概要
1989年10月11日生まれ、185cm・88kg・血液型A。
母方の祖父は、東海大相模高校野球部・元監督の原貢(故人)。伯父(母親の兄)は読売ジャイアンツ・元監督の原辰徳。
東海大学付属相模高等学校、東海大学卒。広島東洋カープの田中広輔内野手は高校・大学を通じた同級生。
2011年オフのドラフト会議では、伯父が監督をしている巨人以外に北海道日本ハムファイターズに1位指名され、抽選で日本ハムが交渉権を獲得したが日本ハムとの入団交渉は決裂。2012年は卒業せず就職留年(卒業すると2013年のドラフトまで待たないと指名できないため)し、同年のドラフト会議で巨人からの1位単独指名を受けて晴れてプロ入りした。
NPB時代
- 2017年は17勝5敗の好成績を残し最多勝、沢村賞を受賞。
- 2018年は15勝8敗の成績を残し、最多勝を広島・大瀬良大地投手とわけあったほか、2014年、2016から2018年にかけて最優秀防御率のタイトルも獲得している。同年10月14日、東京ヤクルトスワローズとのクライマックスシリーズ1st第2戦で同大会初のノーヒットノーラン達成、ポストシーズンでの珍記録になった。
- 2020年10月6日、横浜DeNAベイスターズ戦で開幕投手からの新記録となる開幕13連勝を記録。10月13日の広島東洋カープ戦で敗戦投手となり途切れるも、開幕投手を除けば1966年の堀内恒夫氏の球団及びセ・リーグ記録に並んだ。シーズン終了後にポスティングシステムを利用してメジャーに挑戦する予定だったが、コロナ禍で契約が難航し断念。
- 2020年代。ベテランの域に差し掛かり成績が低迷傾向だったが、2024年はそれまでの大城卓三捕手から以前の小林誠司捕手のバッテリーに戻し、配球を変えた事で再び二桁勝利を挙げた。しかしながら、日本一22回の名門チームの巨人でNPBでの実績がありながらも、一度も日本一を経験出来ず仕舞いとなった。
MLB時代
2024年シーズン終了後、海外FA権を行使してのMLB挑戦を表明。ボルチモア・オリオールズと1年契約を交わした。
エピソード
- 振り逃げ3ラン
高校時代には2007年・夏の神奈川県大会準決勝にて、横浜高校との対戦で振り逃げ3ランの打者になっている。打席で三振となったものの、横浜高校の捕手は三振と判定された時点でアウトと勘違い。野手陣が引き上げた状態からダイヤモンドを一周し、得点が認められた。
- フェアリーファンタジア菅野
ネット上では、彼がtwitter上でアダルトゲームの「フェアリーファンタジア」の紹介ツイートをお気に入りにしていた事が明るみにでた事でネタにされた(但し実際にそのゲームをやっていたという証拠はない)。フェアリーファンタジア運営側も8月9日(野球の日)に「スガーヌォーグ」という彼が元ネタと思われるキャラクターを登場させるなどネタにしていた。
- 「負け運って何?」
若手時代、登板する試合では何故かほぼ毎度打線が奮起しない、所謂ムエンゴ病として知られていた。実況パワフルプロ野球シリーズでは「負け運」という赤特殊能力を持つという形でそのムエンゴっぷりが再現されている。
パワプロ2016の公式企画の対戦動画では自身のキャラにその能力がついていることに気づいてしまい、「負け運って何?」とツッコんでいる。なお、後日試合に登板した際に見事に思い知らされた様子である。
後の2017年夏のパワプロ2016のアップデートで赤特殊能力の「負け運」が削除。また、2018年版の対戦動画に出演した際に「赤いの(負け運)無いね!」と喜んでいた。
この年の菅野は援護に恵まれ、オールスターゲーム直前までにセ・リーグ最多の9勝を達成しており、そのことが反映されたものと思われる。結局2018年はそのまま勝ち数を伸ばし、最多勝を含む3冠(勝利数、防御率、奪三振)を獲得、負け運の削除も納得の結果を残した。
関連タグ
大野雄大…中日ドラゴンズに在籍。菅野とは1歳年上ではあるが、プライベートでも仲が良い。両者共に「特別な感情を持って投げ合う投手で意識するのは彼くらい」と発言する程友人でもあり、好敵手であると互いに認め合う程である。因みに、両者が語る特別な感情とは「先にマウンドを降りない」という気持ちとの事。更に言えば、大野が左肘手術を受けた後に伸び悩んでいた際に「ひとつのきっかけで絶対に投げられるようになるので大丈夫」と大野へ励ましの言葉を送っていた。