィールド・オブ・ナイン』といったプロ野球カードゲームでも、相手投手が松坂の時に初芝が打席に立つと、打力がアップするように設定されていた。


・プロ野球の歴史でも類を見ない引退試合においてデッドボールを食らった選手でもある。


関連タグ編集

セガサミー:2014年より野球部監督。

初芝橋本:現役時代、橋本将と共に名前つながりで差し入れしたことでも話題になった高校。

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