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概要編集

1982年1月8日生まれ、山形県出身。

日大山形高を経て、1999年ドラフト3位で広島東洋カープに指名され入団。ポジションは内野手。


1軍デビューは3年目の2002年阪神タイガース藤川球児からプロ初安打となるホームランを放った。2004年には、この年首位打者を獲得する嶋重宣と共に初の開幕スタメン出場を果たし、1軍定着の足掛かりを作る。2005年はケガで出遅れ、野村謙二郎との併用で起用される。


2006年から背番号を「5」に変更し、8月に戦線離脱するまでに20本塁打をマーク。翌2007年には全試合出場を果たし、打率.310、25本塁打をマーク。2008年新井貴浩の移籍によって空いていた4番を任され、打率.332、23本塁打103打点をマーク。2009年村田修一の戦線離脱によりWBC日本代表に追加招集され、優勝メンバーの一員となった。レギュラーシーズンでは不振に陥る。2010年は三塁にコンバートされるも、その守備ではイマイチ結果を残せず主砲として物足りない数字に終わる。2011年は後半に調子を上げて、自身初のベストナインを受賞。

2012年2013年はけがに泣き、1軍出場試合が大幅に減少。2014年2015年は1軍出場がなく、2015年シーズン終了後、他球団での現役続行を視野に自由契約を申し出たため、球団は10月9日に栗原の退団を発表した。


その後、東北楽天ゴールデンイーグルスの入団テストを受け、合格。背番号は「0」。2016年は楽天イーグルスに在籍したが、自身の1軍出場がなかったため同年現役引退を申し出た。同時に楽天イーグルスの打撃コーチに就任(2軍、2018年途中から1軍)。引退会見では、この年に25年ぶりにリーグ優勝を決めた古巣広島について触れており、「その中に入れなかったことが心残りだった。」と語った。

2019年に楽天を退団した後、2020年から中日ドラゴンズ1軍打撃コーチに就任するも、課題であった貧打と長打力向上が改善できず、2021年シーズン終了をもってアロンソ・パウエルと共に退任。楽天球団へ戻りスカウト部門へ配属された。


応援歌編集

広島時代

鍛え上げたパワーで 敵を一瞬に撃破

今日も明日も頼むぞ そぅ!我らの栗原

※ちなみに「ぅ」は小文字である。


楽天時代

みちのくへと光をもたらす

希望の道しるべ 栗原


関連項目編集

プロ野球 プロ野球選手 引退したプロ野球選手一覧

広島東洋カープ 東北楽天ゴールデンイーグルス 中日ドラゴンズ

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