プロフィール
経歴
地元福井の敦賀気比高校、青山学院大学を経て、2015年のドラフト会議でオリックス・バファローズから単独1位指名を受けて入団。
敦賀気比高校、青山学院大学の両方で4番打者を任された経験があるスラッガー。身長は173cmと野球選手としては小兵な選手ではあるが、その小さな体を存分に使う豪快なフルスイングが特徴。小さい頃は日本のプロ野球よりもメジャーリーグの中継を見ることの方が多く、現在の豪快なスイングが生まれたのはメジャーの影響だと本人は語っている。その中で彼はメジャーを代表するスラッガーであるブライス・ハーパーに憧れている。オリックスで2021年まで着用していた背番号「34」はハーパーが現在ナショナルズで着用している数字であり、本人の強い希望が通り実現したもの(2022年は「7」に変更)。
ルーキーイヤーの2016年は外野手・指名打者として63試合出場し、10本塁打を記録。
2017年は前年オフに阪神タイガースにFA移籍した糸井嘉男の穴埋めとして期待されたが、腰痛などの影響で64試合の出場にとどまった(ホームランは12本)。
2018年は6月から4番打者に定着した。全試合に出場し、打率.321、26本塁打、86打点を記録した。
その後も安定して打率とパンチ力を兼ね合わせるハイスペックバッターとして君臨し、オリックスのリーグ連覇(2021年・2022年)と日本一(2022年)に貢献。日本シリーズではいずれもスコット・マクガフ(東京ヤクルトスワローズ)から2本のサヨナラ打(2021年の第1戦でサヨナラタイムリー、2022年の第5戦でサヨナラ2ランホームラン)を放った。
2022年シーズン終了後、球団に直訴してポスティングによるMLB挑戦が認められ、ボストン・レッドソックスと契約が成立した。
調整の難しい時期ながら、2023年にはWBCに参加を表明。予選プールでは5番を任され、準決勝からは不調の村上宗隆に代わり4番となった。
メキシコ戦では日本が劣勢の中で3ランホームランを放ち、次の打席も4球を選んで村上に繋げるという大活躍を見せた。最終的な成績は22打数9安打、打率.409、2本塁打、13打点(大会歴代最多記録)。
総合MVPこそ二刀流の活躍を見せた大谷翔平に譲ったものの、ベストナインの外野手部門に選出された。
選手としての特徴
怪我が多くデビュー当初も腰痛で悩まされた(競合してもおかしくない逸材なのに、オリックスの単独指名だったのもそれが背景にある)。それでプロでやっていくために自他ともに認める健康マニアとなっていったと自分で語っており、食事、睡眠、トレーニングなどあらゆる部分でセルフケアを続けていると発言している(祝勝会のときのインタビューでも笑顔で「健康管理が台無しです!」と答えていた)。
マッチョは彼の代名詞でもあり、応援グッズにはダンベル型のバルーンもある。