プロフィール
経歴
柳ヶ浦高から2005年高校生ドラフト1位で横浜ベイスターズ(現・横浜DeNAベイスターズ)に入団。主な同期選手は内藤雄太、黒羽根利規、高宮和也ら。
横浜DeNA時代
ルーキーイヤーの2006年にプロ初勝利を果たすと、続く2007年も6試合に登板した。2008年終盤に一軍定着のきっかけをつかむと、2009年は開幕一軍を果たしセットアッパー、後石井裕也の不調からクローザーに抜擢。18セーブをマークする。
2010年は先発投手として開幕する予定だったが、結局クローザーのままシーズン開幕。前年よりも成績を良化させ、オールスターゲームにも出場した。
2011年は不安定ながらも自己最多34セーブをマーク。
2012年はシーズン当初金髪だったが、打ちこまれるケースが増えて坊主になって反省。この年は史上最年少での通算100セーブを達成し、自己最多となる60試合に登板したものの、セーブ数は減っている。
2015年途中から先発に転向し、翌2016年には2ケタ勝利をマークし、ベイスターズ初のクライマックスシリーズ進出に貢献した。オフにFA宣言し、読売ジャイアンツに移籍。
巨人時代(第1期)
巨人移籍後の2017年は前シーズンからの右肩痛が治まらず3軍スタートとなるが、後に一軍に昇格。
6月14日の福岡ソフトバンクホークス戦で先発投手として移籍後初めての一軍公式戦登板を果たし、6回まで投球して無安打に抑え、後に続くスコット・マシソンとアルキメデス・カミネロも無安打に抑え、継投でのノーヒットノーランを達成した。しかし、後述の泥酔暴行事件を起こし当シーズンの残り全試合出場停止となってしまった。
2018年7月17日には完投でノーヒットノーランを達成(これがNPB全体で平成最後のノーヒットノーランになった)。既に通算100セーブを挙げている投手によるノーヒッターはNPB史上初である。
MLB挑戦と巨人復帰後
2019年シーズン終了後、ポスティングシステムによりMLBのトロント・ブルージェイズへ移籍。2020年は17試合に登板するも、タイブレーク制での救援登板で打者に打たれて敗戦投手となるなど乱調、2勝4敗防御率8.06という成績でシーズンを終え自由契約となった。
2021年シーズンはサンフランシスコ・ジャイアンツとスプリット契約を交わしたが、3Aで5試合登板して3敗、防御率6.17と振るわずメジャー復帰を断念。自由契約を申し出て6月にNPBの読売ジャイアンツへの復帰が決まった。
2022年はチーム内で8投手がプロ初勝利を挙げるなど世代交代が進み、一軍登板機会は1試合のみとなった。シーズン終了後来季の戦力構想外となり退団、現役続行に向け独立リーグからのオファーもあったが、現役引退を決めた。
不祥事
30歳の誕生日に当たる2017年7月11日の未明、東京都内の飲食店で泥酔中に右手の甲を負傷。更に、山口が負傷後に訪れた病院で泥酔したまま暴行沙汰を起こしてしまい、これを重く見た球団は事態の全容が判明するまで山口の公式戦登板を見合わせることを7月18日に決定。先発予定の試合の登板もキャンセルされた。
8月18日には、上記のトラブルに関して、傷害と器物損壊の疑いで書類送検に処された。本人は容疑を認めており、記者会見で謝罪。最終的には示談が成立し不起訴処分となったものの、2017年シーズン中の出場が停止され、総額一億円近くの罰金と減俸処分が科された。