概要
所属 | ロサンゼルス・エンゼルス(未定) |
---|---|
出身 | 岩手県盛岡市 |
生年月日 | 1991年6月17日 |
身長・体重 | 184cm、98kg |
投球・打撃 | 左投左打 |
守備位置 | 投手 |
プロ入り | 2009年ドラフト1位(埼玉西武ライオンズ) |
生まれつき右利きであったが、保育園に入園した際に保育士が勘違いして左利きとして接していたら、そのまま左利きになった。彼の面倒を見た保育士はある意味ではサウスポーとしての原点である。なお、箸は右手で扱う。
花巻東高校時代から注目され、3年次にはMAX154km/hを記録。準決勝で敗退したが、その実力は日本のプロ野球のみならず、アメリカのMLBからも注目された。MLB挑戦も考えていたが、(所謂“田澤ルール”等の制度上の問題もあり、)最終的には日本のプロ野球でプレーする道を選んだ。
2009年のドラフト会議で6球団の1位競合の末、埼玉西武ライオンズが交渉権を獲得。2009年ドラフト1位で西武に入団した。
2010年の登録は「雄星」。注目を浴びたが、左肩痛のため、一軍での登板はなかった。シーズンオフには本人の希望で、登録名が「菊池雄星」に戻った。
2011年は開幕ベンチ入りするも、登板機会がなく二軍落ち。6月12日阪神タイガース戦でついに一軍デビューを果たす。
その後、初完投勝利をあげるなど、着実に成長を重ねていく。この年は10試合に登板し4勝1敗。
2012年は二軍スタートとなるが、後半戦から合流。プロ初セーブを挙げる。
2013年オフに石井一久が引退し、空き番号となった16を継いだ。
2016年は故障で離脱したこともあったが、二桁勝利を達成。
2018年12月にポスティングシステムを申請。明けて2019年1月にシアトル・マリナーズとの契約が成立した。
2019年、東京ドームでのシーズン開幕シリーズ第2戦にてメジャー初出場(初先発)。
シーズン序盤はチームが好調過ぎたこともあり菊池が投げた日だけマリナーズは負ける状態になった時期もあった。先発6試合目となった4月21日のエンゼルス戦で5回4失点ながらメジャー初勝利を挙げた。
ちなみに、入団時のチームメイトにあのイチローがおり、開幕シリーズでの彼の引退を見送った唯一の日本人選手となった。
2022年、トロント・ブルージェイズに移籍。4月に先発した試合は菊地自身に黒星が付かなくてもブルージェイズが負ける(5戦全敗、うち菊地が敗戦投手となったのは1試合だけ)など、登板すればチームが負ける状況が続いたため、後半戦に入るとローテーションを外された。
2023年、先発ローテーションの一角として一年間安定した活躍を見せ、投球回167.2イニングで規定投球回到達、11勝6敗、防御率3.86、181奪三振、WHP1.27の成績を記録した。
2024年も先発ローテーションの一角としてプレイするも、6月頃から不振に陥り成績を上げられず、シーズン途中に再建に入ったブルージェイズからトレードにより放出され、ヒューストン・アストロズへと移籍した(ちなみに、同チームでは初の日本人投手となる)。移籍後は投手コーチからのアドバイスもあり無事に不調を脱し、チームのワイルドカード枠でのポストシーズン進出に貢献した。なお、ポストシーズンにもワイルドカードシリーズ第3戦での登板が予定されていたが、チームがスイープされて敗退したために残念ながら登板の機会はなかった。
2024年シーズン終了と同時にフリーエージェントとなり、アストロズの同地区のライバルであり、かつて自身がメジャー初白星を飾った相手でもあるロサンゼルス・エンゼルスへと移籍。
余談
早くから投手に専念したため打撃は非常に苦手で、生涯一度もホームランを打ったことがないそうである。
息子が1人いる。
現在ドジャースに所属している大谷翔平は、同じ岩手県出身で、花巻東高校野球部の4つ下の後輩に当たり、大谷が花巻東に入ったのは菊池への憧れからだったと言う。
なお、菊池が現在所属しているエンゼルスは大谷翔平が渡米後に最初に移籍した球団でもあり、ここでも思いがけない形で接点ができることに。