概要
経歴
NPB時代
前田智徳、栗原健太がいたため、ニックネームは「マエケン」。PL学園高校在籍時の2006年オフのドラフト会議にて、広島東洋カープに指名されてプロ入り。
2008年シーズンは9勝2敗、防御率3.20と素晴らしいデビュー成績を飾り、この年旧広島市民球場の公式最終戦で、プロ初ホームランを放つなど、カープの「エース」としての風格を漂わせた。翌2009年は8勝14敗、防御率3.36と、成績があまり振るわなかったものの初めてシーズンを通してローテーションを守りきった。
2010年シーズンではその実力が開花し、15勝8敗、防御率2.21、174奪三振と、セ・リーグでは1999年の上原浩治投手(当時、読売ジャイアンツ)以来となる11年ぶり、史上最年少、球団史上初の『投手三冠』(最多勝、最優秀防御率、最多奪三振)を手にした。キャッチャーの石原慶幸選手とのバッテリーが最高であったと認められ、ベストバッテリー賞も受賞。
下位に低迷するチームの中孤軍奮闘で投げ続け、その抜群の安定感を見せたことから、セ・リーグでは6年ぶりに投手最高の栄誉となる沢村栄治賞を受賞した上、シーズンを通してマウンド上での素晴らしいフィールディング、バント処理などを行ったことからゴールデングラブ賞にも輝いた。
最後は同年11月18日の『2010プロ野球コンベンション式典』においてセ・リーグ投手の『ベスト・ナイン賞』に加え、セ・リーグの規定に従い同時に最優秀投手賞を受賞。2010年の賞をまとめると、前田健太投手は『最多勝利賞』、『最多奪三振賞』、『最優秀防御率賞』(←ここまでを投手三冠)、『ベスト・バッテリー賞』、『沢村賞』、『ゴールデン・グラブ賞』、『ベスト・ナイン賞』、『最優秀投手賞』の8冠という素晴らしい成績だった。
2015年まで安定した成績を残し、特に2013年・2014年にはカープのAクラス入りの原動力に。NPB最終年となる2015年には、再び沢村賞のタイトルを獲得している。
MLB時代
ポスティング制度を利用して、2016年にMLBのロサンゼルス・ドジャースと契約。
メジャー初先発の試合で投手ながらいきなりホームランを放ったうえで勝利投手となる。デビューから2打席目での本塁打は日本人投手として最速。野手を含めても、初打席の初球でホームランを記録した松井稼頭央(PL学園の先輩に当たる)に次ぐスピード記録である。
出来高払いの内容が細かい契約を交わしたためか、シーズン後半になると先発ローテーションから外されてブルペンで待機させられるが、リリーフ登板でも好投を続け、2017年~2018年のリーグ優勝に貢献。
2020年2月にはドジャース、ボストン・レッドソックス、ミネソタ・ツインズの3球団間のトレードで名前が挙がり、紆余曲折あったもののツインズへ移籍することになった。
2020年はツインズの地区優勝を手繰り寄せる活躍を見せたが、2021年シーズンは肘の故障もありパフォーマンスが低下、トミー・ジョン手術を受けたために戦線から離脱した。2023年に戦線復帰しプレーを再開、同年オフにFAとなりデトロイト・タイガースへ移籍。
人物・エピソード
- 「目標は『エース』になること。『エース』の前に付く言葉(若き、右の、未来の・・・etc.)は何も要らない。調子がどんなに悪かろうとも、チームがどんなに悪い状況でも勝てる投手、自分が投げれば勝てると信頼が得られている投手、そんな投手になりたい。まずは18勝を目標に精一杯投げていきたい。」と話していた。
- シーズンオフはよくテレビ朝日のバラエティに出演。「リアル野球BAN」においては石橋貴明率いるチーム(正式名称は年によって異なるが、近年は概ね「チーム帝京」が多い)の対戦相手として立ちはだかる事が多いが、一度だけ杉谷拳士の代打として石橋チームとして参加した事もある(2018年正月)。通常は「対戦チーム(構成メンバーは現役選手が多い)は『石橋チームからのハンデ』として木製バットのみ使用可能」というルールがあるが、自身のポジションが投手である事から、特例として金属バットの使用が認められた数少ない選手の一人である(この様なケースは田中将大も該当する)。
- 同じくテレビ朝日の「アメトーーク」の絵心ない芸人に途中からレギュラー参加。出演して他の出演者に負けず劣らずの絵心を見せており、彼の描いた絵がシャツになった時は毎回着用している事を報告している。
- 2017年正月の「芸能人格付けチェック」で「自信満々に鯛めしをフナと間違う」(フナケン)など、スポーツ選手とは思えないほど爪痕を残している。