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ノーヒットノーラン

のーひっとのーらん

野球において、相手チームに安打と得点を許さず勝利する事
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概要

野球試合において、9回(延長なら勝敗を決する時点)まで相手チームに安打と得点を許さず勝利する事。
このうち、四球死球エラーによる出塁も許さなかった場合は「完全試合」と呼ばれる。
和製英語であり、アメリカでの呼び方は「ノーヒッター」(no-hitter)または「ノーノー」(no-no)だが日本でもどちらもたまに使われている。

NPB(日本プロ野球)などでは一人の投手が試合終了まで投げ切る事を記録成立の条件としており、抑え投手などと交替した場合は参考記録となる。また9回まで投げ切ったものの、味方も得点出来ずに延長に突入した場合は必ず延長で勝つまで投げ切ることが条件で、引き分けとなった場合は達成とならない。また、無安打無出塁をキープしていても、コールドゲーム(=9回まで続かない)による勝利の場合も同様。
なお、大リーグでは継投による記録達成を認めており、これを最初に記録したのは、かのベーブ・ルースである(ただし1回先頭打者の打席で退場処分)。

主な記録達成者

日本プロ野球

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投手名達成日所属対戦相手備考
沢村栄治1936年9月25日巨人大阪日本プロ野球史上最初の達成者通算3度の達成は最多(内2度は2年連続。記載した記録は初回のもの)
呉昌征1946年6月16日阪神セネタース首位打者や盗塁王のタイトル歴を持つなど本業は打者ながら、戦後すぐの選手不足の状況下で登板し、達成。この年だけで14勝を挙げ(通算では15勝で終わるが)、二刀流選手では最も代表的な選手の一人に挙げられる
金田正一1951年9月5日国鉄阪神最年少(18歳35日)且つ昭和生まれの選手初の達成
江夏豊1973年8月30日阪神中日延長11回、「自らのサヨナラ本塁打」による勝利で達成。他にも「2回から延長13回まで1試合分を完全試合」という珍?記録も持つ
近藤真一1987年8月9日中日巨人プロ初登板での達成は史上唯一
山部太1994年4月26日ヤクルト西武2軍での試合。相手の竹下潤も無安打1失点(失策→犠打)で、この試合はNPB公式戦史上唯一の両軍無安打試合。翌日、2軍の試合ながらスポーツ新聞一面を飾る
山本昌2006年9月16日中日阪神日本プロ野球史上最年長及び、左腕投手の世界最年長記録(41才1ヶ月)
杉内俊哉2012年5月30日巨人楽天完全試合まであと1人のところで、田中将大の代打・中島俊哉へ2ストライクからの1四球。初の高校野球全国大会とプロ野球の双方での達成
山井大介2007年11月1日中日日本ハム日本シリーズ第5戦、岩瀬仁紀との継投で完全試合を達成するも、正式な記録とされず幻扱いに。その後も一度、9回に初安打を打たれ逃した事もあったが(2010年、相手は巨人)、2013年6月28日に3度目の正直で達成(相手はDeNA)


高校野球

投手名達成日所属対戦相手備考
嶋清一1939年8月19・20日海草中島田商下関商第25回全国中等学校優勝野球大会(現在の高校野球)の準決勝と決勝で2試合連続達成。同大会において5試合連続完封で、高校野球史上最高投手の呼び名もある。太平洋戦争に召集され戦死したためプロでの登板は無い
松坂大輔1998年8月22日横浜京都成章プロでは未達成だが、高校3年夏の第80回大会決勝で達成。決勝での達成は前述の嶋以来となる史上2人目


メジャーリーグ

ノーラン・ライアン奪三振世界最多記録保持者にして、ノーヒットノーランも史上最多の7回達成。その名前から日本のMLBファンの間で「ノーヒットノーランのノーランは彼に由来する」というジョークが出たほど。レンジャーズ社長⇒CEOを経て、2014年よりアストロズエグゼクティブ・アドバイザー。
野茂英雄近鉄時代は未達成だが、メジャーではドジャースレッドソックスで1度ずつ達成しており、ナ・ア両リーグでの達成は史上4人目、世紀またぎで達成したのは19-20世紀のサイ・ヤング以来2人目。
岩隈久志2015年8月12日オリオールズ戦にて、3四球7奪三振でノーヒットノーランを達成。

その他、「完全試合」も参照。

関連タグ

野球 プロ野球 MLB 完全試合

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