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プロフィール編集

最終所属埼玉西武ライオンズ
出身東京都江東区(但し出生地は青森県青森市
生年月日1980年9月13日
身長・体重188cm、107kg
投球・打撃右投右打
守備位置投手
プロ入り1998年ドラフト1位

概要編集

プロ入り前編集

幼少期は体力が有り余って暴れん坊であったため、5歳の頃に家族が近所の花屋の勧めで剣道道場に入会させ、以降道場通いが小学3年生まで続いた。道場の稽古は極めて厳しく、指導者は未就学児をひっくり返して蹴飛ばし、気が抜けていれば羽目板にぶつけ、泣いたら泣き止むまで追いかけ回した。


1998年(横浜高校3年)、全国高校野球選手権大会(夏の甲子園)準々決勝でPL学園と延長17回の死闘を演じ、決勝でノーヒットノーランを達成して優勝し、「平成の怪物」と呼ばれる。


プロ入り後編集

1999年、ドラフト1位で西武ライオンズに入団。高卒1年目にして16勝5敗、防御率2.60の活躍でパ・リーグの新人王と最多勝に輝く。

2000年にはシドニーオリンピック野球日本代表メンバーに選出。2000年も14勝、2001年も15勝で3年連続の最多勝に輝く。00・01年には連続で奪三振王も受賞し、01年は21世紀初の沢村賞投手となった。


不祥事編集

しかし同年9月、当時交際中の日本テレビアナウンサー柴田倫世が住むマンション前において球団名義の自動車で駐車違反を犯した際、二人の交際をスクープした写真週刊誌「FRYDAY」によって交際の事実だけでなく、松坂が8月にスピード違反を犯し駐車違反時は免許停止状態であった事、その為黒岩彰球団広報課長が身代わりで警察に出頭していた事まで判明。結果松坂は道路交通法違反、黒岩は犯人隠避の容疑で書類送検され、略式起訴による有罪判決(罰金刑)が下された。判決後黒岩及び小野賢二球団社長は辞任、松坂は無期限自宅謹慎処分となったが1ヶ月程で解除された。


国際大会出場編集

2004年アテネオリンピックの野球日本代表メンバーに選出。日米野球にも出場した。

また同年に交際中の柴田倫世と結婚。柴田は日本テレビを退社した。

2006年には第1回WBCのメンバーに選出。


メジャーリーグ移籍後編集

どすこぉ~い

2007年にはポスティングシステムを利用し、MLBのボストン・レッドソックスへと移籍。

同年のワールドシリーズ制覇の立役者として大車輪の活躍を見せた。

2009年には第2回WBCに出場。

しかし、2011年に肩の手術を行って以降、成績が下降気味となり、2013年2月にクリーブランド・インディアンスに移籍、早くもその年の8月にニューヨーク・メッツにトレードされる。

2年間で6勝を挙げるもFAとなり、2014年12月に福岡ソフトバンクホークスに入団することが決まった。


NPB復帰編集

2015年シーズンは怪我で1軍登板が出来ず。2016年はわずか1登板のみ。2017年も登板することはなく同年オフに退団となった。本人は現役続行を希望していたが、老いによる劣化もあり、選手としての評価は中々に厳しいようであった。


その後、中日ドラゴンズが獲得を表明。2018年1月中に入団テストを実施、合格して入団となった。中日移籍後の2018年シーズンは先発投手として登板し、敗戦投手となってしまう場合が多いものの投球内容は良好で、クオリティー・スタート(先発6イニングを投げて自責点3以内)を2回達成するなど結果を残し、先発ローテーションの一角を守る。3回目の登板時には日本球界復帰後初勝利を挙げ、日本では実に4241日ぶりの勝利投手となった。このシーズンは6勝を記録し、カムバック賞を受賞した。

かつて、「平成の怪物」と呼ばれた男は、平成の終わりに見事に復活を遂げる事となった。


引退編集

2019年レギュラーシーズン終了後、森繁和球団シニアディレクター(SD)、デニー友利国際渉外担当らが退任する事を受け、松坂も退団を決意。同年12月、古巣・埼玉西武ライオンズへの入団・復帰が決まった。

西武復帰後は右手のしびれ等の影響もあって登板がなく、2021年7月に現役引退を表明した。

10月19日に行われた引退試合(北海道日本ハム戦)では背番号を「18」に変更して先発登板し、横浜高校の後輩である近藤健介に対し、5球を投げ四球を与え、降板した。


引退後編集

引退後はテレビ朝日及びスポーツニッポンの評論家となる。キャンプの取材に行くと必ずと言っていいほど決め球の高速スライダーの投げ方を現役投手達から聞かれている。

またWBCで選手と監督の間柄だった読売ジャイアンツ監督の原辰徳は、引退後に松坂がキャンプの取材に訪れた事を喜び、投球練習中の戸郷翔征を呼び寄せて高速スライダーを伝授するように頼んでいる。


2023年には古巣西武の春季キャンプに臨時コーチとして参加した。


打撃編集

横浜高校時代に四番打者を務めており、高校通算14本塁打を記録。プロ入り前から打撃センスも評価されていた。松坂自身打撃が好きな事を公言しており、西武時代は気分転換も兼ねて打撃練習を行なっていた。

パ・リーグの西武に入団した為当初はプロの試合で打撃を披露する機会は殆ど無かったが、2000年8月7日のオリックスブルーウェーブ戦で代打で登場し、公式戦初安打を記録。

2006年6月9日の阪神タイガースとの交流戦では、高校時代から縁のある阪神甲子園球場でプロ初本塁打を放った。

レッドソックス時代にもワールドシリーズで安打を記録。

セ・リーグの中日移籍後は打席に立つ機会が増え、マルチヒットを記録した事もあった。


背番号編集

背番号使用年所属チーム
181999年〜2006年西武ライオンズ
182007年〜2012年ボストン・レッドソックス
202013年クリーブランド・インディアンス
162013年〜2014年ニューヨーク・メッツ
182015年〜2017年福岡ソフトバンクホークス
992018年中日ドラゴンズ
182019年中日ドラゴンズ
162020年〜2021年埼玉西武ライオンズ
182021年埼玉西武ライオンズ

松坂世代編集

彼と同学年(1980年4月2日-1981年4月1日生まれ)のプロ野球選手を「松坂世代」と呼ぶ。

なお、選手一覧は松坂世代の記事を参照。


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